第7話 泣き声、止まず
(今夜もだ……)
イエリナは遠くから聞こえる猫族の泣き声で目が覚める。少し離れた街道沿いの野営。おそらくそこに町の住人が捕まっているのであろう。従者達はその耳を塞ぎながらじっと町を守っている。
この町は元々男性が少なかった。というのも猫族という種族自体が基本的に男の少ない種族であり、数少ない男が複数の妻をもち、繁栄させていくからである。
しかしここまでの戦いで多くの男が近くの小領主によって捕らえられ、いわれのない罪で殺されてしまった。イエリナの父も同様である。
女性の猫族もかなり減ってしまった。はじめは若い、弱い娘が町の外に出ているところを狙われ、それを取り返そうとした親族や友人が罠を仕掛けられて次々と人間の手に落ちた。こうして日々泣き声を聞かせているのはたまらず飛び出てきた女衆を罠にはめるためである。
これまで従者の女衆はよく我慢してくれた。これ以上戦える人員が減れば町の防衛はままならない。従者の中には親族が捕らえられたものも多かったにも関わらず、耐え忍び町の防衛に尽くしてくれている。
しかしそれも限界が来ていた。
イエリナは秘密裏に届けられた書状を開ける。そして小さくため息をついて町の住人が捕らえられているであろう野営の方を眺めた。
『町の長が小領主の妾となればこの争いの終止符を打つ』
数日前に届けられた文にはそう書いてあった。
人間の妾になる。それが何を意味するのかはイエリナにはよく分かっていた。正式な立場としては側室という扱いをうけるが、その子供が財産を受け継ぐことはない。だいたいは地方へ厄介払いされる。
そしてイエリナ自身も、まともな待遇を受けられることはないであろう。獣人族の妾がいままでどういう風に扱われてきたのかイエリナはよく知っていた。町人並みの生活ができれば良い方であり、半ば奴隷のような扱いを受けている者も多くはない。普通に考えれば到底受け容れられる提案ではなかった。
しかしそれでも町の状況と天秤にかければイエリナは受け容れざるを得ないように感じていた。毎日聞こえてくる泣き声は町の人間達をおかしくしてしまいそうであった。
(流石に……もう潮時かも知れないな)
イエリナはふと三日前に訪れた商人の顔を思い出す。会うやいきなり求婚をしてきた男。しかも人間の身でありながら猫族の嫁をもらおうとする男である。そんなぶしつけで、理解のしがたい男はイエリナも初めて見た。
(本当に変な奴もいたものだ)
イエリナは最後に男の言っていた言葉を思い出す。
『私は本気です。決して早まらぬよう、せめて五日の内は』
あれが何を示しているのか。もしやこの書状の内容をすでに察して言っているのか、イエリナには不思議でしょうがなかった。あの男、佐三がこの町を訪れてから既に丸三日経とうとしていたが男が再び連絡をよこすことはなかった。
(本当に変な奴だ)
イエリナは小さく笑う。
(思えば男にまっすぐ言い寄られたのも、これが初めてだったな……)
イエリナは自分の中に残るわずかなセンチメンタルな感情にけじめを付ける。あの男が何を言いたかったかは分からないが無意味な希望に縋り付くことはできない。自分は町の長であり、この町の人間を守る責任がある。女としての感情、ましてや一般の町娘がもつような平和な感情をもつ訳にはいかなかった。
「さあ、支度をするか」
例え妾であろうとも、せめて女として、この町の長として、誇りを持って生きよう。イエリナはそう考え、母の形見であるドレスを取り出し、試着した。
「イエリナ様?」
従者の一人であるナージャが目を覚まし、イエリナに声を掛ける。幼い彼女は眠そうな目をこすりながらイエリナを見つめている。
「ナージャ。まだ寝てて大丈夫よ」
ナージャは唯一の身寄りであった姉を捕らえられていた。そのため今はイエリナが保護して、身の回りの世話をする係として雇っている。
「イエリナ様……綺麗」
眠そうにしていた彼女はその美しいドレスを身に纏うイエリナをみて目を大きく見開く。幼くても女の子なのである。そのイエリナの姿に興奮し、もうすっかり目が覚めてしまっていた。
「まったく、完全に起きちゃって。でもナージャ、ありがとう」
きゃっきゃっとうれしそうにイエリナのドレス姿を見るナージャはお姫様を夢見る少女そのものであった。
かつてナージャの姉も一緒にいたときにはそうした笑顔はよく見せていた。しかし姉がいなくなってからというもの笑うことはほとんどなくなってしまっていた。だからそんなナージャの姿を見れたことはイエリナにとってもうれしいことであった。
「……ねえ、イエリナ様」
「ん?どうしたの、ナージャ?」
ひとしきりうれしそうにしたナージャが不意にイエリナのドレスの端をぎゅっと握りしめて質問する。
「イエリナ様も……どっか行っちゃうの?」
「っ!?」
イエリナは不意にされた質問に凍り付く。しかしすぐに微笑み「そんなことないわよ」と答えた。
「本当?どこにも行かない?」
「本当よ。私はこの町の長ですもの」
イエリナはそう言ってナージャの頭をなでる。ナージャは不安そうにイエリナをみつめていた。
(そう……私には長としての責務がある)
イエリナの覚悟は決まっていた。
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