第32話 モンパルナスとモン・サン=ミシェル
有木雷太は、駅入口の全面がガラス張りになっている、近代的なモンパルナス駅の前に立っていた。そんな雷太の目に、次の三つのフランス語の単語が入ってきた。
SNCF
Gare
Montparnasse
〈SNCF(エス・エヌ・セ・エフ)〉というのは、日本の〈JR〉のような略語で、正式名称はソシエテ・ナショナル・シュマン・ド・フェールで、前半の〈SN〉は国営会社、後半の〈CF〉は鉄道を意味する。
〈Gare(ギャール)〉は、駅という意味で、ちなみに、フランス語には、英語や外来語のように、駅を意味する〈station(スタシィヨン)〉という単語もある。しかし、こっちはフランス語では、メトロなどの駅を指して、〈ギャール〉の方は、パリと地方を結んでいるような、中・長距離列車が発着する駅、例えば日本で言うと、東京駅や新宿駅のような大きな駅を意味する。
そして、最後の〈Montparnasse〉は、この駅が位置するパリの地名である。
その名は、ギリシャに在るパルナソッス山に由来している。
そもそも、〈mont〉は〈〜山〉という意味で、これに固有名詞を付けて、日本の富士山は、〈le mont Fuji〉というように表記し、また、ギリシャのパルナソッス山は、フランス語では〈Mont Parnasse〉と記述する。つまり、パリのこの地名は、本来別々の単語が一語化したものなのだ。
まあ、これらのフランス語の知識は全て、一年の時のフラ語で、今、隣にいるムッシューから教えてもらった事なんだけど、ね。
とまれ、大学で習ったことを、こうして実際に目にすることができた事に感激している雷太であった。
知識と実体験が繋がった感覚を覚えた雷太は、思わず笑みを漏らしていた。
「どうした? サンダー、ニヤニヤしちゃってさ」
「いや、一年の時に、ムッシューから教えてもらった、フラ語の略語とか、〈ギャール〉と〈スタシィヨン〉の違いとかを、思い出してたんすよ。
それと、昨日の、横文字の日本語表記に関する話も興味深かったすね」
そう言いながら、雷太は、一枚のメモ用紙をボディーバックから取り出したのであった。
*
昨晩、ブロカ通りのアパルトマンにて、雷太は哲人に、フランス語の日本語表記の仕方について、こんな問いを発したのであった。
「ムッシュー、質問いいっすか?」
「おっけい牧場」
「〈Mont Saint-Michel〉に関してなんすけど、日本で色んな本やサイトを見ていて気付いちゃったんすよね。表記にバラつきがあるんすよ。実際の所、どう書くのが正しいんすか?」
哲人は、咳ばらいを一つすると、教師然として説明を始めた。
「例えば、僕たちが明日、鉄道に乗るモンパルナスは、元々は、ギリシャのパルナッソス山に由来しているんだけれど、モンとパルナスの間があいていないから、日本語表記は〈モンパルナス〉で、問題ナッシング。
これに対して、〈Mont Saint-Michel〉は、音だけで考えるのならば、〈モンサンミシェル〉だから、どう記述しても問題はないかもしれない。音だけならね。
だけど、フランス語のスペルを参照すると、本当は三つの単語から成っているんだよ。
学術書においては、二つの単語で一つの意味を成している場合には、単語の間に、中点(・)を入れるのがルールなんだよ」
「ところで、ムッシュー、スペルにある短いハイフン(-)は何すか?」
「言葉ってのは、名詞を修飾できる品詞ってのは形容詞なんだよ。だけど、名詞を他の品詞、例えば、名詞や副詞で修飾したい時には、形容詞以外の語で名詞を修飾しているぞっていうスペル上のマーカーとして、半角のハイフンを入れるんだよ」
「その場合は、日本語表記は、どうするんすか?」
「単語と単語の間にハイフンがある場合には、日本語表記では、半角のイコール〈=〉を書き入れるのさ。
だから、音では変わらなくとも、モンサンミシェルも、モン・サン・ミシェルも、元のフランス語に基づいた表記という点では間違いになるのさ」
「とういうことは?」
そう問われた哲人は、ライティング・デスクの上に置いてあるブロックメモの一枚目に次のように書いた。
Mont Saint-Michel
モン・サン=ミシェル
「つまり、こんな風になるんさ。たしかに、音だけで考えれば、どんな風に書いても分かるかもしれないけれど、〈・〉や〈=〉ってのは、元のフランス語のスペルがどうなっているのかを示す記号なんで、その日本語の表記が適当だと、元のスペルの構成が分からなくなるので、外国語を生業にしている僕に言わせると、こおいった点にも、もう少し意識的になって下さいよって思っちゃうわけ」
「なるほど、だから、モンパルナスの場合、同じく〈Mont〉って単語が入っているのに、一語化されているので、日本語だと点もハイフンもないんすね」
「納得できたか、サンダー?」
「ウィっす。そのメモ用紙、もらってもいいっすか?」
「もちのロン」
そう雷太に強請られて、哲人は、教え子に、一番上のメモ用紙を手渡したのであった。
「あっ! 下敷きをするの忘れていたんで、下のメモ用紙に写っちゃってるわ」
「ムッシュー、筆圧強いっすね」
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