◆死神に、愛を囀る青い鳥◆
ナユタ
◆プロローグ◆
――それは少年と青年の間を行き来する人物だった。
感情を読み取れない切れ長な深緑の瞳と鉄錆色の髪を持つ彼は、杖のように地面に突き立てた得物の柄をトントンと叩きながら、じっと
体躯には恵まれているにしてもまだ大人と呼ぶには幼く、少年と呼ぶには思慮深そうな見目をした彼は、見下ろす先にある死人の首筋に視線を走らせ、人の
次の瞬間手にした禍々しい斧を無造作に振り上げ……何の躊躇も見せずに振り下ろす。すると死人の胴体からあっさりと頭が切り落とされ、木の実のようにボトリと地面に落ちる。
継ぎ目を見つけられずに闇雲に振り下ろしたところで、見当違いな箇所に当たれば、罪人は暴れて文字通り命を失う痛みと恐怖に苦しむ。そうならないためにも、一撃で屠ることこそが最重要とされるのだ。
彼は首の失くなった死体の前で膝をつき、断面図の確認をしてから隣に立つ父親を見上げる。窺いの視線を投げられた父親は、無表情に「良い出来だ」と言った。
その無機質な声音に「はい」と返す彼の声も同じように冷えて。端から見れば親子そろってまるで死人だ。体温のない死体が動いている。実際に彼等親子を指してそう言う人間は多かった。
ここガーダルシア王国には、建国当初から代々“死神”と呼ばれる処刑人の一族が存在する。王家の持つ断罪の大斧、ダンピエール家。その起源が何だったのかは知らない。
断頭台で首を落とすのは政治犯か位の高い貴族だけで、これには見世物としての意味合いが強い。残りは毒殺や絞首刑、火あぶりなどがある。何代にも渡って昇華させた人殺しの技術を持つ一族。それが彼の生家であり、この世に産まれた瞬間から課せられる生業だった。
「今日はこのあとお前を伴って人に会う約束がある。屋敷に戻って着替える前に、向こうの水場で汚れを落としてきなさい」
「分かりました、父上」
恐らくまた哀れな婚約者候補との顔合わせだろうと察した彼は、それでも無機質に応じる。通常の家と同じ六歳頃から始めた婚約者探しは、未だに相手が見つからずに継続中だった。
だからこそ彼と父親の淡々としたやり取りに、同席していた役人達が顔をしかめる。最初よりも何人か減っているのは、この訓練が始まった時にすでに気分を悪くして退席したからだ。
こちらに嫌悪の眼差しを向ける彼等を順に眺める少年の脳裏に、無数の死顔が思い浮かぶ。十一歳で罪人の死体を使っての訓練を始めてから三年。今では何となく初対面の人間の死顔が想像出来るまでになっていた。
父親のように最小限の苦しみしか与えないようになる為には、いったいどれだけの首を落とさなければならないのだろうかと、痺れの残る手を擦りながら少年はふと思う。
裏返して見つめる右手の甲には、幼い頃に焼きごてで刻まれた、処刑人一族の証である雷に貫かれる大斧。まるでそれこそが罪人の証であるかのようだ。
そんなことを考えながら水場へ向かっていると、不意に近くの茂みが揺れた。反射的に応戦の構えを取ったところで茂みの中から現れたのは、少年とそれほど歳の変わらない少女だった。
瑠璃色の瞳を瞬かせ、小首を傾げて「だぁれ?」と尋ねてくる声は、どこか小鳥を思わせる。緩くうねる濃い茶色の髪は絹のように輝き、真っ白でくすみのない肌は身分のある家のそれだ。そのくせ身につけている服は不釣り合いなほど質素で、奇妙さを感じる。
突然のことに少年がどう返そうかと悩んでいる間にも、少女はリンゴのように赤い唇で「ね、だぁれ?」とさらに問う。
城の敷地内でも一般の貴族が立ち入れない場所で、この少女の存在は現実味がない。見回りの兵士は何をしているのだろうかと彼は訝かしんだ。
「君こそこんなところに一人で来たのか?」
「ううん。うろうろしてたら、ここにいたの」
「……そうか。きっと家の者が心配しているだろう。早く戻った方がいい」
「うん。でもあなた、けがをしてる」
袖口から零れ落ちる血のことを言っているのだろう。しかしこれはさっきまで罪人の死体で首を落とす練習をしていた際の返り血だ。怖がらせるといけない。じっとこちらを見つめる少女から右手の甲にある証と血に濡れた袖を隠すと、彼女は何を思ったのか「みせて」と手を差し伸べてきた。
けれど彼はそんな彼女の伸ばした腕の袖口から覗いた痣に驚いて、咄嗟にその手を掴んでしまう。白い腕には赤くみみず腫になった部分や、時間が経って鬱血した後がいくつも残り、それがかえって少女の肌の白さを引き立たせていた。
検分してみるまでもなく他者が故意につけたのだろうと分かるその痕に、思わず少年の眉根が寄る。少しでも力を込めれば折れそうに華奢な存在にここまでするとは、処刑人一族の跡取りであっても相手の正気を疑った。
「……君の怪我の方が酷い。薬を塗ろう」
「いたくないから、へいきよ。あなたは、おいしゃさまなの?」
「いや……私は薬師だ。それより痛くないはずがないだろう。いいから袖をまくって腕を見せて」
尊敬を滲ませた瞳で純粋にそう問いかけられて、気づけば嘘をついてしまっていた。この少女といると何か調子が狂う。もともと処刑の仕方にはいくらか種類がある。その中でも毒殺に使う植物の調合に精通しているのだから、まるきり嘘でもない。
実際に彼はいつも自作の軟膏を懐に持っているし、彼の家も
けれどその腕に自作の軟膏を塗ってやる前に、どこかから人を呼ぶ声が聞こえてきた。袖をまくっていた彼女は声がする方角を振り返る。
「よんでるみたい。かえるわ」
「だったらこの軟膏はあげよう。後で自分で塗るといい」
「ありがとう。これかわいいから、だいじにする」
「いや、だから使っ――、」
「またね!」
現れた時と同じ唐突さで、こちらの言葉を最後まで聞かずに身を翻して走り去る背中を見送りながら、少年は呆然と立ち尽くす。
“ありがとう”も“またね”も初めてかけられる言葉で、彼女の死顔がまったく想像できなかった。そんな一般的には普通なことが、血の臭いに慣れきった少年にはとても不思議な心地がしたのだ。
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