第6話 ハンバーガーセット

 翌日、ベッドから起き上がると、頭痛が走った。初めて酒を飲んだのと、病院から逃げてきたという非日常の興奮。それと、一葉さんが男だったショックも相まったのか、人生最悪の寝起きだった。


「あ、やっと起きた? もう十時だよ」


 一葉さんは既に着替えを終えていた。


「すみません……」


「わたしも初めて飲んだ時はそんな感じだったし、へーきへーき。慣れればガンガン飲めるよ。あと、さっき買い物行ってきて賢治の服と靴買ってきたから。ベッドの横に置いたから適当に着て」


 一葉さんが指差した先には、下着を含めた服装一式が縦に積まれていた。着てみると、一葉さんのセンスなのか、ぼくにとっては少し派手に思えた。


「すみません、買ってもらっちゃって」


「別にいいよそれぐらい。それとも、わたしと同じ服装がよかった?」


「いえ、これがいいです」


 それにしても、と思う。一葉さんはどこからどうみても十代の女性だ。肌もきめ細かいし、髪も染めているけどツヤツヤ。声も良く通る高音。全体的に線が細く、どこを見ても男の要素がない。もしかしたら、昨日見たあれは夢じゃなかったんじゃないかとさえ思う。


 でも、一葉さんは男だった。紛れもない事実だ。それに、一葉さんが女性じゃないからって、別に困ることはなにもない。一緒に寝ても、不純異性交遊にはならない。……不純同性交友とかにはなるのだろうか?


「あの、昨日の記憶があんまりないんですけど……。なにもなかったですよね?」


「えっち」


「え!?」


「なにもなかったよ。賢治は本当にかわいいなぁ」


 ぼくらはホテルから出ると、近くのATMに向かった。個室から出てきた一葉さんの手には、分厚い封筒が握られていた。


「まさか、これ全部お金じゃないですよね?」


「ATM行ったんだから、お金に決まってるでしょ」


「どれくらい入ってるんです?」


「五十万くらいだけど」


 一葉さんが封筒を少し開け、一万円札の束を見せてきた。これまでの人生で、こんな大金を見たことがない。軽く

指で厚さを測ってみると、胸に形容し難い満足感が広がった。


「これから二人で旅するんだから、これくらいは必要でしょ」


 一葉さんは、このくらいのお金当然、と肩がけのポーチに封筒を入れた。


「さあ、お腹減ったからブランチ食べよ。賢治はなに食べたい?」


「ぼくはなんでもいいです」


「そういうのが一番困るなぁ。じゃあ、居酒屋行く?」


「それはちょっと……」


「冗談だよ。じゃあ、ハンバーガーにしよっか」


 一葉さんが近くのビルの二階にあるファストフード店を指差す。ぼくも同意し、階段を上がって店に入った。


 適当なハンバーガーセットを頼み、受け取って席に座る。ぼくがポテトを食べようとすると、手で制してきて、二人分のポテトをトレーの上に直接盛った。


「こうしたら二人で食べられるじゃん」


「お金ないから、あんまり外食しないので……」


「そりゃ悪いこと言ったね」


 一葉さんがポテトでケチャップを掬いながら小さく謝罪する。


「じゃあ、これからのこと話そっか。どこまで行こうかな」


「どこまでですか?」


「賢治もちゃんと考えて。具体的にね」


「ええっと。……沖縄とか?」


「いいね。常夏だし、過ごしやすそう」


 結構適当に提案したけど、一葉さんは意外と満足したようだ。


 沖縄なんて一回も行ったことがない。一年中海水浴ができて、景色が綺麗らしいけど、どうなんだろう。


「飛行機がいいかな? いや、途中まで新幹線に乗って風景を楽しむってのもいいな」


「お任せします」


「まったく、人任せだなぁ」


 一葉さんがスマホでなにかを調べ始める。ぼくがハンバーガーを頬張っていると、サングラスをかけた男二人組が

上がってきた。よく見ると、長袖の端から刺青がのぞいている。


 暴力団なのかな。ちょっと怖いな。と横目で見ていると、ぼくらの方に人差し指を向けてきた。男たちがこちらに歩いてくる。


 ぼくがスマホを持つ手を軽く叩く。一葉さんは顔を上げ、驚いたように目を丸くしてから、深いため息をついた。


「もう来たんだ」


「見つけましたよ、お嬢」


「探してなんて言ってないけど」


「もう総出で探してますよ。おれらが探し当てたのも奇跡に近いんですから」


「あっそう。言っておくけど絶対に帰らないから」


「そう言わずに。帰りましょう。親父さんも心配してます。例のことももうすぐですし」


「うっさいな。帰ったところで許してくれんの?」


「それは親父さん次第ですが……」


 顔見知り、しかも刺青をした男たちが一葉さんに敬語を使っている。


 ぼくが状況を飲み込めないでいると、一葉さんがジュースを持って立ち上がった。


「わかったよ。賢治、行こう」


 ぼくに手を差し出して立たせてくる。男たちがほっと表情を和らげて、「じゃあ、このお連れの方はおれらが車で

送りますんで」と言った。


 一葉さんは鼻で笑うと、ぼくの手をぎゅっと握りしめて、「行くって言ったのは、この子と一緒にだよ!」とジュ

ースを男たちの顔めがけてぶちまけた。


「走るよ!」


「え、あ、はい!」


 手を引っ張られながら階段へ走る。男たちが追いかけてくる足音が聞こえる。


「待ってください!」


「やだね!」


 階段を降りるている最中、一葉さんはポーチの中から封筒を取り出した。中の五十万円を抜き出して、店内にぶちまける。


「ご自由にお持ち帰りくださーい!」


 近くに座っていた大学生風の若者集団が、歓声を上げて一万円札を掴む。降りてきた男たちが勢いよく集団にぶつ

かって転倒した。


「どこ行くんですか、お嬢!」


「お前らがいないところ!」


 一葉さんが、べーと舌を出す。混乱状態の店から出て、細い路地裏に入り込む。背後から男たちの声が聞こえたけど、振り返らず一葉さんについて行った。


 逃げ続けること十分、コンビニの裏でやっと一息ついた。


「やっぱり、普段酒と煙草ばっかりやってる運動不足の奴らはダメだね」


「あの、一葉さんってもしかして……」


 ぼくがそう言いかけると、一葉さんは人差し指をぼくの唇に当てて、シーっと言った。


「夜にでも話すよ。正直にね」


 その時、なにかとんでもないものに片足を突っ込んでしまったのではないかと、身震いがした。

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