第41話 モン・サン=ミシェルと嚴島神社
公共の交通機関を利用して、レンヌ駅からモン・サン= ミシェルに行く場合、レンヌから日に数本出ているバスを利用することになる。その本数は時期によって変動し、一日につき二本の場合もあれば、三本の場合もある。
いずれにせよ、モン・サン= ミシェル行きの終バスは〈十二時四十五分〉であり、昼間にモン・サン= ミシェルを十分に堪能せんとするのならば、午前中に出発する便を使うのが〈メイユール(ベター)〉であるように思われる。
パリのモンパルナス駅の窓口で、モン・サン=ミシェルに行きたい事を伝えると、このレンヌ発のバスと連動した、適切なTGVを窓口の駅員が薦めてくれるので、列車もバスも、チケットを買うのは実は非常に簡単なのだ。
ただ、TGVは全席指定なので、状況によっては、バスと連動した最適な便が満席の事もあり得る。
ただし、レンヌ発のバスは指定ではなく、自由座席で、レンヌで、モン・サン=ミシェル行きの乗車券を十五ユーロで購入する事も可能なのだ。
仮に、バスの乗客数が多い場合には、増便してくれるので、レンヌからバスに乗れないという事もない。
こういった次第で、蛇石理音(偽名、石音理一郎)、愛称〈リオン〉が、パリで、モン・サン= ミシェルまでの乗車券が買えなかったのは、あくまでも指定制のレンヌまでのTGVの話であって、レンヌ発のバスに関しては、問題なく、乗車券を買う事ができたのだ。そして、リオンは、バスが自由座席である事の利点を活かし、哲人と雷太の近くの席に身を置き、ドン・シンイチの指令通りに、二人の旅に同行する事に成功できたのであった。
*
これが〈合縁奇縁〉の〈合縁〉というものであろうか。
雷太こと〈サンダー〉とリオンは出会ったその瞬間に気が合ったらしい。まこと、人と人との気心が合う合わない、というのは、不思議な〈縁〉によるもので、まるで、前世において莫逆の友であったかのように、知り合ったばかりとは思えないほど、若い二人は意気投合して、楽し気に語り始めていた。
「有栖川先生」
哲人がそんな人の縁について考えていると、リオンが突然声を掛けてきた。さすがに、リオンは、哲人を「ムシュー」と呼ぶのは未だ躊躇いがあるようだ。
「なんだい? リオン君」
「今、サンダーと話していたのですが、これから自分たちが向かうモン・サン=ミシェルについて、〈誰もが生涯に一度は訪れたい世界遺産ナンバー・ワン〉という事以外、あまりよく分かっていなくて、もし、よろしければ、道中、先生に講義をしていただけないか、と思いまして……」
「ムッシュー、シル・ヴー・プレっす、自分からもお願いっす」
「サンダーは未だしも、リオン君に頼まれたら、無下にはできないな」
「自分は『未だしも』って、ムッシュー、イケずっすよ」
「悪い、悪い、それじゃ、今から、一講義ぶちますか」
レンヌから、モン・サン=ミシェルまでは、およそ七十分の道行である。かの世界遺産について、さわりだけならば、語るには十分な時間であろう。
気持ちを講師モードに切り替えるために、一拍、音にならない手拍子を小さくした後、咳ばらいをして、哲人は、かくの如く話を始めたのであった。
「サンダー、リオン君、広島って行った事ってあるかい?」
「自分は残念ながら、ありません」
とリオンが応じた。
「自分はあるっす。修学旅行が広島でした」
「宮島の嚴島神社は行ったかい? サンダー」
「ウイっす。修学旅行の泊まりが、実は宮島でした」
「で、その宮島に渡るにはフェリーを使うんだけれど、宮島に着いて、フェリーの改札から出ると、出口のほぼ正面に、模型が並び置かれているんだよね」
「先生、何の模型ですか?」
「一つが広島県の嚴島神社で、そして、もう一つが……」
「分かったっす、ムッシュー。それがモン・サン=ミシェルなんすね」
「セ・ビヤン・サ(その通り)だよ、サンダー」
「先生、何故、宮島にモンサンミシェルの模型があるのですか?」
「一八五八年に、日本はフランスと国交を結んだんだけれど、その百五十周年の、記念の年である二〇〇八年が〈日仏観光交流年〉とされて、日本でもフランスでも、様々な観光キャンペーンが展開されたんだよね。で、その時に、フランスに紹介したい日本の観光地として選ばれたのが、〈宮島〉だったんだよ」
「へえええぇぇぇ〜〜〜、そうなんすね。そういえば、自分が宮島に行った時も。沢山の外国人観光客の姿を見かけたっす。その中に、もしかして、フランス人もいたのかな?」
「可能性は高いね。実際、僕が宮島に行った時、フランス人の観光ツアーに出会したんだ」
「先生、どうしてフランス人って分かったのですか?」
「嚴島神社にいた時に、突然、フランス語が耳に入ってきたのですよ。
で、仕事柄、フランスと関わっているので、なんか妙に嬉しくなって、そのフランス人ガイドさんに、思い切ってフランス語で話し掛けてみたのですが、実は、冷たく対応されちゃいました。まあ、いきなり日本で、日本人がフランス語で話し掛けてきたので、さすがに、ちょっと怪しいって思われちゃったのかもしれませんね」
「ハハハ」
「ムッシュー、他に何かおもしろエピソードってなかったんすか?」
「そうだな……。嚴島神社では、フランス人と思しき御婦人が、御朱印目的で列に並んでいるのを見かけた事もあったね。その時は、フランス人の中にも、御朱印を集めている人がいるのかって、純粋に感激したね」
「なるほどっす、ムッシュー。嚴島神社は、ユネスコの世界遺産にも登録されていますし、フランス人にとって、魅力的な観光地の一つになっているんすね」
「先生、それでは、何故、フェリー・ターミナルには、嚴島神社とモンサンミシェルの模型があったのですか?」
「あっ、それは、嚴島神社のある広島の廿日市市と、モン・サン=ミシェルのあるモン・サン=ミシェル市が、二〇〇九年に観光友好都市として提携を結んだからで、その模型は、その姉妹都市締結を記念して、作成された物なのですよ」
「なるほど。でも、どうして、モン・サン=ミシェルなんですか? 先生」
「そっか、リオン君は、宮島に行った事がないんだよね。モン・サン=ミシェルについては結構詳しい?」
「お恥ずかしながら、世界遺産という事以外、ほとんど何も知りません」
「分かった。じゃあ、初の初から語ろうか」
「お願いします」
そう言って、哲人は、その地理や歴史も絡めて、モン・サン=ミシェルについて丁寧に説明し始めたのであった。
「サン・マロ湾上の小島のモン・サン=ミシェルも、嚴島神社と同じ様に、一九七九年にユネスコの世界遺産に登録されたのですよね」
「両方とも、世界遺産なのは分かりました。でも、それだけで、姉妹都市になるのですか? 何かキッカケというか、共通点とかないのかな?」
「それ、良い気付きですよ、リオン君。
〈西洋の驚異〉と呼ばれているモン・サン= ミシェル修道院、その名称の〈モン〉は〈山〉って意味で、〈サン=ミシェル〉は固有名詞なので、直訳すると〈サン= ミシェル 山(さん)なのですよ」
「ムッシュー、そんな風に訳すと、〈山本山〉みたいっすね」
「ぷっ!」
ツボにハマったのか、リオンが噴き出していた。
「先生、そのサンミシェルって、どんな人物なのですか?」
「〈ミシェル〉っていうのは、要するに、〈michel〉のフランス語読みで、日本では〈ミカエル〉って言った方が、通りがよいかな?」
「「大天使ミカエルっ!」」
「その通り。
七〇八年、アヴランシュの司教であった聖オベールという人物の夢の中に、大天使ミカエルが現れて、周囲九百五十メートルの〈トンプ山〉という岩山の上に教会を建てよ、そのようにミカエルが御告げをしたらしいのですよ」
「先生、それが、モンサンミシェルなのですね」
「その通り。だけど、モン・サン= ミシェルは、歴史の中で、単に宗教施設としてのみ使われてきたわけではないのですよ」
「どういう事っすか? ムッシュー」
「十四世紀から十五世紀にかけての英仏百年戦争の時には、対イングランドの軍事要塞として利用されたんですよ」
「修道院が要塞っすか? なんでですかね?」
「イギリス海峡に面しているから、地理的に戦略的価値があったんじゃないかな」
「なるほどっす」
「百年戦争後には修道院としての本来の役割を取り戻したんだけれど、時が流れて、十八世紀末、フランス革命の時には、破壊と略奪の憂き目にあい、その後、修道院は解散する事になったんだ。でも、建物自体は別の目的で使われる事になったんだよね」
「先生、どんな目的ですか?」
「牢獄」
「えっ、元修道院が牢獄っ!」
「そうなんだよ、リオン君。
つまり、どういう事かというと、海に面したモン・サン=ミシェルは、潮が引いた時には確かに陸続きになるんだけど、逆に、潮が満ちた時には、海に浮かぶ孤島と化しちゃうんだよね。その結果、モン・サン=ミシェルは、脱出困難な〈海の牢獄〉として利用される事になった次第なのですよ」
「修道院が軍事要塞になって、さらに牢獄って、人に置き換えたら、波瀾万丈の生涯ですね」
「あっ、自分、モン・サン=ミシェルと嚴島神社の共通点、分かっちゃいました、ムッシュー」
「言ってみ、サンダー」
「嚴島神社のウリって、海の中の大鳥居っすよ。でも、朱色の鳥居って、一日中ずっと海の中にある分けじゃなくって、潮の満ち引きによって、海にあったり、陸にあったりしてたんです。修学旅行で宮島に泊まった際、自分、潮が満ちた時の海上の鳥居も、潮が引いた時の砂上の鳥居も両方観たっす。で、干潮の時に、砂上を歩いて、鳥居の下まで行ったんすよ」
「先生、サンダーの思い出話で自分にも分かりました。
嚴島神社とモンサンミシェルという、日仏の世界遺産が姉妹提携しているのは、潮の満ち引きによる状況の著しい変化って特異性が共通点になっているからなんですね」
「その通りだよ。
特に、潮が満ちた時に海上に浮かんでいるかのような、モン・サン=ミッシェルに、一時間足らず到着する事になるわけだけれど、その荘厳さがどんなものかは、その肉眼で視認してね」
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