油断と絶望と愚鈍と梔子

 後悔は先に立たず。端的に真理を突く、素晴らしい言葉だ。

 現実を突き付けられた瞬間にのみ、人間はその理を知覚する。しかし喉元を過ぎれば綺麗さっぱり忘れ去り、再び同じ過ちを繰り返す。思うに、神とやらがそういう構造になるよう仕向けたのだろう。そうでなければ辻褄が合わない。

 例えば、今目の前に転がる情景。無惨なまでに破壊された肢体と、有り得る筈のない角度に曲がったままの姿態。時計は動き続けるが、食事を止めた二人が、再びそれに手をつけることはない。

 実を言えばこれは三度目で、三度全てで同じ手を使った。隣人を装い、侵入し、殺す。使い古された手口を、彼ら彼女らは理解していなかった。まさか私の隣人が、とタカを括った。間抜けなので、普通に扉を開いた。思うに人間は、喉元に刃を突きつけられてようやく、己が獲物であることに気が付く阿呆である。

 世間は今、敏感になっている。連日ワイドショーではこの話をしているし、私を捕まえた暁には死刑にしろ、という輩が沢山いる。

 でもまあ、彼らもきっと扉を開く。「私は一億いるうちの一人で、まさかピンポイントで私の元に来るはずはない」と思っている。死までの刹那に、彼らは何を思うだろうか?

 と、扉の開く音が静寂に谺響こだました。こちらを見て、強ばる。後ろの死体に、発狂する。

 次に、恐怖のあまり身がすくむ。叫ぶことすらままならない。気付いたのだ。御伽噺だと思っていたあのテレビの向こうの事件が、今目の前で自分に歯牙を向けていると。

 容易いもので、一分あれば人は大抵死ぬ。本当なら、彼ら彼女らに最期の心の動きについてヒーローインタヴューをしたいところなのだが、死体が喋ろうものなら流石の私も卒倒してその場で発狂するだろう。万に一つも有り得ぬ事だが。

 屍人シニン梔子クチナシ、軽やかに去る。花言葉ははて、なんだったかしら。

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