優しいゲンコツ

寂しい背中を向けたままルースは去り、また俺たちの間には疑問だけが残った。


「きっと……あの二人もディナレ教会に行ったのでしょうね」

そう、恐らくはエッザールの言った通りだ。ナントカの秘蹟っていう苔の固まりみたいな酒を飲まされた儀式。あいつをやったに違いない。それで怪物に襲われたという記憶を取り戻したのだろう。


しかし……なんでルースはあれほどまでに疲れきっていたんだか。それが謎なんだよな。

まああれこれ考えていたってしょうがないし、いいかげん疲れたから寝ようかと思った時だった。


「ラッシュ、ちょっといいかな」俺に変わってチビを寝かしつけていたフィンが俺を呼んだ。

場所は……そうだな、いつもの裏庭でいいか?

………………

…………

……

「どうしたんだ一体。俺を刺したことがまだ気になっているのか?」

フィンはそうだとうなづくと、ぐっと俺に顔を向けてこう言った。


「俺を殴って。思いっきり」


俺も思わずえっと言っちまった。別にそれは構わないけど、いったいどうして……

「やっぱり踏ん切り付かないんだ。なんかラッシュ優しすぎてさ……だから、親父みたいに一発殴ってもらいたいんだ。そうすりゃ俺も目が覚めるし」

「いいのか……本当に」

「ああ、痛けりゃ痛いほどいい。だから殴って!」

そう言ってフィンは目を硬く閉じ、歯をぐっと食いしばった。


しかし、こう率先してやられると俺も迷っちまうんだよな……自分だって親方に、それはもう数えきれないくらいに殴られたもんだ。だけどそれとこれとは違う。こいつは自分で自分に罰を下そうとしているんだ。俺の考えとは根本的に違うんだってことに。


「じゃあ、思いっきり殴らせてもらうぞ」

やっぱり怖いのか、フィンの身体が震えている……そうだ、当たり前のことだ。

でも、俺は……親方とは違う!


ゴン!!!


「……え?」その音に驚いたフィンが、恐る恐る目を開けた。

その頭の上に大量の葉と木の枝が、それこそ積もっていた雪のようにどさっと一気に落ちてきた。

ああ、殴ったのはこいつの顔じゃない。隣にあったでっかい木だ。

俺の渾身の一発で幹は大きくへこみ、その振動でフィンの頭に一杯葉っぱが降ってきたんだ。

「そういうことだ。言っとくが俺のゲンコツは並大抵の力じゃねえからな。本気で殴ればお前の頭なんてちぎれてすっ飛んじまう。それでもいいんだったら……」

「い、いやちょっと待ってストップ! そんなことされたら俺死んじゃう!」

「はあ? 思いっきり殴れって言っただろうが。今のは試しに威力を見せたテストだ。行くぞ!」


「ごめん、やっぱそれ無理! さっきの話はナシ! 許して!」逆に泣きつかれて哀願してきたし。


そうだ、これでいいんだ。

俺のケガなんていつもの戦いのそれに比べりゃなんてことねえ。恐らく明日になれば治っちまう。

それより心配してたのはこいつのショックの方だ。ずっと引きずり続ける方のが俺にとっては怖かったんだ。


でも……もう大丈夫っぽいな。

「目が覚めたか、フィン」そうして、泣きそうな小さな頭をがしがし撫でてやる。

「うん……本当にごめん。これからは気を付けるから」


「よっし、じゃあ俺のケガが治ったらもっとビシバシ鍛えてやるからな! 覚悟しとけ!」

「えええ!? エッザールの稽古だってめっちゃキツいっていうのに……」

よっしゃ、いつものフィンに戻ったな。こうでなくちゃ。


「早く親父をブッ殺したいんだろ? 今日は逆に俺が殺されそうになったんだ。罰として素振りも倍にしてやるからな、覚悟しとけ」

「マジかよ……最悪じゃねーか」



そうだ。俺は絶対非情になんてなれねえ。


これでいいんだろ……‬親方。

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