50、あーあ。





 ティアナと一緒に寮に戻ろうとしたら、ジェンスに手を引かれて拉致されてしまった。

 お兄様がジェンスを狙う仕草をしていたけれど、睨みつけただけで止めることはなかった。


 夕暮れの学園、人気のない三年Aクラスの教室に連れ込まれた。アンナが知ったら「馬の骨と二人きりに!?」と戦々恐々としつつ武器を手にしそうなシチュエーションだ。以前、「私は一介の侍女にすぎませんが、お嬢様の為ならばたとえ相手が侯爵令息であろうと躊躇いません!」と言っていた。何を躊躇わないつもりだろう?


「レイシー」


 ジェンスが私の手をぎゅっと握って微笑んだ。


「あのハンカチ、俺のために刺繍してくれたんだろ?」


 おっと。すっかり忘れていたけれど、婚約者の頭文字と自分の家をイメージする模様を刺繍して、しかも自分用のお揃いも作ってたって、なんかまるで婚約者のこと大好きみたいで恥ずかしいわね!?


 違うから。そうじゃないから!


 ただ、意外と重要キャラだったから、たまには労おうかと思っただけで。


 うう、顔が熱い。

 ジェンスを直視していられなくて、思わず目を逸らした。

 これじゃあまるで、私が照れているみたいじゃないの。


 違うから。ホントそうじゃないから!


 学園内では昼休みとか一緒にいるし、結構仲睦まじく過ごしている自覚はあるけれども。あるけれども!

 攻略対象避けのためにジェンスには婚約者でいてもらわないと困るっていうだけで、ほら、私悪役令嬢なのでツンツンしてると処刑コースに追い込まれるかもしれないし。それを避けるためにも攻略対象じゃない婚約者が必要なだけですから!


「レイシー」


 内心で一人わたわたしている隙に、ジェンスに唇を塞がれてしまった。


 うー。お兄様の目もアンナの目もないからって調子に乗りやがってー。


 でも、我が家ではずっと監視の目があったから、キスされるのは婚約したばっかりのあの冬の日以来、二度目だな。


 あーあ。お礼言われちゃったけどさ。本当は、あのハンカチをあげていれば、もっと喜ばせられたのにな。あーあ。


 夕暮れの教室でキスされるなんて、悪役令嬢にふさわしいシーンじゃないんだけどなぁ。こういうのって乙女ゲームでも少女マンガでも、ヒロインがやる場面よねぇ。


 ニチカも私にかまわずに、攻略対象を落とすことに専念してほしいものだわ。


 私の婚約者がジェンスロッド・サイタマーじゃなくなるだなんて、あり得ないんだからさ。



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