45、埼玉だっつってんのに





 貴族には家を表す紋章がある。


 高位の貴族ほど、自らの持ち物——ペンやノートなど——は紋章を刻んだ特別な物を使用する。

 代々使われるそれを見ればどの家の者かが一目でわかる。


 そして、北の公爵家であるホーカイド家の紋章は雪の結晶をデザインしたものだ。


 つまり、雪の結晶をこれでもかと刺繍したハンカチを見れば、誰もが北の公爵家をイメージしてしまうのだ。


 私は目を丸くしてハンカチをみつめた。


 このハンカチがここにあるということは、これを書いたのはジェイソン?

 いや、そんなはずはない。

 婚約者持ちの公爵令嬢にちょっかいを出しました。なんて、真実だったらとんでもない醜聞だ。ホーカイド公爵家とサイタマー侯爵家を敵に回してはイバラッキ家はただでは済まない。ジェイソンだって学園どころか、国にいられなくなる。


 では、いったい誰が?


 私が眉をひそめて思案を始めたその時、


「とうとう正体を現したわね、悪役令嬢!」


 やだなもう。今、忙しいんで後にしてくれる?


 嬉々とした表情で私に人差し指を突きつけるニチカの姿に、私は萎えそうになる気力を振り絞って口を開いた。


「ニチカさん、ちょっと黙っていてくださる?」


 しかし、ニチカは鬼の首を取ったように勝ち誇って胸を張る。


「このハンカチが何よりの証拠じゃない!」

「ちょっと貴女、レイシールを侮辱する気?」


 ティアナが気色ばんでニチカに詰め寄る。


「だって、ジェイソンのJに雪の結晶よ! 言い逃れできないでしょ!」


 ニチカの良く通る声に、人だかりの中からもざわざわと困惑と疑いの声が漏れ始める。


「……確かに、これは私が刺繍したハンカチです」


 私は静かに言った。


「やっぱり!」

「ですが、ジェイソン・イバラッキ様に贈るつもりで刺繍したのではありません。私の婚約者に贈るつもりだったのです」


 私の言葉を聞いて、ティアナがほっとした表情になった。


「嘘つかないでよ! ならなんでJなのよ!? AでもTでもなく!」


 ニチカが一人でとんまなことを言う。


 嘘でしょ? まさかこの子、いまだに私の婚約者がアルベルトだと思いこんでるの!?


 自分で言うのもなんだけど、私結構ジェンスと仲睦まじく過ごしてると思うんだけど?


 ジェンスはあからさまに私を溺愛しているし、食堂や中庭で一緒にいることも多いのに。

 ニチカはなんで頑なに私がアルベルトの婚約者だと思いこんでいるのだろう。あれだけ私にでれでれなジェンスロッド・サイタマーをどうして無視できるのだろう。

 埼玉だけ認識できない呪いとかにかけられてない? 大丈夫?


 こんな状況だというのに、私は思わずニチカのことが心配になった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る