第16話 何もないよりずっとマシ
大晦日の爆破で、大原さんを含む11人が亡くなっていた。
「素質がある」
そう言ってくれた大原さん。
あの頃は、監視役は人殺しじゃないと思っていたから、複雑な気持ちだったけれど、思い返してみると嬉しい。
人殺しでもいいではないか。
何もないよりはいい。
役者をやっていた頃、「素質がある」なんて言ってくれた人はいなかった。
「この前の演技、良かったよ」
「頑張ってるね」
「もっと大きな舞台に立てたらいいね」
そんな風に、ふわっと褒めてくれる人はそれなりにいた。演出家から演技を褒められることもあった。でも、役者としての僕そのものを肯定されたことは一度もない。
オーディションで合格しても、それはその時その時だ。たまたま役のイメージと合っていたのかもしれないし、実績で無難だと思われたのかもしれないし、誰でも良かったのかもしれない。
大学の演劇サークルに入ってから引退まで、二人の女の子と付き合った。彼女たちは多分、僕を好いていてくれたと思うけれど、それは「僕」であって、「役者の尾瀬」じゃない。
僕は今まで、この社会で、いてもいなくても構わない存在だった。
大原さんが初めてだったのだ――僕の能力を認め、必要としてくれたのは。
人殺しの素質なんて世間に誇れるものではないしきっと僕はろくな死に方をしないだろう。でも、何もないよりは何かあるほうがいいに決まっている。かつては夢を追っていた。潔く諦めたつもりだったけれど、まだ心のどこかで、自分を凡夫だと認めていなかったのだ。
日常的に人を殺しておきながら、まさか大原さんが死ぬなんて思ってもみなかった。
もう、感謝を伝える術がない。
退職すると言い出した時、大原さんが引き留めてくれなかったら、僕は今頃どうなっていただろう。当時より物価も税金も上がった。実家に舞い戻って鬱々としていた可能性が高い。
精神的にも現実問題でも、大原さんは間違いなく僕の恩人だ。
その人が、死んだ。
殺された。
僕が今まで殺してきた中にもきっと素晴らしい人格者や誰かの恩人がいたのだろうけれどそんなことは今は関係ない。
仕事中は一人だから大して打ち解けていたじゃないし何なら一番長く話したのがあの電話だけれどそれがどうしたというのか。
大原さんを殺されて、僕は悔しいと思う。
◆ ◆ ◆
「座れ」
ポスターを見ている僕に声をかけ、個室に連れてきて、自分は立ったまま、日野が言った。
僕は言われた通り、丸椅子に腰を下ろした。
「やるだろう」
「何をですか」
「報復隊への志願だ。貴様は俺の前から逃げ出そうとした後、大原に引き留められてここにいる。あの男には恩があるはずだ」
「はい」
「それで、やるんだな」
「僕が自分で決めて志願することです。どうして今答えなきゃならないんですか」
僕の言葉に、日野は笑った。
「少し見ない間に肝が据わったな。超長距離の狙撃でも殺しの経験値は入るのか? なかなか興味深い。それとも、女でもできたか?」
「女はできて、なくしました」
「そうか。何もないよりはいい」
そうとも。何もないよりはずっといい。
「ここへ呼んだのは、報復隊とは別の仕事をやってもらうためだ」
「どういうことですか?」
「『報復』の意志はあるのか?」
悔しいとは思った。
どうなんだろう。
涙は出なかった。
けれど。
(できるものなら)
使うべきかもな。
大原さんが認めてくれた素質を、大原さんのために。
「あります」
「では、貴様には単独で動いてもらう。報復隊は時給換算で5000円だが貴様には倍の10000出す。殺しの仕事にしては安過ぎると思うか?」
「いえ、別に」
分担した狙撃で3000円。
だったら、危険を伴う任務は5000とか10000で妥当な線だろう。
平和な世の中ではどうなのか知らない。
でも、今の世の中ならこれが相場ということだ。
「そんなにいただけるならありがたいです」
「よし。では任務を伝える」
そう言って、日野は懐から一枚の写真を取り出し、僕に見せた。
「この女を殺せ」
先輩。
そうか。そういうことになるのか。
敵対勢力なのだから別に驚くことはない。
問題は、何もかも知っていて僕に命じているかどうかということだ。ここまで来て偶然ということもないだろうが。
「どうした、知り合いか?」
「知っています。服の下も全部」
「なかなか気持ち悪いことを言うな」
「僕に盗聴器でもつけていたんですか」
そうだとしたら日野は先輩の喘ぎ声を知っていることになる。
もし監視カメラなら、考えたくもない。
「方法は言えない。今言えるのは、全て把握した上で命令しているということだ」
「……」
「一度関係を絶っているとは言え、貴様なら容易に接近できる。他の人間よりははるかにな」
「……」
「方法は問わない。とにかく殺せ。後始末はプロがやる。無論、目立たないに越したことはない」
「先輩が大原さんを殺したんですか」
「お前は自分が日本海に沈んでいく船の乗員だとして――」
日野はそこで言葉を一度切り、写真を投げつけてきた。
思わず受け取る。
「――発射ボタンを押した当人のことしか恨めないのか? ずいぶん想像力が貧困だな」
写真を見ながら、大晦日、先輩が「よし」と言ったのを思い出した。
あの人は、殺していたのだ。僕なんかより主体的に。意志を込めて。
「期限はいつまでですか」
「1週間以内だ。喜べ、今から1週間、クソをしている間も寝ている間も時給が発生する。期限より早く済んでも、1万×24時間×1週間、168万の報酬を与える。気前がいいだろう」
「それ、時給で言う意味ありますか」
「あくまでバイトだからな」
そう言って日野は笑ったが、何が面白いのか僕にはよくわからなかった。
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