十六章【誰かの思いと誰かの願い】

 民宿『二葉』は二階建ての平べったい日本家屋だ。


 庄屋のふるい邸宅を民宿に転用したような門構え。前に流れる小川を二階から見下ろすことができる。 


 民宿の周りには小さなお土産売り場が点在しており、小京都を歩いているような雰囲気が味わえる。


 その民宿のフロントでは汐山の姉が正座をさせられ学科長から注意を受けていた。


 僕たちが民宿に帰って事情を説明したところ、時間変更は事前に引率している教師から生徒に伝えられることになっていたらしい。


 情報の伝達ミスおよび仕事中の飲酒が発覚し、凄い形相をした学科長にそのままフロントへ呼び出されて行ったのだ。


「一時期はどうなることかと思ったけどなんとかなったな……」


 僕は民宿のお風呂から上がって、ロビーにある自販機で缶コーヒーを買ったのち、開け放たれた窓から外を眺めていた。


 大阪とは違い周りに人工的な明かりが少ないため、夜空を見上げると小宇宙のような無数の星を見渡すことができる。


 夜空を見上げながら感慨に浸っているとーー


「ちょっと、となりいいかしら?」


 背後から声がかけられる。


「うん?」


 振り返ると見知った顔がすぐそこにいた。


 湯上りの夏目だ。


 ほかほかと上気して、浴衣に合わせてアップにされた髪のおかげで、きめ細やかなうなじがよく見える。頰は湯上がりのせいかいつもより朱に染まっていて、今までに見た夏目の中で一番色っぽい。

 

「なによ、こっちの顔をじーっと見て。もしかして何か変?」


 気が付くとジト目の夏目がこちらを見つめていた。


 ひらりと浴衣の裾をたなびかせる。


「い、いや、なんでもない」


 慌てて顔をそむけると、夏目は鈴の音のようにくすりと袖を口もとに当てて笑った。夏目が笑った顔は初めて見たなと思った。


「そんなに、うろたえなくてもいいじゃない。別に取って食ったりしないわよ」


「初めて会った時に記憶を奪われそうになったんだけど」


「……それは、彼岸くんが悪いんじゃない」


 ほおを膨らませてバツが悪そうに夏目は僕から視線を逸らす。


 そうしてひとしきり雑談したあと、夏目の流し目がちらとロビーに走った。


 僕たち以外に人影がいないのを確認すると、


 僕を真っ直ぐ見つめるその瞳には決意の色が見て取れた。


 夏目は意を決したように口を開く。


「ねえ、十年後の世界について聞かせてくれない」


 


「急にどうしたんだよ」


 あらためて夏目に向き直る。


 10年後の世界を知りたいなんて彼女らしくないと思った。


 だが、その目は別に冗談を言っている風には見えなかった。


「わかってると思うけど、十年先の未来なんて知ってもどうにかなるわけじゃない」


 その結果に至るまで不確定な要素が無数に枝分かれしているのだと、明乃さんも未来は絶対じゃないと言っていた。 


 それに至るまでの過程で結果は何にでも変えられる。


「前に私には叶えたい願いがあるっていう話になったじゃない?」


「たしかそう言ってたな」


 喫茶店デリカで死神のことについて話している時にたしかそう言っていた。


 しかし、その時は言葉を濁されてしまった。


「だから明乃さんに協力してるって」


「そうだな」


「私はね編集者を目指しているの」


「編集者?」


 打ち合わせの喫茶店での担当編集の姿が頭に浮かぶ。


「編集者なんて、損な役回りだと思うけどな」


 作家やイラストレーターに締め切りの原稿を催促するメールを送り、締め切り間近になり原稿が完成しないと分かると雲隠れされる。それを地獄の底まで追いかけ回し意地でも作品を完成させるといった悪魔のような仕事だ。でもこんな期待外れの新人作家にも呆れずに付き合ってくれている。それに作家は編集者なしでは生きていくことはできない。だから編集者は物書きにとってありがたい人材だと思っている。


 そう言うと、夏目は首をふった。


「それでも私は編集者になりたいの。だからこれから出版の仕事がどうなっていくのかを教えてほしいの」


「なんで編集者になりたいなんて思ったんだ?」


「ごめんなさい。まだその問いには答えられない」


 夏目は申し訳なさそうに目を伏せる。


 その目からは危機迫ったものを感じる。その姿が昔の自分と似ているような気がした。


 同情とかそういうのとは少し違う感情が僕の中で渦巻いていた。


 だからーー


「わかった。なら教えてやる」


 そう答えた。



 それから、十年後の出版不況や経営破綻、電子書籍への台頭など出版社が立たされる未来の現状などを包み隠さず話していった。


 その途中、


「うんうん」とか「そーいうことになるのか……」とか相槌を打ちながらこちらの話に耳を傾けていた。


 話終えたのち、夏目の方へ視線をやると顔を曇らせている。


 自分の目指しているものがそんな状況に立たされるのを知れば当たり前の反応と思ったがーー夏目は顔を上げると、


「やっぱり難しそうね」


 笑いながらそう答えた。なぜそこまで気楽にいられるのか僕にはわからなかった。心の中でどこか自分と似ていると思っていた夏目が急に遠い存在のように感じられた。


 だからーー


「なんで、そんな気楽でいられるんだ?」


 気付いたらそう聞いてしまっていた。


 夏目は不思議そうに首をかしげる。


「なんでって、彼岸くんも言ってたじゃない。未来は枝分かれしたルートの一つでしかないって」


「そ、そうだけど」


「つまりは過程次第で変えられる未来ってことでしょ?」


「……」


 何か言おうとして言葉に詰まった。たしかに未来の一つでしかないのかもしれない。けれどそれはこのまま進めば、ほぼほぼ確定で起こり得る未来だ。


 だが言ったとしてもあまり実感は持たれないだろう。


 沈黙を肯定と受け取ったのか夏目は満足そうにうなずくと、


「ありがとう。有意義な話を聞かせてもらったわ」


 そう言って自分の部屋へと戻って行った。


 夏目が部屋へと戻ってから、しばらく窓の外を眺めていた。


 残りのコーヒーを飲もうとふと視線を落とすが、暖かかったコーヒーはすっかり冷め切ってしまっていた。もう飲めたものではないだろう。


 誰も味わえないコーヒーは、存在しないのと変わらない。


 中身が残ったままのコーヒーを自販機横のゴミ箱に向かって投げ入れようとするがーー縁にあたって明後日の方向に飛んでいった。そのまま地面を転がると誰かの足元に当たってぴたりと静止した。


「すいません」


 謝ろうとして顔を上げると、そこには朝比奈がノートを大事そうに抱えながら立っていた。その傍には例の蝶が付き纏うように飛んでいる。


 そして、伺うようにこちらを見ると、


「あの、今からお時間よろしいですか?」



 朝比奈の用事は課題の小説で詰まったところがあるから少し見てほしいとのことだった。


 僕は大まかな流れが書かれたプロットやキャラ詳細、最終的な着地点が書かれたノートをパラパラとめくって一通り目を通す。


「どこが不満に思った?」


 僕の問いに朝比奈はきゅっと俯く。


「キャラクターが死んでいると言いますか、読んでいて感情移入ができないんです」


「そうだな……」


 ノートにもう一度視線を落とす。


 たしかに物語の都合のいいようにキャラクターが展開してしまっている節がある。


「たしかにこのままだとキャラクターが人としてじゃなくて、まだ情報のままだな」


「情報ですか?」


 こてんと朝比奈が首を傾げる。


「そうだな……なんて言ったらいいんだろうな」


 そうして分かりやすいように例をあげる。


「キャラクターに感情移入できないってことは、そのキャラクターの深堀が出来てないんだよ」


「深堀ですか?」


「ようはキャラクターの背景。今の朝比奈を組み立てているの過去の色んな経験だろ? つまりはそのキャラクターがその性格や立ち振る舞いになるに至った過程を物語の中で描けばいいんだ」


「なるほど、なるほど」


 うなずきながら、朝比奈は一言一句流すまいと懸命にノートに鉛筆を走らせていく。


「簡単なのはエピソードごとに分けて描写するのが一般的かな。そうすることでキャラクターの情報化は防げると思うぞ」


 まあ、これは先輩作家からの受け売りでしかないんだけどな……。


 これも今、彼女が抱えている問題の1つなのだろうか。


 そんなことを考えていると、


「わたし、不安なんです」


 朝比奈が弱々しく言葉を零す。


「不安って?」


 いつもと違う朝比奈の様子に僕は違和感を感じていた。


 いつもはつらつとしていて他人に心配をかけさせないようにしている朝比奈からは考えられない言葉だった。これも蝶による影響なのか?


「きいて、くれますか?」


 朝比奈は一瞬、ためらったように目を伏せたが。僕が肯くと朝比奈は話し始めた。


 自分の実力で求められている作品が書けるのかということ。ほんとうに自分が僕の弟子になれるのか。朝比奈のわがままが僕の重荷になっていないか。そして、弟子になれなかったら昔のように関係性が壊れてしまわないか。


 ただ、僕は黙って朝比奈の話を聞いていた。


 全て話し合えると朝比奈は困ったように笑顔を上がる。


「えへへ、すみません。こんなこと聞かされても困っちゃいますよね」


「いや、そんなことないよ。こっちこそ話してくれてありがとう」


 そして僕はひとつ気になっている点があった。


「なあ、これっていつ頃から考えてた話なんだ?」 


 そう言ってプロットのあるシーンをゆびさす。


 主人公たちが鍾乳洞へ行くシーンだ。鍾乳洞の描写が良くも悪くも細かく綺麗に書かれている。おそらくは今日行った洞窟を参考にして書いたのだろう。


 急な話に朝比奈は戸惑いながらも。


「ああ、そこですか。今日、洞窟に行ってこんなシーン書きたいって言ったじゃないですか。その時に考えてました。でもーー」


 朝比奈が顔を曇らせる。


「なぜか、ここから先の展開を書こうと思ったら頭にもやがかかったように何も思いつかなくなるんです……」


「…………」


そのことに僕は何も言うことが出来なかった。


「いや、それよりも時間はいいのか?」


 話題を逸らすようにそう言ってロビーにかけられている柱時計を指差す。もうじき十時を回る頃だ。そろそろ点呼の時間で、各自の部屋へ戻らなければならない。


「あっ、そうですね。今日は話を聞いていただきありがとうございました。明日のバーベキューも楽しんでいきましょう」


 こちらに丁寧にお辞儀をしてパタパタと廊下を走って行く。


 後ろ姿が見えなくなってから僕は盛大にため息を漏らした。


「まさか、こんな近くにいたなんてな……」


 感じていた違和感の正体。さっき見た鍾乳洞のシーンと『千恋爛漫チルドレン』のシーン。キャラクターの名前は違えど洞窟内の描写の仕方がほぼ一致していた。それに作家にはそれぞれ無意識の癖に近い描写のかたよりがでる。


 記憶があれば既存の作品によせることは可能だが、彼女にそんなことは不可能だ。そもそも知る術がない、なにせ十年後の作品だしな……。


 作家、彼方かなた。十年後の世界で僕が憧れ続けていた存在だ。


 あれだけ同じ大学だと考えてきたじゃないか。すぐそばにいても、何ら不思議ではなかったはずなのに、それでもなお、自分とは遠い存在だと思っていた。


 だけど、思い焦がれた存在は、僕の想像よりもずっと近くに、息を吸う音が聞こえるほどのところにいたらしい。


 そうしてどういう因果か、その朝比奈が少なからず蝶の影響を受けてしまっている。


 これも僕が世界を上書きしてしまったせいなのだろうか……。


 それなら、僕は出来るだけ彼女の力になりたい。


 窓の外を眺めるといつの間に降り始めたのか外には小雨が降っていた。


 中庭は雨音で埋まって、ロビーの前に続く廊下がえらく長く感じる。夜の色がにじんで、世界が遠ざかっていく錯覚がある。


 なんだか巨大な迷路のなかに迷い込んでしまった小動物のような気分だ。僕が彼女にしてあげられることは何なのだろうか。

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