第6話

 バレントは二番と三番街を渡す橋の手前で振り返り、後ろから付いてくるループとアーリを見た。

「飯でも食うか、腹減ったろう」

 この橋は波状の鉄板を木製の橋脚の上に数枚重ねて並べただけの粗悪な作りだったが、商人たちが行き交うには十分であった。バレントとループが歩くたびに足元がギリギリと音を立てて、鉄板がすこししなった。

 素材が足りないのか、はたまた誰も付けようと思わないのか欄干らんかんがなく、端からは下に流れる水路が丸見えになっている。間違って転んだら、用水路の中にドボンと落ちてしまうだろう。


 鉄板の橋下は淀んだ用水が流れている。匂いは土臭く、川の近くに住んでいる人々はかなり迷惑しているらしい。


 バレントは橋を渡りながら、水路の奥の別の橋を見た。三番の南にある五番街からセントラルへ伸びる豪華な橋の上では、貧しい身なりの少年が護衛の兵士に泣きついている。どうやら、食べ物をねだっているようにバレントの目には映った。

 兵士の一人は少年を蹴り飛ばすと、高らかに笑っている。

 どうにも形容しがたいドロドロとした感情が、バレントの中で呻き声を上げた。そしてバレントにも、それがシティの実態だということは分かっていた。


 ループはアーリを振り落とさないように、なるべく慎重に橋を渡りきると、

「ああ、ムムジカステーキだ。ガーレルのやつだぞ」

 念を押すように言いながら、そのまま真っ直ぐに歩いていく。

「分かってるさ、アーリはどうだ? 何か食うか?」

「くう? えっぎゅぶれっど?」

「エッグブレッドは朝食べただろ? 好きな食べ物はなんだ?」


 アーリは少し首を傾げ、黙りこくってしまった。バレントはその様子を見かねて続けた。

「魚料理とかはどうだ?」

「あーり、おかさなきらい!」

 即答だった。彼女は目をつぶって、顔をブンブン振っている。

「その感じは……相当な魚嫌いなんだろうな」バレントは頭の中で今から食べる物を思い浮かべた。「ムムジカステーキは柔らかいし、アーリもそれでいいか」

「しゅてーきってなに?」

「ステーキは肉を焼いたものだ。うまいぞ」

 しばらく首を傾げていたが、バレントの説明をなんとなく理解したようで、

「しゅてーき! たべる!」

 元気よく言いながら、アーリは大きく頷いた。


 三番街は二番街より活気があり、立ち並ぶ建物も多少は小綺麗な作りになっていた。ログハウスのような外観のバーや、魚の形をした看板のかけられた店、食品を売る屋台などが左右に並んでいる。二番街の金属の溶ける匂いの代わりに、この周辺は肉が焼ける匂いやフルーツの芳醇で甘い香り、スパイスなんかの刺激的な匂いなどがそこかしこから漂って混ざり合う。


 行き交う行商人達は、大きなカゴに野菜や果物などを大量に詰め込んで、二番街や他のブロックへ運んでいく。行商人以外の往来も多く、出店やレストランには遅めの昼食を楽しむ人々の姿も多かった。


 ほとんどの通行人は素朴な格好をしているが、中には派手な衣服に身を包んだ富裕層の姿も見えた。彼らの食生活はセントラル内部の高級なレストランで完結できるはずなのだが、一部の食通達は三番街で出されるジャンキーな食べ物も嗜むらしい。彼らは胸を張って街を闊歩している。


 バレントは飲食店らしき店が所狭しと並ぶ路地の奥に入っていく。

通行人がギリギリすれ違える程の路地にコーヒーの香ばしい匂いが漂ってきたかと思うと、香辛料のスパイシーな香りがそれを塗り変えるように鼻を刺す。


 金属板を組み合わせた無骨な作りの酒場には、柄の悪そうな作業員風の男達が汚らしい店内の丸テーブルを囲んで酒を飲んでいる。その中の一人、タンクトップと日に焼けた肌の大男は、通り過ぎるバレントを見つけるなり睨みつけた。ビールを男らしく一気に飲み干し、ジョッキをテーブルに叩きつけた。机の上に置かれていたナッツ類が衝撃で飛び上がり、地面にぽろぽろと落ちた。


「おい、そこのお前!」

 因縁を付けるように大声をあげ、木の丸椅子をバタリと倒して立ち上がった。

 バレントは突っかかってきた大男を見るなり、睨み返しながら近づいていく。

「何睨みつけてんだぁ? あぁ?」

「そっちこそ、呑んだくれの分際で、なにデカイ態度とってんだ」

「あぁ? ハンターだからって肩で風切って歩いてんじゃねぇ。ここは俺らの縄張りだ」


 彼らは店の入り口あたりで、腕を組みながらお互いを睨みつけた。きっとこれは日常茶飯事なのだろう、今にも殴り合いそうにな雰囲気にも関わらず、誰も止めようとする者はいなかった。

 大男の身長は二メートル近く、タンクトップから出る丸太のような腕は、バレントの太腿よりも太かった。ドレッドヘアーを手拭いで後ろに纏め、傷だらけの顔は般若のような威圧感を放っている。


「……ったく」

 ループはやれやれと言った感じで首を振る。それから怯えているループを落ち着かせるように優しい顔を見せた。

「大丈夫だぞ」

 店の客も、裏通りを行き交う人々も止める素ぶりこそ見せないが、喧嘩という娯楽に好奇の眼差しを二人に向けている。しばらく男達は睨み合っていた。


 かと思うと大男は急に腕を広げたかと思うと。

「よお、兄弟! 久しぶりだなぁ!」

 表情を緩め、さっきまでの睨み顔が嘘のような笑顔でバレントに抱きついた。

 バレントは驚く様子は見せず、その男の熊のようなハグを受け入れた。万力ほどの力で体を締め付けられ、苦悶の表情を浮かべるが、再開の喜びが優ったようだ。

「クルスも元気そうだな。体も態度もでかくなったんじゃないか?」

 クルスと呼ばれた男は、ハグを緩めるとバレントの肩に手をかけた。筋肉がしっかりとついた腕は、バレントの体にずっしりとのしかかる。

「おうおう、お前も随分しっかりしたじゃねぇか。狩人生活はどうだ、なんか困ってんなら頼ってくれよ?」そういうと男はループとアーリを見た。「お、お前、子供ができたのか! なんで言ってくれねぇんだよ」

「いや……違うんだ」

 バレントは静かに首を振った。

「実は昨日、あの子が家の前で立っていたんだ。もしかしたら両親が探しているかもしれないんだが、誰か心当たりはないか?」

 バレントはループの背にしがみ付いてオロオロとしているアーリに目線をやった。

「あんなに遠くまでか。そりゃ捨て子ってやつなんじゃないのか?」

 クルスは本当に驚いた様子で目を丸くしながら、ループの上の少女を見た。見た目通りあまり、言葉を選ばない性格のようだ。

つい数秒前まで怒鳴っていた、大柄で筋肉隆々の男に見られ、アーリは強張った顔を狼の毛皮に埋めた。腕を組み少し考えたかと思うと、男は首を横に振った。

「目の色が違う子供なんて、どのブロックでも見たことないぞ。中央街セントラル出身なんじゃないか?」

「ロッドにも聞いてみたんだが、中央街でもみたことは無いらしい。ただ持っていたものは全部高級そうな物ばかりだったし、セントラル出身の可能性はかなり高いと思う」

 クルスはドレッドヘアーをゆさゆさと揺らし、バレントの情報を噛みしめるように頷きながら聞いた。

「わかった、部下達にも探させておこう」クルスは自分のドレッドヘアーを撫で上げた。「んで、見つかったらどうするつもりなんだ? かなりループに懐いてるようだが」

 バレントは考え込んだ。顔の髭を撫で、少し下を向いて押し黙った。そして、ちらりとループの方を見て、さらに沈黙を続けた。

「何か考えがあるのか?」

「いや、親が見つかって親元に返すのが最善だとは思う」

「もし親に見捨てられてたら、引き取るのか?」

「俺が子供を育てられると思わないが……まぁその時は考える……」

「ふん、なるほどな」クルスは腕を広げた。「何はともあれ、今はどうしていいかわからねぇって言うこったな」

「そうだな、情報がなさ過ぎる。何か……分かったら教えてくれると助かる」

「ああ」


 二人は固く握手し、別れた。

 クルスは元の席に戻り、仲間を集めて何かを喋り始めた。

 

 バレント達は元々進んでいた方へと歩いていく。

 道の奥からは焼けた肉とウッドチップの香ばしい匂いが漂ってきている。その匂いの元は路地の中間ほどにある、木の掘っ建て小屋のようなレストランからだった。

 バレントは店の前で立ち止まると振り返る。

「着いたぞ。ガーレルの店だ」

「しゅてーき?」

「ああ、ここのは本当にうまいぞ。私のお気に入りだ」


 バレントが店の扉を開けると、肉汁が直火に溢れる落ちた時の香ばしく濃厚な香りが、彼らを洪水のように飲み込んだ。

少し煙たい店内には、四つ並んだ長テーブル。その一つには、富裕層の先客がいてステーキとワインと丸いパンを優雅に楽しんでいる。

 無愛想な店主が奥のキッチンから顔を出した。真っ白なエプロンの裾には、肉の赤い染みが付いている。

「いらっしゃい。好きな席へ」

 そういうと店主は、またキッチンへと姿を消した。キッチンから包丁がまな板に当たるリズムがしたかと思うと、新鮮な香草独特の匂いが店内の肉と炎と薪の匂いに混じり合う。

 バレントは一番右奥のテーブルに荷物を置くと、ループの背中からアーリを持ち上げ、長椅子に付かせ、自分もその隣に座った。

ループはテーブルの横、長椅子の無い所に座り込んだ。

「いつものでいいか? ループ」

「ああ、レアで頼む」

「アーリは……一応ウェルダンにしとくか」

「しゅてーき、たべる!」

「ああ、サラダも食べるんだぞ。肉ばっかりじゃ体に悪いからな」

 バレントはアーリの首にナプキンを巻いてやりながらそう言った。

「サラダは私もそんなに好きじゃない……が」

「オオカミは肉食寄りだからな。でも少しは野菜を食べろよ」

 俯いたループの首に、バレントはナプキンを巻いてやってから、ナプキンを自分の膝の上にかけた。

「うむ……挑戦はしてみよう」


 あまり感情を出さない店主に注文をした後、しばらくループとバレントが、街の情景についてや、これからする買い物の話をしていた。

 二十分ほど待っていると、店主は湯気の立つ料理の載った皿を運んできた。

「ムムジカステーキとベロールパン三皿、それとガードベル・サラダ。お待ちどう」

 テーブルの上には、芳醇で香ばしい肉の匂い湧き上がる分厚い鹿モモステーキと、ふんわり焼き上げられた小麦色の大きな丸いパン。数種類のチーズが掛けられた水々しい野菜のサラダが所狭しと並べられた。

「いつもうまいものをありがとうな、ガーレル」

 バレントは料理を運んできた店主にそう言うと、彼はコック帽の後ろを撫でながら、恥ずかしそうに、はにかんでキッチンの奥へと消えていった。

 

 料理が来るなり、アーリは顔をパッと明るくさせ、口を半開きにさせた。

「しゅてーき!」

 アーリは湯気の立ち上る肉の乗せられた白い皿へ手を伸ばした。

 バレントは代わりに、白い小さな皿を前に差し出してやり、ステーキを切り分けてその皿に乗せ始めた。パンもその横に置いてやると、アーリはフォークで肉を指し、反対の手でパンを持ちながら不器用に食事をし始めた。

 ループはその様子を横目に見ながら、一口一口を楽しむように、それでいて豪快にステーキに齧り付いている。

 アーリが小さめのフォークで切られた肉を刺すと、柔らかい肉からソースが滴り落ちていく。柔らかい身がだらりと垂れる。

それを勢いよく口の中へ放り込むと、アーリはゆっくりとそれを噛み砕いていく。分厚く切られたステーキだったが、煮込み料理のようにその身はほろほろと、アーリの口の中で解けた。一噛みする毎に彼女の顔がだんだん笑顔になっていく。肉が喉を通っていく時には、屈託のない笑顔が現れた。

「柔らかくて美味いだろ」

「やわかくてうまい!」

 アーリはこぼれ落ちそうな笑顔をバレントに、そしてループに向けた。

「そうか、それは良かった! サラダも食べような」


 バレントはステーキを口に入れ、味をじっくりと確かめるように咀嚼した。口の中で絡む甘辛いソースと肉の旨味を、舌の全てで感じながらゆっくりと頷いた。


 ループもバレントも釣られて笑顔で食事を進めた。まるで長い間、家族だったかのように三人の間には幸せな時間が流れた。昨日の泣きじゃくっていたアーリも、困惑していたバレントとループも、食事を囲んでいる間、そんなことはすっかり忘れていた。

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