第1話 好きでしょ?

 午後5時前、気まずいから、

 いつもより1時間ほど早く、

 俺は書道教室に行くことにした。


「こんにちはー」

 引き戸をガラガラっと開けて中に入る。

 室内は和室で横長の机が5列に並んで、

 その正面に俺の書道の先生、

 本葉先生が少し高めの机に向かって、

 座椅子に座っている。


「どうもーこんにちはー」

 本葉先生が挨拶を返してくれる。

 今回の課題を受け取って、振り返った時に

 先客がいることに気がついた。

「なんてタイミングだ...」


 小町菖こまちあやめ幼なじみの、桃の妹で

 俺の1つ下の中学3年生。

 黒髪の内巻きショートボブで、

 ちょっと鋭い目をしてる。


 これまでの稽古でも、

 ちょくちょく一緒になっていたし、

 不満はないが、妹だから、どうしても桃のことを思い出してしまう。


「おつかれ。」

「ん、おつかれ」

 菖も俺に気づいていたらしく、

 軽い挨拶を交わした。


 俺は菖の斜め前に座った。

「...はぁ」ため息をつきながら、書くことが出来るように準備していく。

 硯を出し、墨を入れ、筆、下敷き、文鎮、

 をセットして準備完了。

「なんか元気ない?」

 菖がこちらを見ることは無く

 問いかけてくる。

「そんなことないよ。」

「ふぅーん、ま、いいけど、どうでも。」


 何気ない会話をして書き始める。

 今回の課題は『垂頭喪気』

 ...本当にタイムリーな課題ですこと。

 まだ好きな人に、いきなり振られてしまって落ち込んでいる。という意味だ。


 手本をよく見て、俺は1枚書き終えた。

「なんか違う...」

 書道のこういう所は本当にめんどくさいな。

 自分の精神状態がそのまま表れる。

「やっぱり何かあったでしょ。」

「だから、何もないって。」

「嘘、字がいつもと違う、茹でられたもやしみたいな字体してる。」

 驚いた。菖がこんなことに気づくなんて、

 サバサバしてる風に見えて、

 以外と周りを見てるんだな。

「あ、失恋でもした?」

 プスクス

 口元に手を当て、笑いながら菖が言う。

「!?そんな訳ないだろ」

「えー私知ってるよ?」


 菖は身体を前に乗り出し、

 耳元で囁くように言った。



「あんた、お姉ちゃんのこと好きでしょ?」

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