境界のロゼット

里見絵馬

第1話

 ある建物の一室に、二人の男がいた。そこには高価そうなテーブルとソファが並んでおり、応接間のようだったが、窓がなく、どこか閉鎖的な空気の漂う部屋だった。

 「・・・成る程、それは鈴木先生も大変でしたね」

 入り口側に座った男が言う。その向かい側に座る鈴木先生と呼ばれた男は、深々とソファに腰掛けながら、「全くですよ」と呟いた。

 彼は、政治に詳しい者だったら誰もが知る、有名な政治家だった。彼には、目障りな競合政治家がおり、その者への不満を吐き出していたところだ。メディアの前では慇懃な笑みを絶やさない彼が、今は横柄さを隠さずに、歪んだ笑みを浮かべていた。――さながら、鎌首をもたげる蛇のように。

 「・・・という訳で、『ふくろう様』にお力添え頂きたいのですが」

 そう言って、鈴木はテーブルにを置いた。帯のまかれた万札が三束。

 向かいの男はニヤリと笑い、頭を下げた。

 「宗教法人ふくろう会、林が承りました。――ふくろう様の幸福あらんことを」


 鈴木を見送り建物内に戻った後、林は携帯電話を取り出して電話を掛けた。

 「林です。『フクロウ』への依頼がございます・・・はい。それでは明日、の情報を持っていきます」

 男がそう言うと、相手は短い挨拶をして電話を切った。ツー、ツーと、通話の切れた後の無粋な音が鳴り響き、男は携帯を耳から話した。

 ディスプレイには、とある児童養護施設の名前が表示されていた。


               **


 セーラー服を着た少女は、家路を急いでいた。厳密にいうと家ではないのだが、彼女にとっては、間違いなく家だ。消去法的に家と呼ばざるをえない、というのが一番正しいだろう。

 少女が、その家の前に着く。門には『児童養護施設 福の巣』と書かれていた。

少女はそれを見て軽く嘲笑し、児童養護施設にしては些か高すぎるコンクリートの塀の向こうに姿を消した。

 

 「葉子ようこ

 少女が玄関から廊下に向かってすぐに、正面から声を掛けられた。前方から歩いてきたのは、初老の男だ。年齢の割りに、見事な白い髪をしていた。

 「白木しらきさん」

 葉子と呼ばれた少女は、初老の男――白木に軽く頭を下げた。

 「すみません、少し遅くなっちゃって」

 「構わんよ。急に連絡をしたのはこっちだからね。――それじゃあ早速、ふくろう会から来た依頼の話を始めようか」

 白木はそう言って、横手にあるドアを開けた。葉子は頷き、部屋の中へ入る白木に続いた。

 ここ福の巣は、表向きは宗教法人ふくろう会が寄付をしている児童養護施設だ。しかし実際には、ふくろう会の信者から請け負ったの依頼を、福の巣で擁護され児童がこなすというシステムの元に成っていた。

 畢竟ひっきょう、この二つは、一つのだった。

 裏世界では、『梟会キョウカイ』という通称で、広く知られていた。

 葉子はパイプ椅子に腰掛けながら、依頼の内容を予測する。

 政治家の暗殺。

 昨夜、ふくろう会からそのような依頼が来ていた事は、既に仲間内に知れ渡っていた。今日の放課後、白木から依頼の連絡を受けた時は、実際この依頼だろうとほぼ確信していた。

 なので、白木の口からそのを聞かされて、思わず鸚鵡返しをしてしまった。

 「御曹司の護衛・・・ですか?」

 白木は、葉子の驚愕には構わず、話を続けた。

 「清崎きよさき財閥の御曹司だ。ここは歴史ある財閥だが、過去に汚い事を何もしてこなかった訳じゃない。恨みを持つ者も多くいる。清崎財閥と懇意にしていた暴力団の勢いが最近弱ってるらしくてな・・・。最近御曹司を狙った怪しい動きが見受けられるらしい」

 「・・・それで、私が護衛をするんですか?」

 葉子の訝しげな問いに、白木が頷く。

 「御曹司は既に、財閥の次期当主に任命されているが、まだ高校生だ。通学時の護衛が必要だが、御曹司は車での送迎も護衛をつけられるのも嫌だと言うことだ」

 「・・・我が儘ですね」

 呆れて呟いた葉子に、白木は苦笑を浮かべる。

 「・・・それで、私は何をすればいいんですか?御曹司が護衛を嫌がられているようじゃ、私が行ってもダメなんじゃないですか?そういう人は、女の護衛なんて、なおさら受け入れられないと思いますが」

 葉子は、あっけらかんとそう続けた。

 梟会の仕事は、何も暗殺だけではない。今回の依頼みたいに、護衛の任務も存在する。特に、裏世界の人間に狙われた要人が、暴力団との繋がりを世間に知られない為に、SPやボディーガードに頼らず梟会のような堅気でない組織に護衛を依頼するのは、よくある話だ。

 故に葉子自身も、これまで護衛をした経験が無いわけではない。「御曹司の護衛」と聞いた時に難色を示したように見えたのは、その時点ではの護衛だと思い至らず、自分にくる依頼にしては些かように思われたからだった。

 しかし、その言葉に、白木の表情が固まる。それを見て、葉子は怪訝そうに眉を潜めた。

 「・・・葉子には」

 暫しの沈黙のあと、白木は躊躇いを捨てるように口を開いた。

 「清崎の、養子になってもらいたい」

 葉子は、反論しようと口を開く。しかし、声がでなかった。

 仕方なく葉子は口を閉じる。それを見計ったように、白木は続ける。

 「清崎の養子になって、御曹司と同じ高校に通ってもらう。そうすれば成り行き上、一緒に通学することも難しくない。君は護衛だと気づかれないように、彼を守りなさい」

 葉子は、無言で頷いた。しかし、その行動とは裏腹に、彼女は納得していなかった。

 今までも、梟会が依頼主に、護衛を里子として事も、養子として事も、当然にあった。しかしそれは、暗殺者としての成長が見込まれない者の辿る道だ。

 梟会の暗殺者は、基本的に男は戦闘要員として育てられ、大概は及第点以上の暗殺者に仕上がる。女に関しては、戦闘要員とそうでない者――ハニートラップなど、戦闘技術をメインとしない者――に分けられ、大概の女は、後者になる。葉子は数少ない前者の、一番腕利きの暗殺者だった。勿論男女合同でみたら一番とは言えないが、それでも多くの男性暗殺者を凌ぐ腕前を持っていた。任務だって、真面目にこなしてきた。――それなのに。

 彼女に託された依頼は、まさに青天の霹靂だったのだ。

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