第4話 『光の妖精達』




「あなたってさ、どこかのクランに入ってる?」







「ぐほっ!?」

「きゃあ!?」


 何気なく放たれた一言が、急所にあたった。

 喉を詰まらせたオウルの口から白い液体が噴き散る。

 正面にいたせいでその不意打ちを喰らった少女は飛び退くと、テーブルの上に置かれていたナプキンへ素早く手を伸ばした。


「ちょっと、いきなり何すんのよ!」

「げほっ、悪い、げほっげほっ、喉詰まらせた」

「もう! もう!」


 ナプキンで服に付いたシチューを拭う少女が強い口調で非難する。

 しかし、別の事に気を取られていたオウルは、それを右から左へと聞き流した。


(クラン? クランだって?)


 近くにあったコップを掴み、中に入っていた水を押し込む形であおる。

 少女が、何やらああだこうだと騒ぎ立てている。

 だが、目の前から飛んでくる声を雑音とばかりに切り捨てるオウルの脳内には、今し方放たれた単語だけがグルグルと駆け巡るように反芻していた。




 クラン。

 それは簡潔に言えば魔法使い同士で組むグループのようなものだ。

 これといった人数制限はなく、基本的には四、五人、または六、七人で組まれることが主で、多い場合には何十人にも人数で組まれたりすることもある。

 ただ、魔法使いという存在は自己顕示欲の強い者が多い傾向にある。

 そのため、一昔前まではクランを組まず、単独で活動することが多かった。


 しかし。


 ある時、ギルドによって割り出された統計――その数値から単独で活動する魔法使いの死亡率が年々上昇していることが判明。

 それを受けたギルドが死亡率を少しでも減らすため、クランの結成を強く推奨すると同時に、単独による活動制限を強化した、という経緯がある。

 無論、強く推奨しているだけであって、クランの結成自体は強制でなければ義務ですらない。

 けれども、クランで活動するか、単独で活動するか。

 その差は歴然としており、オウル自身もそのことに悩みを抱え始めているのが現状だった。




(よりにもよってか……)


 オウルは、思わず吐き捨てるように呻いた。

 落ち着きを取り戻せば取り戻す程、鼓動が不規則になる。

 そのせいだろうか。

 内側から重くて鈍い何かで叩かれているかの如き錯覚に、胸が苦しくなったのをオウルは自覚した。

 チラリと横目に少女を見た。

 目の前にいる少女は心配そうで、しかし、真剣な面持ちをしていた。


「私の、ううん、私たちのクランは『シャイニー妖精達テイルズ』っていうんだけど……って、聞いてる?」

「んっ、あ、あぁ、聞いてるよ。続けてくれ」

「そう? ならいいんだけど」


 無理に表情を繕い、続きを促す。

 怪訝そうに首を傾げた少女はそれでも気を持ち直したのか、コツコツと食器を擦らせながら話し始めた。

 しかし、窓から差す眩しさとは対照に、少女の顔は暗い陰が差し込んでいた。


「私さ、世界で一番の魔法使いになりたいの」

「……」

「一番好きなのが魔法だから。その大好きな魔法で一番になりたい」

「……」

「でも、クランにいるのは私だけじゃないからさ。どうせだったら皆で一番になりたいな、って私は思ってるの」

「……」

「依頼とか魔法とか色々頑張ったんだけど、この前『人数が足りない』って言われちゃって……」

「……」


 少女の口からポツンポツンと滴るように言葉が零れていく。

 その一つ一つに耳を傾けていたオウルはゆっくりと自分の皿へ目を落とした。


(なるほどね。それで俺に目を付けたってワケか)


 話は、まるで消え入るようにして途切れた。

 静寂の降りた空間に、乾いた食器の固く擦れる音が響く。

 そんな中で不意にその手を止めた少女がどこか気怠そうにするオウルへ目を向けた。


「……そういえばあなたの名前ってなんて言うの?」

「随分と唐突だなオイ!?」


 放ったツッコミはほとんど反射的に返したものだった。

 それでも深く息を吸い込み、何とか心を静めたオウルは、まとめて突き刺した野菜を口に入れて転がすように咀嚼する少女を前に、暖かい目を向けつつゆっくりと大きく溜息を吐き出した。


「普通はそういうのって自分から名前を言うもんじゃないのか?」

「別にいいじゃん。教えてよ。このご飯だって私がお金出したのよ?」

「……それを引き合いに出すのはずるくないか?」

「使えるものは何でも使うのが私だから」

「さいですか……」


 どうやら、この強気な態度こそが少女の本性らしい。

 これはまた厄介事になりそうだ、とほのかに嫌な予感を覚えたオウルは思わず渋々とした表情を浮かべた。


「オウル」

「え?」

「俺の名前はオウル・ソフィリアナ。そこら辺にいるただの旅人魔法使いだ」

「ふーん……なーんか女っぽい名前」

「ほっとけ」


 淡々とした自己紹介。

 それに対して少女が素っ気ない口調で感想を述べた。

 思わずムッとしかめっ面になったオウルがシチューの残る皿へスプーンを突き立て、残りの手で頬杖を突きながら言い返した。


「そっちの名前はどうなんだ?」

「私? 私はミリア。ミリア・ナースターって言うの。いい名前でしょ?」

「ん、あぁ、そうだな。いい名前だな。男っぽくて実にカッコいいと思うぞ」

「はぁー!? どこが男っぽいのよ! ぶん殴るわよ!?」

「ちょ、待て待て! 暴力はやめろ! まだ食事中だぞ!?」


 静寂の食堂に少女ミリアの怒声が響き渡った。

 食器を手放し、慌てて両手を突き出して諫める。

 その時、


(……ん? 『ナースター』?)


 ふとオウルの脳裏に何かが引っ掛かった。

 何やかんやと喚く声を流しつつ、自身の記憶の隅から隅までを掘り起こした。

 しかし、


(あー、ダメだ。思い出せん。なんかどっかで聞いたことあったようなないような…………気のせいか?)


 思い出せない、ということは存外どうでもいいことなのかもしれない。

 自身へそう楽観的な結論を下しては言い聞かせるようにすっぱりと思考を断つ。

 そんなオウルは思い出せないことはそのまま放っておく主義の人間だった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

「おん前落ち着けって。ここで暴れたら敷居が高くなってこの店来れなくなっちまうから。マジで落ち着け」

「わ、わかってるわよ」


 人気のない食堂にようやく静寂が戻って来た。

 肩を上下に揺らすミリアを宥め透かし、安堵の一息を吐いたオウルは心のどこかで惜しみながらも皿にあった残りのシチューを全て胃の中へ流し込んだ。


(なーんか思ったより楽しいな)


 言葉使いも、性格も、何もかもが違う。

 しかし、目の前にいるあの少女と瓜二つな少女であるミリアと過ごす時間は、想像していたよりも遥かに新鮮で、あの幸せだった頃を彷彿とさせる、不思議な時間だった。

 こんな時間が続けばいいな。

 まるで子供のようだ、と柄でもないことを考えた――その時だった。


(っ、これは……)


 身に覚えがある違和感に、オウルが顔をしかめた。

 暖かいシチューが、何故かとろりとした柔らかい舌触りだけのスープへと成り果てていた。

 溶けた野菜も。

 申し訳程度の肉片も。

 まだ残っているというのに。


(この感じ。久しぶりだな)


 自嘲気味な呟きと、降って湧いた羽の引っ掛かったような心臓の騒めき。

 思い当たる節があったオウルは、この違和感を素直に「懐かしい」と思った。

 かつて知り合いから「精神的なダメージから来る病気的な奴だろう」と訝し気な口調、珍しいモノを見るような目で教えられたのは手に力がこもってしまうくらいには記憶に新しい。

 当初は苦味の強い雑草ですら無味で、息苦しくなることも多かったが、時間の経った今ではもう既に治った――はずだった。

 それでも再発したということは。

 つまり、そういうことなのだろう。

 自身の状態を理解したオウルの顔に、憂鬱の色が濃く浮かび上がった。


(これ以上は限界、だな)


 どうやら治ったのではなく、痩せ我慢をしていただけのようだ。

 溜息を吐き、顔を俯けたオウルは両手をテーブルの上に優しく添えるように乗せた。


「で、さっきの話なんだけど」

「あー、すまん。俺、用事あったの思い出したから帰るわ」

「へ?」


 ミリアの言葉をさえぎり、おもむろに立ち上がったオウル。

 突然のことに目を丸くしたミリアは、けれども、すぐさま我に返ると立ち上がって食堂を後にする青年の背中を急いで追いかけた。


「ちょ、ちょっと! 待ってよ! いきなり帰ろうとしないでよ!」


 食堂の外へ飛び出したミリアが、叩き付けるように叫んだ。

 その声は、悲鳴にも似たあまりにも悲痛な色をしていた。

 それでも、止まることなく背中を遠ざけていたオウルだったが、


「さっき! さっきの答え! まだ、聞いてない!」


 その言葉を聴いた途端、ピタリと進んでいた足が止まった。

 耳をつんざくような声で、少女は叫び続ける。


「私たちのクランは! まだDクラスのちっぽけなクランだけど! だけどいつか絶対にSクラスのクランになってみせるから! だから!」







 ――私たちの仲間になって欲しい







 一縷の望みを掛けたミリアの言葉が夕暮れに焼かれた空へと溶けていった。

 風の音の一つもない無音が、二人のいる空間を包み込んだ。

 長く、いつまでも続く沈黙。

 だがそれは、唐突に終わりを迎えた。




「…………ごめん」




 たった一言。

 振り向かず、顔だけを横にして沈黙を破ったオウルは、ゆっくりとした足取りで再び歩き始めた。

 背中は、まだ遠くない。

 追いかければ、すぐにでも捕まえられる。

 しかし、


「…………っ」


 歯を噛み締め、小刻みに体を震わせたミリアはその場に立ち尽くしていた。

 頬に伝う暖かくて冷たい何かが、ただひたすらに地面へと舞い落ちる。

 やがて青年の小さな背中が街角の奥へと消えた。

 それでも。

 顔を伏せた少女は、声を噛み殺して泣き続けた。




 ――静かに、そして、いつまでも



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