第20話 写経の話

写経の話


 以前も書いたので「またかよ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私の日々の習慣は小説の写経です。

 小説の写経とは、小説の文章をそのまま書き写すことです。高橋フミアキ氏の『超入門 名作書き写し文章術』では一日十分、手書きで小説の文章を書き写すよう推奨しています。

 私はPC で小説を書くので、書き写しもPC でやっています。小説の送り仮名や漢字の使い方は現在とは違うので、現行の送り仮名・漢字で書いています。なので文章は不正確なのですが、絵を描く人がデッサンをするような感覚で小説を書き写しています。


 小説の写経をするようになったきっかけはふたつあります。

 ひとつは二十五年前に小説を書いていたとき、読点をどこへ打てばいいかわからなくなったこと、もうひとつは四年前にやはり小説を書いていたときに、自分の語彙が不足しすぎていると感じたことです。


 私が真面目に写経するようになったのは四年前ですが、以前にも写経を続けていた期間がありました。

 二十五年前、私は自分の小説を書いていて、読点がどこに入るかわからなくなりました。ある日「読点を入れなくても文章の意味は通じるよね」とふと思った私は、文章に読点を入れることができなくなりました。

 これはまずいと思った私は、小説を写経することでそれを克服しようとしました。

 そのとき書いた小説は、石原郁子氏の『トリロジー 月の男』です。

 私が書いている小説のジャンルはBL (オリジナルJUNE)という、男同士の恋愛を題材にした物語群です。オリジナルJUNE のなかでも石原郁子氏は美しく正確な文章を書かれる作家として評価されていました。

 石原氏の小説を書き写すことで私は読点が打てない病を克服したのですが、どこに写経が効いたのかは今でもわかりません。


 「自分の文章の語彙が不足しすぎている」と感じたのは、数年間文章をまったく書かなかった直後のことでした。

 数年のブランクを経て私は小説を書き始めたのですが、自分の語彙の少なさにイライラしました。手にビニール袋を被せて作業しているような不自由感でした。

 これはまずいと思った私は、小説の写経を再開しました。

 そのとき書いた小説は、三島由紀夫の『金閣寺』です。

 それ以後私は主に文豪の小説やエッセイを写経するようになるのですが、以前ほどは文章に不自由感を覚えなくなりました。意味がわからない言葉が出てきたときはPC の広辞苑で検索するようにしていますが、どこに写経が効いたのかはやはりわかりません。なのでいまだにふつつかな文章を書いているのではないでしょうか。


 私が書いているのはBL 小説なので、作中に男性同士の濡れ場が出てきます。

 私は受け(受け身の側)の喘ぎ声を書くのが非常に苦手で、これもお気に入りのBL 作家の濡れ場を写経することですこし改善しました。

 どこに効いたのかはやはり謎ですが、「真似る=学ぶ」というのは本当だなあと実感する次第です。


 写経を続けるコツとしては、やはり好きな作家の好きな文章を書き写すことです。

 あとはなるべく無理をせずに細々と続けることです。一度に大量の文章を書くと身体に負担がかかり、書き写しが嫌になります。

 小説を書く方には、一度作品を読んでから文章を書き写すことをお勧めします。そうすると話の構造や伏線の張り方などがわかるようになります。

 一度小説を書き写したからといって、その小説を克明に覚えているかというと、そうでもありません。ネットでは、同じ文章を何度も書き写すことが推奨されていました。短編やエッセイなどはくり返し書き写したほうが効果的かもしれません。


 今回はここまでです。お付き合いありがとうございます。

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