第147話


 リング曰く。

 昨晩は少し蒸し暑かったらしく。

 私は窓を全開放したまま、お風呂上がりに真っ裸で寝てしまったらしい。



 多分、それが原因だと思う。




 水銀温度計が指し示すのは三十九度ジャスト。

 咳と目眩と寒気。ついでに、体がだるい。

 どう考えても、風邪だ、これ。


 とりあえず、軽めにご飯を食べて。

 解熱作用のある薬草を水で流し込み。

 ちょっとむせる。


 うぇ。にっが……




 まー風邪なんて、ご飯食べて薬草飲んで寝てれば治る。

 はず。なんだけど。




 一人がこんなに心細く思ったのは、いつ以来だろう。




 布団の中で、世界がぐるぐる回っている。


 知り合いの顔が、浮かんでは消える。


 ぼんやりとした視界。


 涙で、歪んだ天井。




 ああ、駄目だ。


 弱い私が顔を出している。


 心細い。誰かに傍に居て欲しい。




 言えるはずも無い言葉。


 誰かに聞いて欲しい言葉。


 けれど、言えなかった言葉。




 あーもう。とにかく、寝てしまおう。


 風邪を引いた時は、寝るに限ると。


 そう教えてくれた人は、ここにはいないけど。





 聞きなれない音で目が覚めた。

 ベルのような甲高い音。

 リンリンと、鳴っている。



 …なんだろ。この音。どっから鳴ってんだ?



 上体を起こし、ふらついて、そのまま横に倒れる。

 視界の先で通信機が光っていた。

 


 …なに、これ、鳴るの? 初めて聞いたけど。



 手を伸ばし、通信機を取り。

 ぼんやりしながら「聞くボタン」と書かれた所を押してみた。



『オウカさん、今大丈夫でしょうか。ちょっとお話があるのですが』



 カノンさんの声。

 うん。今日も美声だ。

 じゃなくて。

 まずい。

 強い私を、作らないと。



「はい。オウカです。生きてます」



 ……なんだか、おかしなことを言ってる気がする。

 けど、よく分かんない。



『……。オウカさん?』

「はい。大丈夫です。生きてますので」

『ええと……泣いてます?』

「大丈夫です。泣いてません。生きてます」


 あれ。いま。何を話してるんだろう。


『オウカさん、今どこですか?』 

「おうちにいますけど、大丈夫です」

『分かりました。転送ボタンは……あ、これですね』



 ぱしゅん、と音がした。


 反射的に布団を顔に巻き付けて、隠れる。

 


「オウカさん。どうしました?」

「ごめんなさい。大丈夫なので。私は、強いんです」

「……ちょっと失礼しますね」



 ひんやりとした指先が首筋に当てられた。

 ほんのり気持ちいい。

 ……じゃない。ヤバい。気づかれる。



「大丈夫ですから。熱なんてありません。元気です」

「……三十九度くらいありますね、これ。薬は飲みましたか?」

「飲みましたけど、元気なので大丈夫です」

「とりあえず、顔を出しましょうか」



 布団を引き剥がされた。酷い。

 ボロボロと、涙が零れ落ちる。



 これは、布団を剥がされたからであって。

 人の体温と声に安心したからとか、そんな理由ではない。



 堪えきれない本音が溢れそうになって。

 枕に、ぽふりと顔をうずめる。



「カノンさん。ダメです。見ないでください」

「どうしてですか?」

「私は強いんです。優しい声を出してもダメですよ」



 そうだ。そんなことで。私は揺らがない。



「そうですね。オウカさんは強い子ですからね」

「泣いてなんかいませんから。だから、大丈夫です」

「はい。大丈夫ですよ。私が傍にいますので」



 ぽん、ぽん、と。優しく背中を叩かれた。



 あ、それは、ダメだ。



「ダメです。ダメなんです。弱い私は」

「いいんですよ、大丈夫です。たまには、いいんです」



 ぽん、ぽん。

 叩かれる度、心の殻が、崩れていく。

 大きな枕が、涙で酷いことになっている。



 いいのかな。

 弱い私でも。いいんだろうか。



「いいんでしょうか。でも、私は、強くないと」

「強いオウカさんを私は知っています。

 でも、たまには弱くってもいいんです。

 熱が出ていますので。仕方ありません」



 そっか。熱が出てるから、仕方ないのか。


 なら。いっか。




「カノンさん」


「はい」


「怖いです。心細いです。一人は嫌です。

 熱くて、寒くて、涙が止まりません」


「はい」


「誰かに頼りたいです。助けて欲しいです。

 私の傍に、居て欲しいです」


「はい。私が、居ますよ」



 ぽん、ぽん。



「いつも怖くて。でも、強くないと。皆が心配するから。

 だから、でも、本当の私は、弱くて。ダメなんです」



 ぽん、ぽん。



「笑ってないと。お母さんが、困るから。困らせてしまうから。

 だから、私は、強い私が、必要なんです」



 ぽん、ぽん。



「でも。今は。熱があるから。だから、私は…」


「大丈夫ですよ。大丈夫。私が、居ますからね」



 涙が、止まらない。

 止め方が分からない。

 どうやって堪えていたか、分からない。



 でも、大丈夫らしい。

 それなら、いっか。

 我慢しなくても、いいよね。



「私は。ずっと。独りで。周りから頼られて。だけど。

 本当は……」




 本当は。


 私は、弱くて。


 すぐに泣いてしまう。


 あの日のままの、小さな子どもで。




 だから。本当は。誰かに。




「抱きしめて、欲しかった」




 ぽろぽろと。涙が、枕に落ちていく。

 泣いてしまっている。でも、大丈夫らしいから。

 もう少しだけ、弱い私でいても、いいかな。



 ふわり、と。

 後ろから手を回されて。

 優しく、抱きしめられた。



 温かい。鼓動が伝わってくる。



「よく、頑張りましたね。オウカさんは偉いですね」



 ……ああ。

 褒めて貰えたから。いっか。

 もう訳が分からないし。泣いてしまえ。



「ごめんなさい。今だけ。私は、弱い私です」



 回された手を掴んで。

 ずっと、涙を零していた。







 ……そんな記憶がある。



 やらかした。風邪で弱っていたとは言え、人前で泣いてしまうのは二度目だ。

 まずいなー。最近、ちょっと心が揺れている気がする。

 平常心。どんな時でも、頭は冷静に。



 例え、起きた瞬間、カノンさんの手を握りしめていても。

 例え、とても優しい眼差しで微笑まれていても。



 両手で、そっと顔を覆った。



「……カノンさん」

「はい。あ、熱は下がったみたいですね」

「……忘れてください」 

「はい。何も覚えていませんよ」

「……本当に、不覚でした」


 ヤバい。多分、顔真っ赤になってるわ、これ。

 てか、うろ覚えだけど……


「そう言えば、私に何か用事があったんじゃないですか?」

「えーと、ですね。実は、フリドールの冒険者ギルドから連絡がありまして」

「フリドール? 氷の都の?」

「はい。そこで、オウカ食堂を開いてくれないかと」


 ……なるほど。


「あー。体調戻ったら詳しく聞きますね」

「そうですね。とりあえず、ゆっくりしてください。

 熱は下がったようなので、私はそろそろ帰りますね」

「あ、すみません。ありがとうございました」

「いいえ。たまには、良いと思いますよ」


 うわ。やめて、優しく微笑まないで。


「……忘れてください。本当に」

「ではまた。お大事に」


 帰りは徒歩だった。

 そりゃそうだよね。戻る時は転移魔法つかえないし。

 んーむ。悪いことしちゃったなー。


 ……まあとりあえず。寝てしまえ。

 後のことは起きてから考えよう。

 今なら、良い夢が見れそうだし。

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