決着

「できれば生け捕りにして色々調べてみたいところなんですが……この有様では無理っぽいですね」


 奴が歩いて行ったであろう廊下には、もはや数えきれないほどの無数の死傷者で埋め尽くされていた。

「これ、みんなあの野郎の仕業か……」


 それは、ほとんど戦場と言ってもおかしくない惨状。壁に叩きつけられて絶命したものもいれば、鎧越しに身体を貫かれたものまで。

 武器も使っているのか……こりゃヤバいな。何か武器を見つけねえとすでじゃ圧倒的に不利だ。


「申し訳ないです、デュノ様……なんとか下の階の大広間に誘い込んだのですが、相手が巨大すぎて……」

 血のにじんだ包帯を頭に巻いた兵の一人が、ルースに報告をしていた。

 そして俺は……といえば、廊下に散乱した兵たちの武器から使えそうなものを、何本か拝借。

「ルース、戦うことができそうなやつは何人いる?」

 あいつは無言で首を左右に振った。となるとあとはさっきの腰抜け騎士のザイレンって野郎だけか。ルースを前線に出すのはやめておきたいところだし……うん、やっぱ俺一人の方が気兼ねなく暴れられるか。


「ザイレンとか言ったな、お前の持ってるその剣、よこせ」

 パッと見たところ、こいつが腰に下げている長剣が一番斬れ味良さそうだったし。

「はァ? 誰がお前なんかに!? この剣は我が家で代々受け継がれし名刀なのだぞ! 貴様みたいな傭兵なんかに……グゥ」

「やかましいからちょっと眠らせておきました。彼なんて足手まといになるだけですしね」

 突然くずおれたザイレンの首元からルースが這い出てきた。手には小瓶とハンカチ。

 うん、ナイスだルース。


 大広間の崩れかけた扉の隙間から、中を見てみる。

 バケモノと化したドール団長はというと、ひょろ長い枯れ木に似た姿に変わっていた。

 だいぶ昔だったか、明け方の濃い霧の中、周りの連中が、化け物がこっちにきたぞって叫んで、近づいてみたらこいつだったっていうお笑いなことがあって。その枯れ木がそのまま巨大化した感じに見えた。

 俺よりもさらに身体が伸びて、もうこの大部屋の高い天井にまで届いている。もう人間だった頃の姿かたちは完全に失われていた。


「気を付けてください、腕が鋭い切っ先みたいに変わってます。あれで鎧ごと貫かれたのでしょう」しかも何本もそのヤバい腕が生えている……こりゃ確かに危険だ。


 一方ルースといえば、俺のわきで何やら怪しげな色をした液体が入った瓶を並べ、ぶつぶつと独り言をつぶやいている。

「なにか、あのデカブツにダメージを与えられそうな薬があれば……」


 俺は一言「頼むぜ」と残し、瓦礫が散乱する大広間へと一人乗り込んでいった。


「ん? ああ、私はリオネング騎士団長のドールである、ぞ? 誰だ貴様、は?」

 バケモノ化が進んでくると頭まで変になってくるのだろうか、話す言葉もおかしくなっている。

「おやお、や、誰かと、思えばケモノ、ビトではない、か。まだ、生きていたのかね?」

「あいにくだったなドールさんよ。下にベッドが敷いてあったんだ、フカフカで寝そうになっちまった」

「ほほう、そうだった、のか。やっぱり、君は、悪運だけ、は強いように思え、るんだがね?」

ルースのためにもとにかく時間を稼がなけりゃ……と俺は柄にもないジョークをあれこれ試した。

「悪運だとはこれっぽっちも思っちゃいねえさ。ただ落ちたところが寝室だったってだけで」

ドールの姿はまさに生きた枯れ木そのものだった。しかし唯一違うところといえば、奴の顔だ。

幹の真ん中あたりだろうか、蝋のように真っ白に染まったドールの顔がその部分にはめ込まれているかのように存在している。とても不気味だ。

これがマシャンヴァルの力なのか……確かに今まで夜目が効くすばしっこい人間もどきの兵とは戦ってきたが、ここまで異形化するとは……

「なんでリオネングの騎士団……いや、みんなを殺したんだ⁉ お前の部下だろ?」

「ああ、私に、刃を向ける、奴なぞ、部下とは、全く思ってな、いのでな。そいつら、にはお仕置き、が必要な、のだ」

「だからって皆殺しは……!」直後、俺の左の頬にシュッと風を切る音が聞こえた。

「ラッシュ君にも、お仕置きが、必要かも、しれないな」

頬をなでるとうっすらと血が付いていた……なるほど、これがお前の答えってことか。

左右の手に剣と槍を握り締め、俺は枯れ木のバケモノへと一気に駆け出す。懐へ飛び込めば奴も攻撃しづらいだろう。

……その瞬間、俺の身体は思いきり弾き飛ばされ、広間の壁へと叩きつけられた。まるで見えない空気の鞭みたいなものを叩きつけられたようだ。

「な、なん、だ……いきなり」久々に感じる衝撃だ。だが俺にしてみればこれくらい大したことない。親方の棍棒の一撃の方がもっと痛激だ。

「ラッシュ君、私に近づこう、としても無駄、だよ」ドールは長く伸びた自分の両腕を、まるで鞭のように高速で振り回している。なるほど。あれに弾き飛ばされたんだな……人間なら全身の骨を砕かれて即死といったところか。

ならば……! と、今度は手にした槍を投げつけ、奴がはじいた隙を狙って一気に近づく!

そのまま、剣をドールの顔面に突き刺そうとしたのだ……が。

硬い。

まるで岩に切っ先を突き立てたかのように、剣は砕けてしまった。

「なん……だと⁉」

「そんな粗悪な剣では傷もつけられないさ、ラッシュ君!」ドールのデスマスクのような白い顔が、醜悪な笑みを見せる。

「ふざけんなぁぁあああああっ!」俺は顔面にパンチを食らわそうとしたが、やっぱり鉄のように硬い。これじゃ俺の拳の方が砕けちまう。

「だから言った、じゃないか、私と組まない、かって、ね」ドールの歪んだ口から発せられた言葉が、くどいほどに胸に突き刺さる。

「で、お前みたいなバケモノになれってか……ふざけんなカス野郎!」

瞬間、俺の両手足に鞭が巻き付いた。振りほどこうにも全く解けない!

「ならばいま一度試してみようか、このまま君が死んだらウソだと認めてあげよう。だがもし死ななかったら……」

持ち上げられた身体はぎりぎりと、ものすごい力で上下に引っ張られる、俺の身体を千切ろうっていうのか……!

って、おい、これ、やべえ……マジで、身体が……!


 身体中の骨がみしみしと軋みをあげる、俺の力をもってしても引きちぎることはおろか、身動き一つできない。

「やべえ、これ本気で死ぬんじゃ……‬」脳裏にちょっぴりそんな言葉が浮かんだ時だった。

圧が、突然消えた。

巻きついた手足をを見てみると、なぜか途中から切れていた……‬。ってことは、これ、落ちるんじゃ……‬ってオイ!

 それほど高くはなかったのだが、思いっきり落ちた。おまけに受け身も取れなかったから、尻から、そして尻尾を思いっきり打った。


 痛む腰をさすりながらドールの方に向き直ると、あいつはちぎれた両腕から何やら白い煙を吹き出している。

「早く離れて!」女の声だ、それも聞いたことのある。


 俺は言われるがままに大急ぎで大広間の入り口へ駆け戻った。そう、ルースのいるところへ……‬作戦立て直しだ。


「ラッシュ、大丈夫!?」出迎えてくれたのはルースではなく、ジールだった。

 そっか、さっき助けてくれたのはお前だったのか……‬助かったぜ。

 あんまり大丈夫じゃない……‬が、今はそんなこと言ってる暇はない。

「あいつの足元見て、わかる?」ジールが指差す方向に目を向けた。

よくみると……‬ドールの足元には根のようなものが生えていて、広間の床にがっちり食い込んでいる。

「あいつ、もうあそこから動くことはできないみたい。けど死体とか取り込んで徐々に身体は大きくなっている……‬早めに始末しないと」

「この城も、いつかは奴に食われちまうってことか」そういうこと、とジールは軽くうなづいた。


 でもさっき戦った通り、奴のそばに近づくのも至難の技だし、おまけに表皮は剣も通さない。鉄のように硬いときている。いったいどうやったらあの身体を傷つけることができるんだ……‬


「そこで、この薬です」ジールと俺との間にルースが割り込んできた。

「なんだこれ?」ルースの掌に収まるほどの小さな瓶の中には、水のように澄んだ液体が。つーか水……?

 でもって俺はつい、いつもの習慣でその液体の匂いを嗅いで……‬


って、めっちゃくせええええええええ! !!

おまけに鼻の奥から喉を通って胸の奥にまで突き刺さる刺激的なやばい臭さ!


「ああああもう、言わんこっちゃない……‬これ強酸なんです! 匂い嗅いじゃダメって言おうとしたのに……‬!」ゲホゲホ激しくむせる俺を見て、ルースは呆れながら言った。

「まったく……ラッシュより臭いよね……‬で、これをどう使うの?」

 ジール、お前一言余計だ。

「奴の身体に瓶に入ったこいつをぶつけるんです。ちょっとでも酸がつけば、そこから表皮を溶かしてくれるはず。そうしたら……‬」


 長いので要約すると、今のドールの身体は皮膚が変化したものらしい。つまりこの臭い水(名前忘れた)をぶっかければ、奴の本体……‬恐らくは核の部分が現れるだろうというんだ。


「核……‬奴の心臓を成してる部分です。そいつを刺すなり斬るなりすればあいつは死ぬでしょう」

「死ぬって……‬奴を助けることはできねえのか?」俺の言葉に、ルースは首を左右に振った。

「いいですかラッシュさん、あれはもはやドール騎士団長なんかじゃありません。マシャンヴァルの手下が彼を殺して、なりすましていたのです……僕とジールは、このリオネング城に潜伏した連中を秘密裏に探し続けてきました。決定的な証拠をつかみたかったので」


 ルースは俺に説明するかたわら、器用に二個三個と同様の臭い水を作っていった。

「大臣に化けた奴をとらえて尋問したところ、この城には同じようにリオネングの高官に化けたマシャンバルのスパイが10人ほど潜んでいることを聞き出すことができました」

「で、そいつらはどうしたんだ?」

「まあ、この手の連中はそれ以上口を割らないし、このまま生かしとくのも面倒なんですぐ殺したけどね」

 ジールはあっさりと言い放った。

「でも、10人程度じゃなかったんです……そのうちの一人がドール騎士団長だったんです」

「どうやって分かったんだ? 見た目じゃ判断できねえだろ」そうだ。俺だって初対面とはいえドールがそんな状態だったとは全く分からなかったし。ルースとジールはどうやって見分けられたんだ?


「えっと……ですね。非常に言いにくいかもしれませんが、あいつら、独特の死臭にも似た嫌な臭いがしてくるんです。それを大量の香水でごまかしたりとかして、違和感が増してくるんですよ。それと妙にぎこちない動きとか、首の動きと合わない視線とかもありますが、でもやっぱり一番の決め手は臭いですね……ある意味、僕らは獣人だから、人間と違って鼻の感覚が鋭敏なので分かったのかも知れません。でも鼻が鈍いラッシュさんには無理かもしれませんが」

 うん、やっぱりルースだこいつ。めっちゃ早口で、オマケに一言多いところなんて誰がどう見てもルースだ。

 こいつの首もあり得ない方向へ殴って変えたい気持ちをぐっと抑え、俺はルースの説明を聞いた。

「私がいま作った薬。これでとにかく一撃でいいからあいつに傷を負わせてください」


 とりあえずルースの手持ちの薬をかき集めて完成した薬が3つ。そのうち2つはジールが、残り1つは俺が。ということになった。

「分かるでしょラッシュ。真正面から挑んでも奴には敵わないってこと」

 ジールの言いたいことは分かるが、どういう作戦で行くんだ?

「と言ってもあんたには小細工なんて無理だし、さっきと同じように真正面からどうにかして。私が奴のスキをみてこいつをぶつけるから」

 俺は頑強かつ馬鹿力。でもってジールは素早さと手数。二人で挑めばどうにかなるよ、だとさ。


 しかしさっきの戦いで俺はもってた武器をダメにしちまったし……‬素手じゃどうにもならねえぞ。

「ありますよ、いい剣が」ルースが俺に差し出したそれ……‬は。

「やめろぉぉぉぉお! 僕の家宝の剣にさわるなぁぁぁぁあ!」忘れてた、このヘタレ野郎まだいたんだ。つーか目が覚めてたとはな。

「さあ、ラッシュさん急いで!」


 振り返るとジールはもうその場にはいなかった。先回りする気か。


「僕の! ぼくの大事な剣をかえせぇぇぇぇえ!!」


 ガキのようにうろたえるザイレンを尻目に、俺は今一度バケモノが生えている大広間へとドアを蹴破って入った。


血で壁を塗り尽くされた大広間。

 城にいる奴らはきっと、毎日ここで楽しく食事したり踊ったりしていたのだろう。

 その奥には、かつてドールだった怪物が、生気の失われた目で俺のことをじっと見つめている。


「よおおおおお、薄汚い獣人君、ようおおおおおやく戻ってきてくれたか。まああああち詫びていたよおおおお」

 だんだんと奴の話す言葉から、理性そのものが失われてゆくのが感じられてきた。もう何を話しても無駄だろう。


 血だまりと化したベタつく床を一歩一歩踏みしめ、俺は奴の懐へ一気に走って詰めた。

「どうおううする気だね。勝ち目などないというのにいいい⁉」

 振り下ろされた奴の腕が俺の頬や肩口をかすめ切ってゆく、だが俺の毛はちょっと硬いんだ、だから痛くもなんともねえ。


「うおおおおおおおおっ!!!」俺はそのまま奴の胴体へ斬りつけ……

……たが、やっぱりさっき刺したときと変わらない。鋼鉄製の盾に受け止められるのと同じ感触だ。

だがさっきの時みたいに刃は折れない、さすが名剣だけあるな。

「だから言ったじゃないかあああああ! 無駄だってねえええ」


 ああ、無駄だっていうのは百も承知してるさ、だが今度は一人じゃない。

 そしてまた再生した腕からまた鞭のような攻撃が繰り出される。あれを食らったらひとたまりもない!


「こっちだよ、バケモノさん!」その声に見上げると、ジールが崩れた柱や壁を、まるで空を飛んでいるかのように軽々と跳ね回り、撹乱していた。

 さすがサーカスの花形だな、と感心しながら俺はもう一度、効かない一撃をドールに浴びせた。何としてでもこっちに注意を向けさせないと、今度はジールが危険だ。

 ジールがナイフを投げつけはするものの、俺の攻撃同様奴の身体には傷一つ付けられない。


 ……だから、これが必要だ。

 だが、普通にこの瓶を投げつけたところで、奴の鞭のような腕に簡単に弾かれてしまうだろう。それにあいつの腕はすぐに再生する。つまり……


「とにかく距離をとって投げつけてください。この液体は強力ですから、我々の身体にちょっと付いただけでもすぐに溶けてしまいますので」

ルースはそう言ってたっけ。しかしどうやって距離をとれっていうんだ。難題だぞこいつは。

「接近して投げても危険。距離があったら逆に失敗する。どうやれっていうのさルース?」

「そこはお二人のチームワークに任せます」


 こんな危険な状況で大雑把すぎる作戦だな。


 しかもこいつは頭の上にも目があるかのように、ジールの投げたナイフはことごとくはじき返してしまうし……

 頭を使え俺……なんとか、なんとかしてこのバケモノに一発だけでも……


「きゃっ!」そんな中、ジールの短い叫び声が広間に響いた。

 細い両腕は瞬時に蔓にからめとられ、ジールはバケモノの真上で、左右に腕を引っ張られるかたちで捉えられた。


「情けないなあああ子猫さん。素早さが君の武器なんじゃなかったのかああああい?」

 まるで大広間の壁に磔にされるかのように、ジールの細い両腕が徐々に引っ張られていく。

「ぐっ……ああ……!」

「ほらほらラッシュ君。早くしないと君の大切な彼女が真っ二つに裂かれてしまうよおおおお」


 彼女じゃねえし。って話をつけたところでいったいどうすりゃいいんだ……


…………………………

………………

…………

……

 そうか!


「ジール、こっからだとお前の足元丸見えだぞ!」

「いっ……って、ええええええええええ!?」


 この言葉がバケモノと化したこいつに効くかどうかは分からない。

だが一瞬でもいい、奴の注意をそらすことができれば!

 ジールが動揺したのか、大慌てで両足をジタバタさせた。


 そうだ、この前トガリが教えてくれたことが役に立った!


「ジールは女性なんだ。だからお風呂とかでラッシュみたいな男性に身体をまじまじと見られるのが嫌なんだよ」

「なんで男に見られるのが嫌なんだ?」

「うーん……嫌っていうか、恥ずかしいんだよね。見られるという行為そのものがさ」

「恥ずかしい……?」


 そうだ、そのあとトガリに徹底的に教え込まれたんだっけ……けど俺にはピンとこなかったがな。

 でも今ならわかる、ジールは恥ずかしがってる!


「やめろ! バカ! ドスケベ! 見ないでよラッシュ!」その怒りは完全に俺の方向へと向いてはいる……

だがその直後、ジールの両腕に絡みついていた蔓が、わずかだが動いた。


 しめた、緩んできた!

 察したジールはすぐに右腕の蔓を振りほどくと、そのまま奴の頭の上へと酸の入った瓶を投げつけた。この距離なら大丈夫だ!


 ……と思ったんだが、やっぱり不安定な状態だったのか、定まらないコントロールのままほど遠い方向へとすっ飛んでいった。


 だが大丈夫だ、バケモノの意識……いや、顔も視線も瓶の落ちた方向に向いている! チャンスだ!


 俺はザイレンから奪った剣の刀身に、すぐさま酸を注いだ。

 ジュワアアア……と、瞬く間に刃は錆色に染まり、泡を立てて崩れ落ちていく。

「まだだ……まだ、まにあええええええええええ!!!」

 俺は一気にバケモノのもとへ詰めてゆき、そのまま朽ち果てつつある剣を……

「うおおおおおおおおっ!!!」

 奴の開いた口の中へと、ありったけの力を込めて突き刺した。



「がぼがぼがぼげぼげぼがぼおおおおおおおおおおおおお……」

 錆色の泡を吐き出し、バケモノと化したドールの顔はみるみるうちに溶け始めた。


 ジールは……というと、スキを狙ってうまく逃げ出せたようだ。ケガもなかったみたいだし。

 腐臭がする泡に包まれながら、溶けた顔のあたりから赤い心臓のようなものが姿を現し始めた。これがルースの言ってた核ってやつか?


「とどめ刺す?」ジールが懐から一本のナイフを取り出すと、それを俺にぽんと渡した。

「いいのか?」構わない。とジールは素っ気なく俺に返した。


 やっぱり、この前風呂をのぞいたことといい、今回のことといい、恨みが貯まってるのかな……

 なんて心の隅で思いながら、俺は一息に……


 脈打つ心臓へと、ナイフを突き立てた。


「げぼごおおおおおおお……」


 真っ赤な心臓も同様に溶けだしてゆき、やがてそれは錆色の沼と化した床に、奴の溶けた身体が沈んでいった。


「ごおおおおおおお……」


 断末魔にも似たドールの声を残し、そして茶色く臭う水たまりだけが残された。

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