★29★ 初めての食事会。
挨拶もそこそこにルネに『みんなで、ごはんにしましょう』とせがまれて、椅子の足りない食堂から滅多に使うことのない応接室へと場所を移した。昼頃にこちらにやって来ていたというシスターとルネで一緒に作ったと言う夕食は、かなり久しぶりにシチューではなく、具沢山なポトフだった。
食事の配膳を終えて四人で教会のやり方にならい、神に祈りを捧げて匙を手にひと口、ふた口と口に運ぶごとに冷えきった身体は温まっていく。少し埃っぽい応接室で食べるには勿体ない食事は、広場での出来事を遠退かせた。
三人とも私のことを気遣ってくれているのか、お互いに他愛ない会話で場を繋いでくれる。緊張していた身体が弛緩し始めたところで、ようやく本題に入るために口を開いた。
「それで……今日は二人とも何のために訪ねてきたんだ?」
そう問いかけた直後隣に座るルネの口から小さく笑い声が漏れ、向かいに座っていた二人がお互いに目配せして微笑み合う。
それだけで想いが通じ合ったのだと察したが、一応そのために訪ねて来たのだろうから二人の口から直接聞こうと待ったのだが――。
「ルネさんにはもう先に話をしたんだけれどね、マリオンと相談して来年の四月に式を挙げることにしたんだ」
考えていたよりもさらに順調だった答えに思わず噎せた。いきなり咳き込み始めた私に驚いたルネがグラスに入ったワインを差し出してくれたので、無言で受け取って喉に流し込んだ。
「――……それはまた、あそこまで拗れた後にいきなり話が飛んだな」
「え、ええ、背中を押してくれたトリスタンのおかげです」
「いや、ははは……お恥ずかしい」
ワインで人心地ついて呆れながら向かいに視線を投げれば、目許を赤らめて視線を泳がせながらそう答える二人の姿は幸せそうで、あの後、少しだけ余計なことをしたのではないかと思っていた気持ちを霧散させた――が。
「まぁ、それじゃあマリオン、おくさんになるあれ、さいごまでできたのね」
この中で唯一ここに至るまでの策の内容を把握していなかったルネが、両手を打ち合わせて嬉しそうにそんなとんでもない発言を放った。
これに今度はシスター·マリオンとクリストフ神父が仲良くそろって噎せ、言った本人はその光景を見つめながら「みんな、ちゃんとかんでたべないと、だめよ?」と、小首を傾げる。
噎せる二人にワインをボトルごと勧め、その様子を不思議がる妻の肩に手を置いて、ゆっくりと「ルネ、あれは人に教えたりしないものなんだ」と言い聞かせると、ルネは「うれしいことなのに?」と、心底がっかりした表情で肩を落とした。
一般的にどう考えても羞恥心のないはしたない発言なのに、彼女が言うとまるでそう聞こえないのは、夫としての欲目からなのだろうか。嬉しいと表現されたことも恥ずかしいが、嫌ではなかった。
「ゲホッ……ゴフッ、し、失礼。ああ、そうだね。確かに喜ばしいことだ。それはそれとして、二人にも是非わたし達の式に友人として出席してもらいたいんだけれど……どうかな?」
何とか立ち直ったクリストフ神父が咳の名残を残しながらそう言うと、それを聞いたルネが顔を輝かせた。
「すてきね、いきたいわ。だめかしら、トリス?」
「そうだな……私は“穢れ持ち”だからこういった祝いの席に出席できないが、ルネは
一応ダンピエールの家訓では、伴侶との間に子供がいなければ、まだ死神の縁者としては認められないことになっている。次世代の死神の誕生に加担することで穢れるという発想だ。その点で言えばルネはまだ死神の穢れを持っていない。
だからこそそう言葉をかけたのに、ルネはギュッと眉間に皺を寄せたかと思うと、怒ったように「じゃあ、わたしもいかない」と言う。助けを求めて二人の方に視線をやるも、彼等もルネと同様の表情で首を横に振った。
「そんな迷信は関係ありません。私もクリストフ先生も、共通の友人夫婦を呼ぶだけですもの。そうですよね、先生?」
「ええ、勿論です。けれどマリオン、また先生呼びになっていますよ?」
きつめの顔立ちで勇ましいことを言ったシスター·マリオンに、柔らかくも有無を言わせない返答をした神父に対して、彼女が頬を染めて小さく「あ……ごめんなさい、クリストフ」と答える姿を見せつけられ、辟易する私とうっとりするルネ。
結局最終的には酷く気乗りがしなかったものの、ルネの「けんかする?」という脅しに屈して頷く羽目になった。
賑やかな食事の席で時間を気にする人間が誰もいなかったせいで、帰る時間を逸した二人に「もう遅いし、どうせ部屋は余っているんだ。今夜は泊まって行くといい」と告げると、ルネは私に抱きついて喜んだ。
その後、片付けを終え、要求が通ってご機嫌になったルネは、食後に【おくさん】同士でお茶を飲みながら話をしたいとせがみ、シスター·マリオンも同意して彼女の部屋へと引き上げた。
応接室に残されたのは私とクリストフ神父の男二人。ワインからブランデーに飲み物を変え、最近また嗜むようになった煙草を持ち出して差し向かう。
「それにしても不思議なんだが……二人に住所を教えた記憶はないのに、よくこの屋敷の場所が分かったな?」
少し埃っぽいソファーにかけ直し、今日の疲れから投げ出すように脚を組んだ姿勢のままクリストフ神父に向けてそう問いかけると、彼は薄い水色の双眸を細めて懐に手を入れ、
「この屋敷の場所は、マリオンがルネさんの話していた家の近所の風景を頼りに探し当てたんだよ。けれどうん、まぁ……今日は結婚の報告もそうだが、これを返しに来たのもあるんだよ」
弁の立つ彼にしては珍しく、歯切れの悪い語り口と見覚えのある茶色い小瓶を前にして、ふっと愉快な気分になった。
「律儀だな。わざわざ返しに来たのか。使いきっても構わなかったのに」
「ははは……まさか。もうこの手の薬はこりごりだよ。若くもない身だったから、これのおかげで六日間ほど部屋から出られなかった。それに、後押しをしてくれるものだとしても、彼女に対してあまり優しくなれないのは嫌で」
銀に近い髪を撫で付けながら、困ったように苦笑する頬に少しだけ朱が差す。記憶している情報だと今年で四十五歳だったはずだが、表情や穏やかな人柄からまだ青年のようにも見える。
その首からさげられた銀製のトネリコの隠された花言葉は【私といれば安心】。どこまでも彼に相応しい花言葉の植物だと思った。
「成程、原液のままだと効果は六日間か。見たところ後遺症の気配も中毒症状もないようだ。多少強引だったが、落ち着くところに落ち着いたようで何よりだった」
「やはり君の入れ知恵だったのか。マリオンから聞き出すのに苦労したよ」
「入れ知恵とは人聞きが悪いな。諦めが悪い貴男のせいでもあるだろう。以前の自分を見ているようで鬱陶しかった。彼女に一緒に渡した避妊薬がないようだが使ったのか」
「……いいや、申し訳ないがあれは破棄したよ。君にはわたしがそういう男に見えていたのかな?」
「さぁ、どうだろうか。ただあの薬が効かなければ、惚れた女性一人捕まえられないような男だからな」
そうお互いに探るような視線を交わしつつ、自分の新しい煙草に火をつけ、クリストフ神父の空になったグラスにブランデーを注ぐと、彼は小さく笑ってそれを受け取る。そして――。
「君は酷い子だなと言いたいところだけれど……今回はそのおかげでマリオンの身に危険が及ばなかった、とも言えるのかな」
クリストフ神父の口から飛び出した不穏な言葉に、今度は私が眉を跳ねさせる番だった。
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