第8話

 橋を渡り切ると、バレントは大きく息を吐いて、胸を撫で下ろした。後ろを振り返ると、ガードベルが悔しそうな顔をして、こちらを睨んでいるのが見えた。だが、バレント達にはそれ以上に気になることがあった。

「よくわからないな、勘違いだったのか? 危険物とか言っていたが、正直心当たりはないぞ」

 バレントは誰に向けるでもなく、そう呟いた。

 クルスの部下とガードベルの言葉は確かに嚙み合っていなかった。

 ループはその言葉を拾い、続けた。

「何はともあれ良かったじゃないか。疑いは晴れたんだし、残りの用事を済ませて帰ろう。あとは何をするんだ?」

「一応、アーリの服を買うのと、素材を売るだけだ。幸い、五番街でどちらも片付くからな。食材の補充もしたかったが、できれば早く帰った方がいいと思う」

 バレントはアーリを降ろして、ループの背中に乗せてやった。


 五番街には色鮮やかな衣服が店前に並べられ、店員達が商品をひらひらさせながら呼び込みをしている。華やかな格好をした富裕層の客達が、それを談笑しながら物色していた。このブロックは、ファッション・ディストリクトとも呼ばれ、シティの服飾業を一手に引き受ける、言わば巨大なショッピングモールのようになっている。凡人には一生関わることのないであろう高級ブランドから、千グランあれば全身コーディネートができる格安店まで、幅広い衣服のニーズに応えている。

 服にアイロンをかける匂いや柔らかなフローラル系の香水、衣服を織る機械が刻む小気味よいリズム、それらを包み込む街ゆく人々の活気。

 彼らの通ってきた二つのブロックよりも、確実に数段華やかな街並みをバレント達は歩き、幾つかアーリの為に服を買った。


 四番街のすぐ外、石橋を渡ったすぐのところにバレントの黒馬と、バンダナを巻いた先ほどの男が立っていた。

「バレントさん、大丈夫でしたか?」

「ああ、ガードベルには見つかったが特に問題はなかった。勘違いか何かだったんじゃないか?」

「……本当ですか?」クルスの手下は驚いた様子だった。「うーん……確かに兵士達は『バレント・レンクラーを探している』って言ってました。まぁ、何もなかったならそれが一番です」

「この子について何か情報はあったか?」

「いえ、特に……。ロッドさんにも、他のブロックの知り合い達にも、総出で聞いたんですが、目の色の違う女の子の情報はなかったです」

「……そうか」短い返事の後、バレントは顎鬚をゆっくりと撫でながら宙を見た。「ありがとうな。みんなによろしく伝えてくれ。感謝するって」

「わかりました。バレントさん達もお気を付けて」


 作業着姿の男は鮮やかな人々の波に、紛れ込むように走り去っていった。

 バレントは彼の後ろ姿を見送ると、購入した物で重たくなった鞄を馬に括り付けた。

「さぁ暗くなる前に帰ろう」

 ループが短く、ああと返事をして頷いた。

 陽がもうすでに西へ傾き出し、赤みを帯び始めていたが、その大部分はセントラルに建つ背の高い建物に遮られていた。

 アーリはバレントに乗せられた馬の上で、かなり疲れたのか少しぐったりしていた。

 バレントはアーリの後ろに跨ると、すぐに馬を走らせた。街を左に見ながら、シティを回り込むように家へと急いだ。



 夕食の時間、バレントはスープを一口啜った後、ボソッと呟いた。

「シティにはしばらく俺一人で行く。兵団とガードベルが何を探していたのか分からないが、やっぱりアーリが置いて行かれたことと関係があるんじゃないかと思う」

「それはそうだが……もう暫くステーキは食べれないのか……」

「ステーキなら俺が作ってやるから、我慢してくれ。あとは必要なものがあるなら、俺が買ってくる」

「むぅ……」ループはパンに齧り付きながら、不服な表情を浮かべる。「しかし……一体何だったんだろうな。兵士達に止められるなんて今まで無かっただろう?」

「まぁ、ガードベルの勘違いやデマ情報だと思うが……」

 そう言うとバレントは無邪気にスープを啜っている少女に目をやった。

「あいつらはここまで来ると思うか? その……」

「まぁ、まず無いだろうな。こんな辺鄙へんぴな土地にまで来て探したいほどの……ものだったなら、既に探しにきているか、あるいは見つかっているはずだからな」

 ループはバレントの言葉を受け、少し安心したように小さく頷く。


「しゅーぷ、おいちー」

 アーリはバレントとループの会話を聞いてか聞かずか、スープにパンを浸して柔らかくなったものをスプーンで口に運んでいる。しばらく、楽しそうに食事をしていた彼女だったが、何か思い出したようにスプーンを持つ手が止まった。

「あーり、かえれる?」


 食卓の空気が一瞬にして張り詰めた。バレントにもループにも、彼女の質問に対する回答が無かった。少女の純粋さゆえの質問だったのだろうが、バレント達の喉をグッと締め付けられる感覚を覚えた。


 バレントが返答に悩んでいる間に、ループが穏やかに喋り出した。

「アーリ、それはお母さんの元に帰りたいってことか?」

「うん、おかさんやさしいよ」

「そうか。バレントも私もアーリのお母さんを探したいと思っている」

「うん……どこかなぁ」

「正直分からない。だけど、お母さんが見つかるまでは、アーリが居たいだけ……ここに居てもいいんだぞ? バレントも私もアーリを家族のように思うから、アーリも私達を家族と思ってくれ」

「……かぞく?」

 悲しげな顔を浮かべたアーリはバレントとループを交互に見た。

 ループは大きく頷いて、笑顔をアーリに返した。

「ああ、家族だ。一緒に寝て、一緒にご飯を食べて、一緒に遊ぼう」

「うん! あしょぶ!」

 アーリはそういうと、またスープを啜り始めた。可愛らしい笑顔が彼女の顔に戻る。


 一連の流れを静かに聞いていたバレントは、ループを心底尊敬した。人間の自分以上に子供の世話が上手いのは、嫉妬すら覚えるほどだった。そして自分もどうにか会話を広げたいと思った。それがもしかしたら、彼女の親を探す手掛りになるかもしれないとも。

「アーリはいつも、何をして遊ぶんだ?」

 そして月並みな質問を少女に投げかける事しかできなかった。気恥ずかしいさを覚える。

「うーんとね、ずかん!」

「図鑑か。今度シティに行ったら新しいのを買ってこよう」

「ほんと? くさずかんがいい!」

「くさずかん……植物図鑑だな。分かった」バレントはスープを一掬いして、喉の奥に流し込む。「他には、何して遊ぶんだ?」

「んーとね、んーとね……わかんない!」

「そうか」

 バレントは後ろ頭を掻いて、少し考え込んだ。

 もしかしたら、彼女には友達がいないのかもしれない。だから誰も彼女の事を知らないのかもしれない。もしくは病気でずっと入院していた可能性もある。

「そうだな……。アーリ、トランプは……やった事あるか?」



 灰色の石材を敷き詰めて作られた大部屋の壁には、大きな絵画が何枚も飾られていた。天井からぶら下がる豪華なシャンデリアの明るい光が、その部屋全体をキラキラと照らしている。

 部屋の中央には大きな長方形の木製のテーブルがあり、淡い白色のテーブルクロスが敷かれていて、その上には高級そうなワインと食べきれないほど大量の豪勢な食事が並べられている。


「エレンボス〜、そろそろピンクの毛皮が欲しいよ〜。もう全部のコートに飽きてきちゃったわぁ」

 艶めく黒髪。艶めかしく美しい顔立ち。そして、彼女から立ち上るどぎついほどの香水の匂い。彼女はステーキをナイフで弄びながらそう言った。

「関係ない会話は謹んでくれますか、ミス・ベルデガ。我々の統治の危機かもしれないのですよ」

 白衣を着込み、メガネをかけたあまり特徴のない男はそう返す。

「え〜、そんなのどうでもいいじゃん! 絶対デマだもん〜」

「それがですね、研究者の一人からの情報なのですよ。かなり信頼できます」

「ふ〜ん、まあ、あんたがいうならそうなんでしょうね〜」


 豪華な内装の部屋の大きな扉が、バーンと勢いよく開かれた。その衝撃で壁に掛かった十数枚の絵や台座に置かれた彫刻が揺れた。

「おい、奴は何にも持ってなかったぞ! 一体どういう訳か説明しろ!」

 扉が開くと同時に、大柄の男が怒鳴り声をあげた。部屋全体を震わせた衝撃と怒声に、長テーブルに付いていた白衣の男とカラフルで奇抜なデザインのコートを着た女は跳ね上がった。

「お、落ち着いて……」

「うるさいわねぇ、せっかくの食事が台無し〜!」

「兵士達に白い目で見られるのは俺なんだぞ! しっかりと情報を集めてから指示を出せ!」

 大柄の男の鼻息は荒く、拳を力強く握り込んでいた。不機嫌そうな表情のまま、テーブルにつくと、踏ん反り返ったまま押し黙った。

 テーブルに脚をドスンと乗せると、食器がガチャリと音を立て、グラスに注がれたワインがぐわりと周り始めた。


 怒っている男を無視して、女は会話を切り出した。

「ブリゾズとゲルブはどこなのよ〜? せっかくこのベルデガ様が来てやってるっていうのにぃ〜」

 女は長く伸ばした緑色の爪の先を弄りながら、つまらなそうな顔をしている。逆の手では艶めく長い黒髪の緑色メッシュの部分を指で巻き取っている。

「彼らは今日は不参加です。ゲルブは教団の集会、ブリゾズは……いつも通りですね」

 白衣の男は背筋をきっちりと伸ばして座っている。銀縁の丸眼鏡をかけており、事あるごとにブリッジの部分を押し上げては、左手に着けた銀の腕時計を確認している。

「んでだ、その兵器とやらの形状や特徴はわからんのか?」

「現時点では何も……わかりません。危険な兵器を秘密裏に作り挙げた研究員がそれを持ち逃げしたという情報のみです」

「いいじゃ〜ん、その疑惑のハンターちゃんの家まで行って全部ぶっ壊してくれば?」

「それはいけません。住民のバレント・レンクラーへ寄せる信頼はかなり厚く……中には英雄視する者も——」

 大柄で金髪の男は、机を叩きつけた。机の上のグラスが倒れ、中に入っていたワインがテーブルクロスに少し溢れて、赤いシミ溜まりを作った。


「失礼しました」

 白衣の男は軽く咳払いをし、ズレてもいないメガネを押し上げた。

「とにかくだ、バレントって野郎は何も怪しい物は所持していなかった。なんだかよくわからないスパイスやら怪物の素材やらは持っていた。あとは見た事もない子供が一緒にいただけだ」

「子ども〜? そんなん危ないわけ、ないじゃん〜。バカなんじゃないの?」

 女はいたずらに自分の髪の毛を弄びながらそう言った。

 大柄の男は、女のトゲのある言葉に反論しようと口を開いたが、グッと奥歯を噛んで口を閉じた。

「そう……でしたか」白衣の男は残念そうに、フゥと息を吐き出して肩を落とした。「と、とりあえず早急に動くとこちらが怪しまれる可能性もあります。そして、そのリスクだけは避けなければなりません、こちらの情報を明け渡す事になりますから……。引き続き情報を集めつつ、バレント・レンクラーの動向を伺いましょう。偵察員も何人か投入し、事態の収束を図ります」

 白衣の男はもう一度眼鏡を上げ、時計を見た。

 時計の針は動いていない。

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