★33★ 魔女狩りの始まり。
残念なことにあの幸せを切り抜いたような結婚式から一ヶ月後、クリストフ神父の言葉は現実のものになった。おまけによりにもよって何の嫌な偶然か、ルネの二十二歳の誕生日の前日にだ。
王命の印が捺された封書の中に入っていた最初の“魔女”は、歳の頃がまだ三十代の半ばほどの若い女だった。
両親はすでに他界。
結婚の履歴はなし。
罪状は妻子ある男達との不義密通。
たったそれだけの短い情報の最後に赤く“火刑”の文字が踊る。罪を分かち合うはずの相手の男の情報は、どこにも記載されていなかった。
不自然極まる内容だがこちらにできるのは刑の執行だけで、その他の刑罰を決める権限は私にはない。それは白も黒、黒も白と言い換えることができる階級の人間の仕事だ。
「できるだけ早く戻るが、私の帰りがあまり遅かったら先に食事をとって――、」
「ううん、だいじょうぶ。おそくなっても、ちゃんとまってるわ」
「そうか……分かった」
いつものように本業に出かける前の言葉をかけていたらそう主張されてしまう。ルネからのその言葉と口付けを自身の核にして、私は屋敷をあとにした。
***
広場で民衆の前に引きずり出された“魔女”は、小さな町の出身者としては見目の美しい女だった。最初は顎を上げて真っ直ぐ前を見据え、
というよりも、実際に女は広場に集まる人間の全てを見下しているのだろう。それには概ね同意するところだ。
このところ王都でもじわじわと失業率が上がっているせいか、まだ午前中だというのに見物人が多い。日々の不満の吐き出しどころとして、今日のこの処刑劇はうってつけだったようだ。
その瞳には私に対しての嫌悪感がまざまざと表れていたものの、いつもの如くそこに映された私に感情らしきものはない。余計なことを騒ぎ立てられないように、刑の執行直前まで猿ぐつわを噛まされるという屈辱的な扱いを受けても、女は毅然としていた。
――だが。
いざ広場の中央に仰々しく立てられた木杭に縛りつけられる段に至って、女は初めて命を奪われるという恐怖を思い出したようだった。見物人達に悲鳴を上げる姿を見せつけるため、直前に猿ぐつわを外させる。
女の口から漏れたのは、忙しい呼吸音とカチカチと鳴る歯の音だけで。先程までこちらを嘲っていた唇からは、高潔な台詞の一つも飛び出しはしなかった。
女から怯えの色を見て取った見物人達から口々に聞くに耐えない野次が飛ぶ。命の消える最後に聞くのがこれかと思うと、相も変わらぬ群集心理のおぞましさを感じた。せめてこれ以上人間に幻滅する前に刑を執行しようと、役人達から受け取った松明で足許に積まれた木々に火を放つ。
その瞬間の絶望に塗り潰された女の表情を見上げたが、やはり何も感じない。クリストフ神父の心配は的外れだったかもしれないと他人事のように思いつつ、火が燃え移った木々がパチパチとはぜながら女の足許で煙を立てる様を見つめた。
声には出さずに秒読みをする視線の先で、煙と恐怖から意識を飛ばした女の首がかくりと落ちた。この日およそ百年の時を経て、一人目の魔女が浄化の炎に巻かれて死ぬ。ふと屋敷に戻った場合は、一族の先代達と同じように日誌に書き込むのだろうかと考えて、その可能性は限りなく低いと結論付けた。
大したことのない火力で人間一人が焼ける時間というのはとにかく長い。明日はルネの誕生日だというのに、この臭いが染み付くことが嫌だった。どうやって家に臭いを持ち込まずに済むだろうかと思案しながら、見るともなしに周囲に視線を巡らせていると――……不意に嫌な人物が視界に映った。
相手はこの狂乱の場で見物人達が野次を飛ばす魔女には目もくれず、あの値踏みするような陰気な灰青色の瞳でこちらをジッと凝視している。これまで一度もあの男が私の仕事を見に来たことはない。
手紙だけでは飽きたらず、またろくでもない小言を言いに来たのだろうと思うと、職務中だというのに一個人に対しての殺意が疼く。通常の処刑のように昼からではなく、午前中の時間帯から始まった今日の“魔女狩り”は、大盛況の下に夕方には無事終了となった。
常と同じように帽子と上着と手袋を着用し、何食わぬ顔で広場の雑踏に紛れ込む。けれど常と違うのはその背後から近付いて来る人物がいることだろう。人目を避けるために広場を出て大通りから外れた路地に身を寄せれば、相手も同じく路地についてくる気配がした。
そのまま振り向かず歩き続け、完全に人の気配がしなくなったところで立ち止まり、薄暗い路地を振り返れば案の定。そこには灰色の髪を撫でつけ、鷲鼻に落ち窪んだ目のせいで老いた猛禽類を思わせる義父が立っていた。
「お久し振りです、ギレム殿。前回お会いしたのは一月でしたが、今日はどのようなご用件ですか?」
「先日
「ああ、貴男が私に彼女を売った金で嫁がれた妹御が……それはそれは、おめでとうございます」
「――少々口が過ぎますぞダンピエール殿。子を産むことは貴族の娘としての責務。
「貴男が彼女の生まれた日と年齢を憶えていたとは意外だな。しかし死神が言うのも皮肉なことだが、子は授かり物だ。単に星の巡りが悪いのでしょう」
去年も今年も、一月にまったく同じことを訊ねてきたというのに呆れた男だ。
端からまともに取り合う気がないと暗に態度で示す。実際問題この男の顔を見ているだけで業務外だというのに殺したくなる。殺すことを生業にしているとはいえ、殺意を感じる人間というものに会ったのは、実のところこれまでの人生でこの男が初めての相手だ。
それが妻の実父であるということは存外に辛いものがある。もしかすればルネが悲しむかもしれないというのは、意外なほどに抑止力となった。
「
薄汚い言葉を最後まで聞く前に一息に眼前まで踏み込み、喉を鷲掴んで圧迫する。その上で意識が飛ぶか飛ばないかのギリギリまで締めた。
「
一言一言を区切り、目を見開いてひきつった呼吸音を漏らす耳許にそう告げ、頷く気配を指先に感じたところで手を離す。足許で蹲る背中を見下ろしながら、危うく殺しそうになったことに嗤ってしまった。
怯えた視線を向けられた不快感に、首から提げた指輪の入った革袋を服の上から撫で、心を鎮める。そうすることで、出かける前にルネからもらった核を感じられるように。
「以前にも言ったはずだ。問題は私にあると。疑わずとも、妻と閨事はきちんと行っています。何なら妻に直接手紙で訊ねてみればいい。実父からの手紙がそんな下世話な内容のものでも、彼女は
腰を抜かしている
結果として処刑が完了したのは夕方であったのに、屋敷に到着したのは予定より遥かに遅れた夜闇の頃で。服に残る臭いに躊躇いがちに玄関のドアを開けば、待ち構えていたルネが「おかえりなさい!」と腕の中に飛び込んできた。
反射的に「ただいま」と答えて抱きしめ返した直後、ルネの口から「おかしいわ、トリスから、おとうさまのにおいがする」と、鋭い指摘を受ける。むしろそちらよりも遥かに処刑場の臭いの方がきついにもかかわらず、ルネは襟やうなじに鼻を寄せて「やっぱり、するわ」と眉根を寄せた。
「その……仕事の帰りに少し、」
“殺しかけた”とは流石に言えない。するとそんな不自然に口ごもった私を見つめる瑠璃色の双眸が見開かれ、次いで悲しげに細められる。
「おとうさまに、いじわるされたのね?」
「あ、いや、その――、」
“むしろどちらかと言えばした方だ”ともやはり言えずに口ごもると、それを勘違いしたルネが「かわいそうに。こわかったでしょう」と、私の心臓の上に手を置いて額を合わせてきた。
彼女にそうされると、先ほどまでの不快だった何もかもが柔らかくほどけていく心地がして。思わず「ああ」と答えてしまった私の首を、気遣わしげな表情を浮かべたルネが抱き寄せて口付けをくれる。
――魔女も
――
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