第8話 触れ合い

 その日は朝からセイル様のご様子が変でした。

 朝ご飯を食べた後の口付けは、普段なら私が唇を離そうとしたところから更に数分は離してくれないセイル様とは思えないほどあっさりとしたものだったのです。

 不思議に思いましたが、まさか自分から『もう口付けは終わりでいいのですか?』などと聞くわけにもいきません。

 私は疑問を抱えながら、使い終わった食器を洗浄しました。


 本を読みながら過ごしていると、いつもなら食事時と同じように向かい側に座って私を観察しているセイル様が私の隣に立ちました。

 何かと思っていると、私の耳に口を近付けて、小さな声で囁きます。



「オレ様、やらかしたかもしれぬ」


「何をです?」


「この間、塔の内部をのぞく魔術が発動しておったのだ。ちょうど紅茶を飲み終えて口付けていた時だったので、怪しいものではないと証明しようとして手を振ったのだが……」


「何をしているのですか!?」


「う、うむ……すまぬ……。多分それが原因で、今、この塔に大勢が向かってきておる」


「と、とりあえず元はここになかったものを全て地下にしまいましょう! 苦しいかもしれませんが、魔術に不備があったことにして……」


「それより、こちらに来ているやつらを皆殺しにするのはどうだ?」


「やめてください」



 不満げに唇を尖らせたセイル様でしたが、しぶしぶ地下に物を運んでくださいました。

 二階には何もなくなってしまいましたが、大きなベッドが鎮座ちんざしているよりはいいはずです。

 服も着替えて、ここに連れてこられたばかりの姿になります。

 それにしても、なんというところを見られてしまったのでしょう。

 この塔には管理者の方しか入れない設定になっていましたし、そうなるとセイル様は一体何者なのかという話になるでしょう。


 というより、迂闊うかつでした。

 罪人を閉じ込めておく塔なのですから、監視の目があって当然なのに。

 何もかもから解放されたせいなのか、完全に油断していました。


 セイル様が悪魔だと知られてしまったら、私はどうなるのでしょう。

 今度こそ、処刑されるのでしょうか。

 セイル様との契約は私が死ぬまででしたけれど、死んだあと、魂を地獄に連れて行ってくれたりはしてくれないのでしょうか。

 そんなことを考えてしまうなんて、私はもう、完全に魅了されてしまっています。

 悪魔の力なのかもしれませんが、きっと違います。

 これは、私の本当の気持ち。

 人を好きになることなどないと思っていた私が、初めて好きになるのが悪魔だなんて。

 冗談みたいなお話です。


 セイル様は、私の影に隠れることになりました。

 地獄に戻られるのかと思っていましたが、そういう方法もあるのですね。



「お主を一人にするわけがなかろう」


「セイル様……」



 自然と、唇が近付きます。

 重ね合った唇は、もう何度も触れ合っているはずなのに、初めての時のように胸を高鳴らせました。


 契約を結ぶ時に触れ合って以来、私が手袋をしていたために唇以外での触れ合いはありませんでした。

 セイル様は私を気遣い、素肌同士の触れ合いを避けていてくださったのです。

 いつの間にか、セイル様も手袋をするようになっていました。

 ですから、敢えて私は、手袋のない手のひらで、セイル様のお顔を包み込むように触ります。

 セイル様のお顔が熱く感じるのは、きっと私が緊張して体温が下がっているからなのでしょう。


 いつもはセイル様の舌を受け入れるだけでしたが、今は、私から舌を出します。

 するとセイル様がピクリと反応し、それから唇を開いてくださいました。

 セイル様の舌が迎え入れてくれると思っていた私は、唇を開いたまま止まっているセイル様に戸惑いましたが、おそるおそる舌を差し入れ、口の中を舐めてみます。

 尖った犬歯、綺麗に並ぶ歯を順繰じゅんぐりになぞり、その中央に待つセイル様の舌に自分のそれを絡めました。



「……っ!」



 途端に攻守が交代し、角度を変えて深く口付けられました。

 今までじっとしていたのが嘘のように私の口内を蹂躙じゅうりんし、唾液だえきを吸い上げます。

 また、堕ちてしまいそうになる。

 私はセイル様の胸元をこぶしで数回叩きました。

 けれどセイル様は私を離してくださいません。



「セ、……ルさま……ッ」


「堕ちればよいのだ……オレ様だって、とっくに……」


「は……ふぁ……っん……」


 まるで獣が餌を貪るような口付けに、私の頭の中はぼんやりとし、だんだんと身体の力が抜けていきます。

 必死に意識が途切れないようにしながら、セイル様の服を掴む。

 ハッとしたようにセイル様が動きを止め、唇が離れました。

 どちらのものかも分からぬ唾液が離れがたいとでも言うように私たちを繋いでいます。

 私は椅子に座らされ、呼吸を整えました。



「すまぬ、また我を忘れた」


「あ、……いえ、その、私も……申し訳ありません」


「もう間もなく、やってくる」



 私がうなずく前に、セイル様は影に溶けていきました。

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