第54話 四天王と三大天使
十一世紀に岩山を削って作られたのが、このサン=ピエール教会の始まりで、今のような姿となったのは十七世紀の事であるらしい。
この歴史ある建造物の内部は薄暗かったのだが、天井に吊るされているシャンデリアの光が室内を照らし出していた。
教会の内部には、自分たち以外に、参拝者も観光客も見止められなかったのだが、その空間内部の荘厳な雰囲気が、教会に足を踏み入れた哲人たち三人に沈黙を強いていた。
哲人たちは、青を基調としたステントグラスを背景にした、幼いキリストを抱いた聖母マリアの像を観た後で、もう一つの像の方に足を向けた。
それが、大天使ミカエルの銀製の像である。
その大天使像の前には、赤、青、緑、黄といった様々な色どりの蝋燭が並び置かれていた。
哲人たちは、キリスト教を信仰していた分けではないのだが、その厳粛な雰囲気に、完全に中てられてしまい、十五分ほどの教会滞在の間、一言も言葉を発することができず、三人が、ようやく口から言葉を出す事ができたのは、サン=ピエール教会を出て以降であった。
「なんか、教会の中では、沈黙が強制されたっていうか、息がつまっちゃいましたね」
「そうっすね、リオンさん。自分たちの他には誰もいなかったのに、声を出しちゃいけないってプレッシャーが、半端なかったっす」
「自分、先生に質問したい事があったのですが、教会の中じゃ、ちょっと口にできませんでした。今、尋ねても大丈夫ですか?」
「なんだい? リオン君」
三人は、サン=ピエール教会を出ると、数メートルだけグランド・リュを下って、右にある階段状の脇道に入った。
島の縁にあるガブリエルの塔や、サン=オベールの礼拝堂に向かうには、人でごった返しているグランド・リュを通るよりも、その細道を通った方が、すいすいと移動できる、と哲人は判断したのであった。
この道中、〈黙観〉から解放された三人は、堰を切ったように語り出した。
「先生、根本的な事柄かもしれませんが、大天使ミカエルって、サン=ミシェルと何か関係があるのですか?」
「えっと……だね。日本では『ミカエル』の名で耳馴染みがあるかもしれないけれど、ミカエルってのは、英語のマイケル、スペイン語やポルトガル語のミゲル、イタリア語のミケーレ、ドイツ語のミヒャエル、ロシア語のミハエルって人名の元になっているんだよね」
「ということは……、ミカエルの、フランス名が『ミシェル』って分けですか?」
「その通り。モン・サン=ミシェルの『ミシェル』は、まさしく『ミカエル』のことなんだよ。だから、ここはフランスだし、『大天使ミシェル』と呼ぶ方が筋かもね」
「でも、先生、ミシェルが天使ならば、どうして、『サン(聖)』ってのが名前の前についているのですか?」
「ミシェルは、たしかに、人ではなく天使で、しかも、ガブリエル、ラファエルと共に、三大天使の一人に数えられているんだけれど、カトリック教会では、ミシェルは、聖人と同じように崇敬されているので、『サン=ミシェル』って呼ばれているんだと思うよ」
「なるほど」
「で、サン=ミシェルは、守護者であるが故に、山頂や建物の上に像が置かれているんだよね」
「ムッシュ、その像に関して、自分、むっちゃ気になった事があるんすよ。さっきのサン=ピエール教会の像もなんすけど、『大天使ミシェル』って、何かを踏んずけているじゃないですか?」
「そうだな」
「あれで思い出したんすけど、中学の修学旅行の時に奈良の東大寺で観た、四天王の仏像も何かを踏んずけていて、神様が踏むんかよって、中坊の自分には、衝撃的だったんすよ」
「東南西北の守護神の持国天、広目天、増長天 、多聞天だな。踏んずけているのは、確か、邪鬼(じゃき)じゃなかったかな?
東大寺の四天王像は国宝で、奈良時代、八世紀半ばのものだったはず」
「ムッシュ、それじゃ、大天使ミシェルが踏んでるのって何なんすか?」
「自分が観た絵画だと、堕天使の場合もあったかな。だけど、モン・サン=ミシェルの大天使ミシェル像が踏みつけているのは竜だと思うよ。きちんと調べたわけじゃないから、推測になっちゃうんだけれど、『ヨハネの黙示録』の大天使ミシェルとドラゴンの戦いがモチーフになっているんじゃないかな?」
「なるほどっす、ムッシュ。正確なことは資料に当たらないと分からないかもですが、少なくとも言い得る事は、仏教とキリスト教って影響被影響関係とかなさそうなのに、四天王とか三大天使とか、仏教の守護神や、守護者である大天使の像が、同じように、邪鬼とか邪竜を踏みつけている構図になっているのって、なんか興味深いっすね」
「かの大天使ミシェルって、背中に翼を広げて、甲冑を身に着け、右手に剣、左手に秤を持って、天使の軍団の先陣を切っているって感じで、自分にとっては好戦的なイメージなんすよね。ドラゴンとの戦闘もその一例かもしれませんが」
「サンダー、それって、さっきのサン=ピエール教会入口にあったジャンヌ・ダルクのイメージとも重なるな」
石造りの建物と建物の間の細道を通りながら、哲人は、若者たちの知的掛け合いを、教師然として微笑ましく眺めていたのであった。
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