ジールの場合 後編

「金がなくなるまで一人呑みか?」気配すらなかった。全く気付かなかった。

突然後ろから聞こえてきた声に、胸元に隠してあるナイフへと手を伸ばす。

……でも、よくよく考えてみたら自分のことを知ってる口ぶり。ゆっくり振り向くと、そこには……

ふふっ、と鼻先で笑う、自分より一回り大きな身体でようやくわかった。それに暗がりじゃ目立たない、その毛並み。

「マティエ……?」その言葉に、やれやれ、気づくの遅すぎってあきれた目の色で返す。

彼女はとにかく無口だ。それが知らない相手であろうと、気の知れた友人であろうとおかまいなく。

それゆえに彼女の心の内を知るものも多くはない。孤高に身をゆだねているかのように。

「いつ帰って……じゃない、ルースとは一緒じゃなかったの?」

「先に……済ませておきたい用事があったんだ」

聞けば、先祖の眠る墓と慰霊碑に報告をしておきたかったんだとか。

そう、それは自分たち獣人の歴史にとって絶対忘れることのできない、ザレの大虐殺。

無論百年以上も昔の話だ。今生きている我々が知っているわけではない。生き証人がいるとしたら、もはやアラハスの民の長老格くらいのものだろう。

しかしそれゆえに絶対知っておかなくてはならない歴史でもある。きっと自分の同胞もその地で血を流したであろうし。

大きな雨粒が勢いを増してゆく中、マティエとずっと他愛もない話をし続けた。

元気でやってたか?

仕事はうまくやれてるか?

この国の情勢はどうなったか?


そして、彼は見つけることができたか? ……って。ごめん、最後のだけはまだまだ。


ずっと変わらない。彼女はむっとしたへの字な口元のせいで、いつも機嫌悪そうにしていると思われがちだけど心を許した人にはちゃんと笑顔見せるってことを。

……いや、笑顔を作ることが元来へたくそなのかもしれないのかな。

「小降りになったら、どっかお店行く?」

「……そのつもりだ、けどお前、金持ってるのか?」

そうだ、もうポケットにはほとんどお金ないんだった。不覚……っていうかこんな場所で懐かしい友達に、それもいち早く出会えるだなんて思ってもいなかったんだし。

マティエに謝ってそのことを話したはいいんだけど、彼女もあちらの国のお金……つまりリオネング貨はあいにく持ち合わせてないみたいで。二重に参った。

しゃあない。となると行く場所は一つしかないか。

「あたしの友達が働いてる食堂があるんだけど、そこ行く?」

そう、トガリが働いている食堂のこと。もっとも彼は日中しかいないけど。

「酒は?」

「あなたの好きな戦槌があるわよ」

戦槌……それは自分が知っている中で最高に最強に強いお酒のこと。本来ならきちんとした名前があるんだけど、一口でも飲んだら最後、それはもう脳天を戦槌で思いきり叩かれたかのように足腰立たなくなる。ってことでニックネームの方が独り歩きしたお酒ってわけ。

まあ、それゆえに戦槌を置いてあるトコもほとんど無くなっちゃったけど。それにこの戦争のおかげで醸造所も失われたって話だし。

マティエは、なら話は早いって感じでまたふふって鼻先で笑った。

普通の人が彼女のこの笑いを見たら、なんか馬鹿にされてるって思うだろう。

それくらい、彼女はちょっと独特。


さて、空を見上げると、幾分か雨の勢いはやわらいできたみたい。

相変わらずぬかるんだこの地面は好きには慣れないけど、今はもう違う。懐かしい友達に出会えたから。

まだまだ夜は明けない。酔いつぶれるまでもっともっと飲み明かしたいな、なんて。

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