第16話 治療の果てに




 すぅすぅ、と静まり返った部屋へ小さな寝息が響く。

 声の出所は、毛布と布が幾重いくえにも敷かれた床の上で身動みじろぎ一つすることなく、ただひたすらに眠り続ける少女。

 窓や隙間から差し込む日差しだけの明るい部屋は、静寂をともなって妙に寂しかった。


(とりあえず、血管の修復は終わり、っと)


 いつの間にか。

 汗が背中を濡らし、頬を滴っていた。

 少女の隣に座っていたオウルは、みにくく腫れた青い腕から手を離すと、額に乗せていた水気のない布を触る。

 それから近くにいた赤髪の少年――レオンへ話かけた。


「悪い、水を持って来てくれるか? 水はなるたけ多めで頼む」

「……わかった」


 いつもなら、フンッと鼻を鳴らしてそっぽを向くはずのレオンが、珍しく返事をした。

 それもそのはず。

 今、ミーシャとミリアの二人は急ぎの買い出しに出ており、ボロ家の中にいるのはオウルとレオンの二人のみ。

 おまけに、怪我人がいることもあって、普段の険悪な態度は鳴りを潜めているようだった。


(いつもこういう感じでいてくれたら気楽なんだけどな……)


 横に置いていた平たい桶を持ち、トテトテと小走りで去っていく。

 その後ろ姿を暖かい目で見送ったオウルは、小さく息を吐いてから、再び少女の方へ顔を向けた。


「……」


 手足は腫れているものの、やや筋肉質な体は女性特有の曲線を残して全体的にほっそりとしている。

 ただ、服装が連れて来た当時のまま。

 胸当てのように短い布の服は、至るところが破れており、丈の短いズボンも腰の部分が破けていたりと散々な状態になっている。

 おかげさまで、チラチラと見え隠れしかけている、かなり際どい場所。

 それにも関わらず。

 目の前の眠り姫は、とても穏やかな寝顔を浮かべていた。


(……なんか、エロいな)


 少女の寝相があまりにも無防備過ぎる。

 心の中に小さな罪悪感が芽生えたオウルは、おもむろに体を起こし、


「とりあえず、俺のでいいか……」


 思い出したのは、昨日洗ったばかりのくすんだ白い布。

 汚れを落とす際に、力を入れ過ぎたせいで端の方が破けた布団代わりの布。

 それを思い出して、困ったように頭を掻いた。




 ☆☆☆




 いつまでも。

 続くと思われた無音の時間は、唐突に、強く蹴飛ばされるような扉の開く音を立てて終わりを告げた。


「帰ってきたー!」

「ただいまー」


 ノシノシと踏みしめるような足音と、パサパサと擦れる乾いた袋の音。

 その中に混じるのは、ちゃぷちゃぷと揺れる小さな水の音。


「……水、持って来た」

「おう、悪いな。こっちら辺に置いといてくれ」

「……わかった」


 素っ気ない言葉と共に、水の入った桶がやってきた。

 それを顔だけで振り向いたオウルが片手を上げ、バンバンと自分の背後を叩きながら迎え入れる。

 急に慌ただしい物音に包まれた室内。

 呑気のんきな背中の前へ、ドンと桶を地べたに押し付けたレオンは少し離れた場所――少女の足元近くに腰を下ろした。


「え、何でそんなに離れるん? もうちょい近くに来てもいいんだぞ?」

「……ふん」

「えぇ……」


 いつも通りだ。

 嬉しいのやら、嬉しくないのやら。

 どっち付かずの複雑な心境に、溜め息がこぼれる。

 そんな二人の元へ、バタバタと大きな足音が近づいてくる。

 来たのは――ミリアだった。


「どうお?」

「先に治さなきゃいけないところは治した。が、ミリア。頼むから怪我人の近くでは静かに歩いてくれ。あと、ミーシャはどうした?」

「ん、食事の準備してる。スープ作るって言ってた」

「そうか。だったら、ミーシャに『味は薄めに』って頼んでくれ」

「わかった!」


 黄金色の髪を大きくひと揺らし。

 オウルの伝言を受けたミリアは立ち上がるや否や、カタカタと騒がしい台所へ足音を気にしつつ走っていく。

 その傍らで、大きな溜め息が一つ。

 少女の額から水気のなくなった布を取ったオウルは、バシャバシャと冷たい水に濡らすと、小さくしたたる程度に絞ってからそれを再び少女の額へと乗せた。


「……大丈夫、なのか?」


 一連の様子を見ていたレオンがぶっきらぼうに、けれども、どこか心配そうな面持ちで尋ねてくる。

 今は落ち着きを見せているとはいえ、少女の手足は未だに青く腫れたままになっている。

 少女の首筋を指で軽く押し、脈を計る。

 それからオウルは、台所の騒がしい物音に苦笑しながらレオンの方へ穏やかな顔を向けた。

 そして、


「意地でも治すから大丈夫。死ななきゃ掠り傷だ」




 ☆☆☆




 元来、魔法を使った骨折の治療法は荒療治ではあるが、至極簡単なモノだ。

 骨と骨とを無理矢理つなぎ合わせ、繋いだそばから流し込んだ魔力で治癒力を活性化し、強化する。

 一ヶ所だけならば然程さほど苦にもならない作業。

 だが、それが四ヶ所にもなれば話は変わってくる。

 全ての箇所へ魔力が均等に流れるよう気を配り、治癒力が落ちないように魔力をひたすらに流し続ける。

 おまけに対象は若干の衰弱状態だ。

 普段やっているような大量の魔力を一気に注ぎ込む、といったやり方は体への負担が激しくてできない。

 故に、オウルは全ての神経を細い針のように鋭く尖らせて、睨みつけるような目付きで少女と向き合っていた。


(くっ……)


 ひたり、と温い汗が落ちていく。

 あれから――治療を再開してから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 外はまだ明るいように思えたが、ふと目の端に映った火のない蝋燭ろうそくを見るに、夕刻が近いのかもしれない。

 そんなことを考えつつ。

 幾分か色の柔らかくなった少女の腕から、そっと優しく手を離す。

 そして、一拍の後に、


「やっと……終わったぁ……」


 近くに置かれていたスープの残った皿がカタンと音を立てる。

 流れるように後ろへと倒れ込んだオウルは、震える指先で前髪を払うと、周囲を見回してからニッと朗らかな笑みを浮かべた。


「これで大丈夫だ。あとは手足の調子に気を付けながら起きるのを待つだけだな」


 その言葉を皮切りに、部屋中に張り巡らされていた緊張の糸がプツンと断ち消えた。

 レオンは硬くしていた肩を下ろし、ミリアは溜めていた息を思いっきりに吐き出している。

 そんな中、恐る恐るといった様子でミーシャがオウルに話しかけた。


「あの、オウルさんは大丈夫ですか? 手がすごく震えてましたけど……」

「多分、大丈夫」


 息を深く吸い込み、ゆっくりと体を起こしたオウルは、震えたままの指先で頭を掻いて、


「あー、ミリア」

「ん、どしたの?」

「悪いけど三個ぐらいパン貰っていいか?」

「別にいいけど……パンってどこに置いたっけ?」

「あ、私が持ってくるよ」


 すがるような目を受けて、ミーシャがおもむろに立ち上がる。

 それに気を良くしたミリアは、嬉しそうに声を張り上げた。


「私も食べたいからパン四個ね! あ、あとスープも冷めたままでいいから持って来て!」

「お前さっき三個食べただろ。スープだって二回くらいおかわりしてたし、俺のも横取りして食ってたし……」

「お腹空いたんだからしょうがないじゃん」

「しょうがなくねーよ」


 反省はしていても、後悔は欠片もしていない。

 その雰囲気を感じ取ったレオンが、暗い空気を放ちつつガックリと肩を落とす。

 それを穏やかな目色で見守っていたオウルは、頃合いとばかりに手を打ち鳴らした。


「はいはい、そこまで。怪我人の近くではあんまし騒がないでくれ」

「はーい」

「……ふん」


 ミリアは口を尖らせて、レオンはいつものようにそっぽを向いた。

 どうやら普段通りの様子に戻ったらしい。

 少しの安堵に胸を撫で下ろしたオウルは、口元に穏やかな笑みを浮かべる。

 ちょうどその時、



「持って来たよー」



 大きなお盆を両手で持ち、慎重な足取りでミーシャがやって来た。

 お盆の上には、四つのパンが乗った平たい木の皿と、野菜のとろける湯気立つスープが入った木の小さなお椀が二つ。

 それを見たミリアは、口角を不敵に歪めた。


「転ばないでよねー」

「転ばないですー!」


 不穏な野次に、思わずミーシャがムッと柔らかい頬を膨らませる。

 しかしそこへ、あらぬ方向から更なる追撃が押し寄せた。


「転ぶなよー」

「転ばないってば! レオン君も不吉なこと言わないで!」

「あれ、転びそうじゃね?」

「ほわ!? オウルさんまで!?」


 ミーシャは驚愕の色に顔を染めて、だが、すぐに怒り顔で「絶対に転びませんから!」と言い切る。

 そして、結局は。


「はい、どうぞ」

「おう、ありがとう」


 何事もなくオウル達の元へ辿り着き、両手で一つ一つ木皿を配っていた。


「あ、スープはいいや。飲めなかったヤツを今飲むから」

「え、でも、冷めちゃってますよ?」

「大丈夫大丈夫。俺は落ちたヤツだろうが、人が口を付けた物だろうが何でも食えるから」

「えぇ……それはちょっと……」


 ジリジリ、とミーシャの体が僅かに後退する。

 だが、そんなことなど関係ない、とでも言わんばかりに目線を外したオウルは「ありがとう」と言うが早いか、手に取ったパンへガブリと豪快に食らい付いた。

 それを見たミーシャは、ヒクヒクと口角を引きつらせながらミリアの方へと向き直った。


「えっと、じゃあ、これがミリアちゃんのね」

「やった! ありがとうミーシャ!」


 やはり、持つべきモノは親友だ。

 顔を満面の笑みに包んだミリアは、嬉々とした姿で差し出された皿に手を伸ばし、




「「あっ」」




 温もりを宿した木のお椀へ細い指先が触れた瞬間、フッと二人の手が軽くなった。

 ポカンと口を開けたミーシャは体が強張こわばる。

 伸ばした手でくうを掴んだミリアは、落ちていくお椀を嬉しそうな瞳で追いかける。

 その先に、チラリと映ったのは――胡坐をかいた自分の足。


「ぅあっつぁああああああああああいあああああ!?」


 カタンと落ちる硬い音。

 それと共に放たれたのは、鋭い金切り声で放たれた甲高い絶叫だった。



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