第9話 現場検証
食事を終え、各々がそれぞれに過ごすことになったが、口数少なめに部屋に戻る人が多かった。
ナオも例外ではなかったが、二十四時間共にしなければならないリチャードは、ステラと何か話した後、キッチンにこもっている。
「お待たせ」
「料理してたんですか?」
「まあね。それじゃあ行こうか」
ラップに包まれてるのはサンドイッチだ。夜食だろうか。
リチャードに背中を押され彼の部屋に入ると、途端に緊張が足下から駆け上がってくる。
映画を観たときもほぼふたりきりだったが、しっかりと鍵のかかった部屋となると背中から汗が吹き出してくる。
そんなナオの様子も気にも止めず、リチャードはデスクにサンドイッチを置いた。
「まだ食べられそう?」
「え?」
「小鳥が食べるくらいの量しか口にしていなかった気がするが」
「あ…………」
「ここなら安全だし、トマトスープもない。俺がシャワーを浴びている間に食べて。ミネラルウォーターはそこの小型の冷蔵庫にある」
「ありがとうございます」
トマトスープの件も、彼には悟られていたようだ。
リチャードは上のジャケットを脱いで、シャワールームの中へ入る。
リチャードが使う部屋の間取りは、セシルの部屋とほぼ同じだった。大きなベッドが一つしかなく、彼は何も言わなかったが間違いなく同衾となる。
「え…………」
気になってしまいガラス張りのシャワールームを見てしまった。
カーテンがあるのに、リチャードは閉めずに上半身裸だ。鍛え抜かれた胸筋が露わになり、ナオは凝視して目が離せなくなる。
「…………あっ、ごめんなさい!」
ばっちり目が合い、ナオは慌てて謝る。ガラス越しに、リチャードが笑っているのが見えた。
リチャードはカーテンを閉めると、ほっと息を吐いてサンドイッチに手を伸ばす。気分を変えるためにも胃を満たすためにも有り難かった。
中身はツナマヨネーズとブロッコリーが入っていた。時折、大きめのブロッコリーが当たったりして食感も楽しめる。
実はナオはお腹が空いていた。作ってくれたトマトスープがまさか血と重なって食べられないとは言えず、食欲がないとしか言えなかったのだ。
食べ終わる頃にリチャードはシャワールームから出てくるが、今度はちゃんと上半身もシャツを身につけていた。
「あの……サンドイッチごちそうさまでした」
「美味しかった?」
「はい。ブロッコリーがいろんな形をしていて、マヨネーズとよく合ってました」
「……みじん切りにしたつもりだったんだが」
「ご、ごめんなさい……」
「いや……君が知っての通り、料理はご覧の腕前だよ」
「あなたにも苦手なものがあるんですね」
「そんなに器用に見える? 全然だ。恋愛にも臆病だし」
「それは意外すぎます……」
「長年付き合ってる人もいないしね。君は?」
「……恋人は、いたことがないです」
ゲイだと話した以上、どうとでもなれと正直に言った。
リチャードの反応は、予想外のものだった。
「それこそ意外だ。男性でも女性でも、放っておかないタイプに見えるよ」
「ええ? 僕がですか? 初めて言われました」
「賢そうな顔つきと落ち着いた雰囲気かな。とても魅力的に見える」
「それは……ありがとうございます」
火照った顔を隠す意味もあり、ナオはシャワールームへ駆け込んだ。
当たり前だがシャンプーやトリートメントも使用した跡があり、下半身が疼くのを感じた。
そっと手を伸ばすと、熱が伝わってくる。擦る前に、ナオは意識を取り戻して冷たい水を出す。身体にかけると、下から体温が冷えていくのを感じた。
「こんなの……ダメだよ」
そもそも家ではないのだ。生理現象とはいえ、人様の家ですべきではない。初恋の人も側にいると考えると、急激に平温に戻っていった。
シャワールームから出ると、ノートパソコンを取り出し何か作業をしていた。
「メールだよ。万が一のことがあったときのために、まとめて送っておこうと思って」
「万が一ってなんですか?」
「殺人はここで終わるのか、二度目があるのか誰にも分からないんだ。口封じのために狙うなら俺だ。だから……」
「万が一でも、聞きたくないです。あなたに何かあったら……僕……」
「ナオ…………」
リチャードはナオの肩に手を置こうとしては止め、優しい手つきで触れる。
「そうだ。思い出したことがあるんです。アビゲイルのことなんですが……」
「どうした?」
ナオは昨日の深夜に起き、ドアの隙間からアビゲイルの後ろ姿を見かけたと話す。
ただ、だんだん話していくうちに、ナオは自信がなくなっていった。寝ぼけ眼状態で姿を見たのだ。夢である可能性もゼロではない。
自信のなさから目が挙動不審になるナオに、リチャードはいくつか質問を重ねていく。
「それは何時頃だった?」
「確か……三時か四時……ごめんなさい。はっきりしていなくて」
「いや……彼女は深夜に起きたとは何も言わなかった。深夜のことを聞いたのに黙っていたのは不自然だ。この話を他の誰かに話した?」
「いえ、誰にも。同室だったセシルは寝ていたし、彼にも言ってません」
「そうか。こういう情報は助かるよ」
「明日は現場検証ですか?」
「ああ。人がいればそれぞれ役割分担して今日一日でできたんだけどね。君は部屋に入らなくていい。外で待っていてくれたら」
「何もできることはないですけど……中に入るのはちょっと怖いです」
「無理はしなくていいから。さて……そろそろ寝よう。なかなか寝つけないかもしれないが。君が奥へ行ってくれ」
ベッドは一つしかない。当たり前だが、やはり一緒に寝るようだ。
シャワーで冷やしたはずの身体が再び熱を持ち、動かない足に鞭を打って布団に潜る。
大きな身体が隣に寄り添い、ナオは緊張で息をするのもひと苦労だった。
「あの、」
「ん?」
「別荘の鍵って誰が持ってるんですか?」
「父だよ。金庫に入れて、番号は俺と父が管理することになった」
「犯人は名乗り出てくれるでしょうか?」
「さあてね。逆上させないようにし、犯人を突き止めて警察に渡すのが今できる最大限でしかない。一番恐ろしいのは、次の犠牲者が出てしまうことだ」
「……そうですね」
恐怖に満ちた屋敷にいるはずでも、寝られないと思っていたはずなのに不思議と瞼が重くなってくる。
瞼が閉じきる前に「おやすみ」と聞こえたが、ナオは返事をできずに寝息を漏らした。
次の日からは、リチャードの捜査が始まった。
一階のリビングで本を読む者、映画を観る者と様々だが、昨日リチャードが口酸っぱく一人行動はするなと言ったせいか、皆おとなしくそれぞれを過ごしている。あるいは疑似警察を体験しているのかもしれない。穏やかに過ごしているように見せかけ、内心では誰が犯人かを探っている。
「さあ、行こうか」
「はい」
キッチンで手袋を借りて、ナオはリチャードと共に二階へ上がる。足取りが重い。響くのはナオの足音だけで、リチャードはほとんど足音を鳴らさないことに気づく。真似をして音を立てないようにするも、彼のようにはいかなかった。
元ナオの部屋の前に来ると、リチャードは複雑そうな顔をする。
「布で包み、見えないようにしてあるから心配はいらない」
「そ、そうですか……。被害者も、あなたの配慮に感謝していると思います」
「そう言ってもらえると、少しは役に立てたのかと思えるよ。この仕事は人から罵倒されることが多くてね。堪えるときがある」
「あなたは頼りになります。指揮を取ってくれる人がいないと、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』状態になる可能性だって……」
「本で読む分には名作だが、封鎖された空間で起こるとなるとたまったもんじゃない。そうならないようにするのは俺の仕事だ。開けるぞ」
生温い風にに鉄のような臭いが混じり、ナオは顔をしかめた。見てもいないのに残虐性のある行為を想像し、立っているのがやっとだった。
リチャードはリモコンを取ると、画面をじっと見つめた。
「ここのリモコンは弄ったりした?」
「いえ、まったく触れてないです。それ、そこにありましたっけ……?」
「俺の部屋のリモコンは机の上に置かれていた。どの部屋もそうなんじゃないかな」
冷房のリモコンはベッドに投げ捨てられていた。まるで誰かが弄ったかのようで、分かってはいるのに気味が悪い。
「最低温度になってる」
「誰かが使ったんでしょうか……」
「ありえるな」
リチャードはその他に、ベッドや机の中、バスルームなどを調べていく。
「バスルームは使用していないって言ってたけど、カーテンも閉めてない?」
「触れてもいないです」
セシルの部屋に移動する前と比べると、カーテンは乱雑に閉められているようにも見える。しかもまだ湿り気があった。
マットの下も念入りに調べると、リチャードは行こうと背中を押す。
「彼はいいんですか?」
「ドクターと調べたから大丈夫。さすがに君のいる前で堂々と布を開けない。怖いだろう?」
「実を言うと……」
「FBIだって何度見ても慣れることはない。最初は何度も悪夢を見た」
そんなあなたのことを癒やしたいと考えるが、ナオは小さく頷くだけに留めた。男が男に癒しを与えるなんて、気持ち悪いと思うだろうに。
「次は彼の私物だ」
「はい」
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