第Ⅰ章 真夜中のパリ

第10話 エグザゴーヌへの無地着とパリ初日の夜

 日本とフランスの時差は八時間、例えば、東京の羽田空港を日本時刻の午前十一時に出発したとする。東京からパリまでの飛行時間は十二時間四十五分なので、パリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港に到着するのは、東京時刻の二十三時四十五分、これは、パリ時刻の十五時四十五分に当たる。つまり、昼前に日本を出発する便を利用すれば、日本時刻の深夜に当たるものの、フランス時刻の夕方にパリに到着することになるのだ。


 なるほど確かに、夕方にパリに到着する便に乗った場合には、到着したその日から即座に行動を開始することができず、観光日が一日つぶれてしまい、もったいなく思えてしまうかもしれない。

 だがしかし、有栖川哲人(ありすがわ・てつと)は、大学生時代から、大学講師になった今に至るまで、経由便を利用したり、深夜出発の直行便を利用したり、何度も、日本とフランスを往復してきた経験によって、日本からフランスに入る場合、昼前に出発する直行便を利用した場合こそが、時差ボケによる肉体への負担が最も少ないという結論に達していたのである。


 巨視的に見れば、これこそが、〈ル・メイユール(最良の)〉選択なのだ。

 肝要なのは、約十三時間もの長時間に及ぶ移動中に、眠らないことである。

 眠ってしまった場合、つまるところ、昼寝と同じように、夜、眠れなくなってしまい、せっかく、フランスでの起床・就寝時刻を調整するために、最適な飛行機を選んだのに、これでは元の木阿弥になってしまう。

 哲人は、機内では、眠気を催さないように本は広げずに、立て続けに映画を五本観て、間歇的に訪れる眠気をコーヒーをがぶ飲みすることによって打ち払い、日本を飛び立ってから約半日を経た今、その視野に〈エグザゴーヌ〉を収めているのである。


 〈エグザゴーヌ〉とは、英語や外来語では〈ヘキサゴン〉に相当する。つまり、六角形のことだ。フランスの形は六角形に近い形状をしているので、フランスには、このような二つ名が与えられているのだ。ちなみに、細長い形をした隣国のイタリアは、その形が長靴に似ているので、フランスでは〈ボット〉と呼ばれている。これは、英語のブーツに相当する。


 シャルル・ド・ゴール空港に無事着した後、荷物を引き取った哲人は、〈ロワシー・ビュス〉に乗って、一路パリに向かうことにした。これは、シャルル・ド・ゴール空港とパリのオペラ・ガルニエ、いわゆる、オペラ座の間を往復しているシャトルバスである。

 このシャトルバスの運賃は、わずか十一ユーロ(一ユーロを百三十五円換算した場合、約千五百円)で、昼間は十五分間隔で運行しており、その所要時間も一時間超、つまり、空港とパリ間の移動において、最も利便性の高い交通手段の一つなのである。

 しかも、第二区と第九区の境界にあるオペラ座が位置している〈オペラ座界隈〉とは、日本人街が在る地域で、そういった意味においても、日本から到着したばかりの者にとって、この〈ロワシー〉は、実に都合がよい交通手段なのだ。


 オペラ座界隈の日本人街には、哲人の友人が営んでいる店があり、その友人は、パリに幾つかアパルトマンを所有し、それを、パリ滞在者に賃貸している。哲人が、これから二ヶ月に渡るパリ滞在の拠点にする予定の物件は、そのパリ在住の日本人経営者から借りる算段になっていた。

 それゆえに、友人の店に立ち寄って、貸し部屋の鍵を借りると、友人とは、後日、会食する約束をして、眠気を催し始めた頭を左右に軽く振りながら、オペラ座付近のバス停へと哲人は向かったのである。


 セーヌ河右岸にあるサン=ラザール駅から、オペラ座を経由し、セーヌ河を渡って左岸に入り、カルチエ・ラタンを通過して、中華街があるパリ十三区の端に位置しているポルト・ドゥ・ヴィトリーを結んでいるバスの路線、それが〈二十七番〉である。

 哲人は、メトロよりもバスを利用することを好んでいる。

 というのも、地下鉄は便利ではあるものの、景色を楽しめない単なる移動手段に過ぎない。これに対して、バスは、移動の際に市内の風景を楽しむことができる。

 哲人の宿泊先へは、オペラ座界隈からメトロの七番線を使って移動もできるのだが、哲人がバスの二十七番線を利用したのは、五年ぶりに訪れたパリの風景を味わいたかったからである。


 時は、パリ時刻の十八時頃であった。


 日本を発つ前にネットで調べたところ、パリにおける二月の日の入りは、二月一日が十七時四十九分、二十八日が十八時三十三分であった。

 哲人がスーツケースを転がしながら、オペラ座近くからバスに乗り込んだのは日が沈む直前のことであった。

 バスに乗車した哲人は、座席と座席の間に隙間を見つけて、そこに荷物と自分の身を置き入れ、それから、バックパックを体の前に抱えながら、窓から外に視線を遣った。


 二十七番線のバスは、ルーヴル美術館の傍を通ると、セーヌ河沿いに進んでゆき、ポン=ヌフ(新橋)を渡って、セーヌ河に浮かぶシテ島に入ると、ノートルダム大聖堂を視界に収めながら、プチ・ポンを渡ってシテ島を出ると、パリの左岸に入った。

 ちょうとその時分、濃い橙色の光が、セーヌ河とその周囲を染め上げようとしていた。夕陽が照射していたのは、懐かしきセーヌ河畔とそこに立ち並ぶ青空書店の緑の小屋である。

 やがて、左岸に入ったバスは、サン=ジャック通りを取って、カルチエ・ラタンに入ると、クリュニー中世美術館とソルボンヌ大学の傍を通り、そこから、ゲ=リュサック通りを経て、バスは、クロード・ベルナール通りを進んで行った。

 そして、哲人は、このクロード・ベルナール通りがモンジュ通りやゴブラン通りに交差する辺りでバスから下車したのである。 


 哲人が、短期滞在用に借りた部屋のある建物は、第五区と第十三区との境界近くに位置しているブロカ通りで、そこは、クロード・ベルナール通りに接している細い路地の若い奇数番地に位置していた。


 哲人は、コード番号を打ち込んで、建物の重い扉を開けた。

 この建物は非常に古く、そこに無理矢理にエレベータを取り付けたせいで、エレベーターの奥行きは人一人が、壁に張り付いたような姿勢で乗れる程度の幅しかなく、その昇降機では、スーツケースを上階に運ぶことは不可能であった。

 それゆえに、哲人は、〈ステュディオ〉、つまり、ワンルームの部屋がある五階まで、階段を、息を切らせながら登るしかなかったのである。


 そして――

 スーツケースの荷解きをし、研究と講義準備用に持ち込んだ本を、貸し部屋に常備されている本棚に並べているうちに、重い荷物を持ち運んだ疲れも手伝って、哲人は、早々に深い眠りに落ちてしまった。


 哲人がパリ初日の夜に見た夢は、持ち込んだ本の影響か、紀元前のエジプトのアレクサンドリア図書館の火災に纏わる夢であった。

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