★38★ 臆病になるのも。

 今年は年末に近付くにつれ、段々と処刑の数が減っていくという不思議な現象が起こっていた。代わりに早くからいつになく盛況な規模で銀月祭の準備が始まり、王都に蔓延する不穏な影を追いやろうとしていた。


 通年ならばまだ処刑が立て続けに入るはずの予定はまばらで、年内までに数件入っている案件も魔女狩りとは無関係の小さな窃盗などだ。余程雪が多く降った年以外は、最後まであの悪趣味な催し物が楽しめるのも去年までのことだったらしい。


 そのおかげで年末はルネと比較的ゆっくりすることができ、銀月祭の今夜は二人であの雪人形を作ることができた。


「ことしはトリスがいてくれたから、とってもうまくできたわね」


「今年だ。去年も、一昨年も上手くできていた」


「ふふふ、トリスはやさしいうそつきだわ」


「嘘じゃない。私の人形の玉葱の髪は去年より上手くなっているし、今年のルネ人形に使われている材料の玉蜀黍トウモロコシは、夏の間に髭を取っておいたんだな。ルネの柔らかい髪をちゃんと表現できてる」


 銀月祭の夜の庭で肩を寄せ合う私達の目の前には、同じようにぴったりと寄り添う白い雪人形が二体。去年と一昨年はルネが一人で作っていたものに、今年は私も加わった。


 造形に凝りすぎるきらいのある私の雪像に、ルネの可愛らしい装飾が施されるとちょうど良い見映えになる。クスクスと楽しげに笑うルネの肩を抱き寄せ、啄むような口付けを落とす。すると今度はルネの方から情熱的な口付けが返ってきた。


 不安の直中にある幸せが、こんなに恐ろしいものだとは思わなかったと内心苦笑していたら、心が籠っていないと感じたらしいルネに胸を叩かれる。


「トリス……むずかしいことは、あしたかんがえて」


「ああ、すまない」


「ちゃんとしてくれたら、ゆるしてあげる」


 そう言いながらトントンと自らの愛らしい唇を叩く妻に、ゆっくりと顔を近付けて口付ける。お互いの唇の隙間から零れる白い吐息がくすぐったくて、どちらともなく笑いが漏れた。


 ルネの口にした“むずかしいこと”とは、今朝方届いた王命の印が捺された二つの封書のうちの一つ。捺された封印は非常に精巧に真似られた偽物だった。


 本物には一月の予定が。偽物にはガーダルシアの一部の領地で、義勇軍が立ち上がりつつあるという情報が入っていた。差出人の名はなかったものの、見覚えのある筆跡で誰からのものかはすぐに分かった。


 彼等が無事に逃げ切り、こんな手の込んだ手法を用いれるほど腰を据えられる場所にいることに安堵する一方で、ついに事態が最悪の方面に向かったのかという気持ちもあるが――。


「――いっ、」


 突然唇を襲った痛みに驚いて瞬くと、そこには眉間に皺を刻んだ不機嫌なルネの顔があった。


 そこでようやく自分が考え事をしていたことに気付いたが、もう遅い。咄嗟に謝ろうとしたが、それを察したルネに突き飛ばされ「さむいから、もういい! トリスのばか!」と裏口に向かって歩き出す彼女の背中を慌てて追いかける。


 皮肉なことにその後は自室に籠城したルネに謝り続けることに必死で、あれほど気になっていた手紙のことは一瞬頭から完全に抜け落ちた。


 ――……そしてドアの前で延々と許しを乞うこと一時間半。


 普段あまり使わない喉が痛み始めた頃、ようやくドアが開いてルネが顔を見せてくれた。ムスリと引き結ばれた唇と依然として深い皺が刻まれた眉間に一瞬たじろぐが、何とか最後の声を振り絞って「すまない」と告げれば、華奢な腕が伸びてきて抱きしめられる。


「もう、おこってないわ。そのかわり、さむいから、むずかしいこと、かんがえるなら、ベッドにはいってからにして」


 耳許でそう囁かれ、僅かに返事が遅れたところへ「おへんじは?」とさらに追い打ちのように吹き込まれた。諦めて小さく頷くと、パッと身体を離したルネに手を引かれる。


 先にベッドから毛布を引き剥がして真ん中に陣取ったルネが、半分を身体に巻き付け、もう半分を持ち上げたまま入るように促す。そこで一度書き物机の上に置いてあった手紙を取りに行き、偽物の方を手にしてルネの隣に潜り込んだ。


 寒いと言っていた通り、火の気のない自室に籠城していたルネの身体はすっかり冷えていたため、ベッドの上に座り直し、膝の上にルネを抱き抱えるようにして毛布にくるまる。


 小さな爪先を私の膝裏に潜り込ませ、首筋に冷たい鼻先を擦り付けてくるルネは、温かい場所を探して蹲る猫のようだ。少しの間モゾモゾとしていたが、納得のいく姿勢に収まることができると「どうぞ?」と封書を指先でつついた。


 頷き返し、精巧に偽装された封蝋の切れ目から中身を取り出して広げると、ルネは眉間に皺を寄せる。長文の読めない彼女の代わりに一行ずつなぞりながら内容を読み上げていくが、その表情からは半分も事態の深刻さを理解できていないことが分かる。


 それでも何とか理解しようと便箋を睨み付ける瑠璃色の瞳が微笑ましく、さっきまで一人で感じていた底の見えない不安が、ふと足のつく深さになったように感じてしまった。


「この手紙の差出人はおそらくクリストフ神父達だ。内容を簡単に言うと……そうだな。私達の住んでいる王都の外の人達が怒っていて、一番偉い人を懲らしめに来るかもしれないから、気を付けろと書いてある」


「まぁ……そうなのね。でもえらいひとって、だれかしら? おとうさま?」


「いや、残念ながら義父上ではないな。もっと上の人だ」


 思わず素直な言葉が口をついて出てしまったが、ルネは気付かなかった様子で便箋を見つめ、ぽつりと「マリオンたちは、げんきかしら」と呟いた。一瞬ついていかなかったことを後悔しているのかと感じたが、すぐにこちらを見上げたルネが「わたしたちみたいに、げんきだといいわね」と微笑む。


 その額に今度こそ心を込めて口付けを落とすと、すぐに伸びてきた手によって唇の軌道修正を求められた。幾度か口付けを交わすうちに満足して眠りに落ちたルネの寝息を聞きながら、便箋の文面を視線でなぞる。


 隣で寝返りを打つルネの寝顔を眺めていると、当然のように“喪いたくない”という欲求が強くなり、この“不安”な夜をあといくつ越えれば良いのだろうかと考えていたら不意におかしくなって。


 ルネのせいで自分は随分と臆病で貪欲になったと感じるが、それを悪くないとも思っている。


「……私達は何があっても一緒だ、ルネ」


 幸せそうな寝顔にそう囁きかけた直後、書き物机の上に置かれた時計が十二時をすぎて。今日の終わりと新しい年の始まりを告げた。

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