第15話 「わかりやすく書く」へのもやもや

「わかりやすく書く」へのもやもや


 今は存在しないサイトに、BL作家のインタビューの特集がありました。私はそのサイトを参考にさせていただいていたので、どこかに特集がまとまればいいなと思っていました。

 BL作家のインタビューを拝見してよく見かけたのが、「文章をわかりやすく書く」というご意見でした。

 そして私はその「わかりやすく」を見るたびにもやもやした気分を抱いていました。今回はそんなもやもやのお話です。




 私のもやもやはおそらく、「わかりやすい」イコール「語彙が少ない」文章とは限らないのではないか、ということです。


 『高校生のための文章読本』梅田卓夫他に載っている、よい文章の定義です。


1 自分にしか書けないことを

2 誰が読んでもわかるように書く


 意外と実践するには難しい定義です。


 monokaki の海猫沢めろん先生のコラム『生き延びるためのめろんそーだん』「Q どうすれば語彙力がつきますか?」に、印象に残った一節がありました。


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 いまから十年近く前に、「國文学」という雑誌でケータイ小説が特集されたことがあります(「國文学」2008年4月号 特集 ケータイ世界)。

 ここに掲載された論文に、面白いものがありました。

 「ケータイ小説の表現は貧しいか」というタイトルで、夏目漱石の「こころ」と、当時ベストセラーでありながら文学的には軽んじられていたケータイ小説「恋空」、両者の平均文長と語彙を比較解析したものです。

  普通に考えると、重厚な純文学である「こころ」のほうが語彙が多い気がします。

  しかし、結果から言うと、「こころ」より「恋空」のほうが語彙が多かったというのです。


 このデータから導き出されるのは、「語彙」が多いから「恋空」が優れているとか、「語彙」が少ないのに重厚な「こころ」が優れているとか、そうした優劣の話ではありません。「語彙」というのはひとつの道具であるという単純な事実です。



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 『こころ』は比較的平明な文章で書かれた小説です。形容詞などの修飾語が少なく、読むと「透明な文体」とはこういうものなのかと納得します。


 渡部昇一先生の『知的生産の方法』からの引用ですが、夏目漱石は江戸時代の儒学者・荻生徂徠の文章をむやみに写し取っていたそうです。徂徠が好きで頼山陽が嫌いだそうです。

 荻生徂徠は古文辞派に属していました。古文辞派は、漢詩の場合、なるべくその時代に使用されていた文字だけを使い、語気から調子まで写し取るように努力していました。

 その百年後、市河寛斎や山本北山が「古文辞派は偽唐である」といって排斥するようになりました。頼山陽は、この反徂徠派に属していたそうです。

 漢文・漢詩にはふたつの大きな趣味の違う派があり、漱石は古文辞派の趣味を持っていました。

 頼山陽を「だれていて厭味である」と漱石が言っても、それは趣味が違っているということにすぎません。

 私には荻生徂徠と頼山陽の文章を比べる能力はないのですが、漱石が頼山陽を「だれていて厭味」と言ったことから、漱石の文章の趣味が窺えるような気がします。


 私は夏目漱石の『こころ』のような文章に憧れるのですが、自分で実践すると単なる薄い文章になってしまいます。それは私に明治の文豪のような漢文・漢詩などの思想のバックボーンがないことが原因であるように思います。

 あとは、ひとつの文章に思考の階層(レイヤー)がどれだけ重なっているかという構造的な問題もあるように思います。


 小説の文章に音楽系と絵画系の書き方があることを語っていたのは、村上春樹先生です。

 『村上さんのところ』にこんな文章があります。


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 小説の文体は、音楽系と絵画系にわかれるというのが僕の説です。絵画系の人の文章ってとても美しいんだけど、ときどき細部にこだわりすぎて、流れがふと止まってしまうことがあります。音楽系の人の文章は流れがいいのが特徴です。そのかわり細部が少し強引になることもあります。そのふたつの長所がうまくかみ合うといちばんいいわけで、僕も「そうなるといいな」と思っています。


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 私も、絵画系の作家の文章は細部まで視覚化されていて読むのが大変だと思うことがあります。

 趣味の問題ですが、私も好きなのは音楽系の文章です。


 すこし前の話に戻りますが、語彙の多さが文章の豊かさに繋がるものではないということについてのお話です。

 確かに語彙は多いほうが有利ですが、言葉が逆に文章を平らにしてしまう場合があります。

 紋切り型の表現がそれに当てはまります。


 勇壮な音楽、濃厚な旨み、芳醇な香り、哀切な響き。

 思いついたものを並べてみましたが、便利であるがゆえに内容が薄くなってしまう言葉が存在するような気がします。


 出典を忘れましたが、「その世界に仏教がないかぎり、ファンタジーに仏教由来の言葉を使ってはならない」というお話がありました。

 それは私がファンタジーには容易に踏み込むまいと思ったきっかけの文章でもあります。

 中学校の国語の参考書に載っている「仏教由来の言葉」を挙げておきます。


愚痴、玄関、堂堂めぐり、我慢、言語道断、

四苦八苦、専念、懺悔、出世、他力本願、知恵、分別、未来、退屈、律儀、悲願、無念、

後生大事


 語彙を適切に使うだけの知識がなければならないというお話でした。私は自信がありません。これだけあるとつい使ってしまいますよね。

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