七章【作家と読者】

「はー……ようやく今日のガイダンスも終わりか」


 大芸大、食堂を出て横にある全面コンクリート造りの建物。芸術ホールと呼ばれる建物前で汐山と今後の予定について話し合っていた。


「そういえば明後日のフレッシュマンキャンプの班割はどうしようか」


「司会者っぽい人が決めとけって言ってたやつだったか」


 入学ガイダンスの際に後日行われるフレッシュマンキャンプまでにそれぞれ班を作っておくよう説明があった。


「たしか4人でひとグループだっけ?」


「俺とお前で2人だからあと半分だな」


「あと2人か……」


 夏目にでも声をかけてみるか。そういえば今日、もう1人も越してくるみたいだしその人にも声をかけておこう。同じ学科だから問題はないはずだ。

 

「残りは任せてくれないか?」


「いいのか?」


「すこし心当たりがある」


「そっちで探してくれるならありがたいけどよ」


「あんまり期待はするなよ?」


 一応、念を押しておく。断られるかもしれないし……。

 

「じゃあ期待せずに待っとくよ。それで、これからどうする? 用事がないならどこか遊びにでも行くか?」


 汐山はスマホを操作して地図アプリを起動させる。


「駅のすぐそばにカラオケ店があるみたいだぞ」


 僕はその提案に首を振る。


「いや、これから少し用事があるからまたの機会にしておくよ」


「……そうか」


「悪いな。また今度誘ってくれ」


「じゃあ、ひとりで寂しくカラオケでも行ってきますかね」


 さして気にも止めていない様子で飄々とした調子で言うと汐山は踵を返す。


「ん、じゃあまたな」


「ああ、また明日」


 そうして汐山と別れた後、


「それじゃあ、仕事をしに行くか」


 仕事をするため芸術ホール内に設置されている図書館に向かおうとしたところで--


 ドクンっ、と心臓が高鳴り背筋に寒気が走った。反射的に後ろへ振り返る。


 蝶がいた。


 10年前、時間が巻き戻る直前に見たあの青白い蝶が飛んでいる。


 あまりの出来事に身体が金縛りにあったかのように動かない。


 しかし、今回は僕のことなど興味がないみたいにそのまま横を通り過ぎると、景色に溶け込むように消えてしまった。


「……」


 消えていった方を呆然と眺める。


 あの蝶は一体なんなのだろう……。


 僕がこうなった原因の唯一の手がかりではあるけど、駅前で見て以来一度も見ていなかった。


 初めこそは探そうともしたのだが、その尻尾さえも一向につかむことが出来ないでいた。


 なのに、なぜ突然…….今、現れたのだろうか?


 そんな考えを巡らしていたからだろうか。


「す、すいません……」


 後ろからかけられた声に気付くことが出来なかった。


「すいません、ちょっといいでしょうか?」


 またぞろ控えめな声が背中越しに投げかけられた。


「うん?」


 その声の方へ振り返ると、そこには夕陽のように紅い髪をサイドでまとめ、仔犬のようなくりくりの栗色の目をした、スポーティな風貌の女の子が立っていた。


「あ、あのっ」


 女の子は手を身体の前で擦り合わせて恥ずかしそうにもじもじしている。


 何度も視線を僕と地面を往復させたのち、意を決したように口を引き結んで、こちらを見る。


 そして、彼女の口から紡がれた次の言葉の意味を僕はしばらく理解することが出来なかった。


「あの、わたしを弟子にしていただけないでしょうか!」



 僕は芸術ホール2階にある図書室の一隅で作業用の可変型コンパーチプルノートパソコンを広げながら原稿と向かい合っていた。


 兼業作家なら誰しもが空いた時間などをこういう風に執筆作業に回しているのではないだろうか? まして大学生ならば講義の時間を調整さえすれば好きな時間に執筆時間を取ることができる。これも学生作家ならではの強みかも知れない。


 そして兼業作家ならこういった時間に集中して作業をしなければ到底締め切りまでに追いつかない訳のだが……全く集中できないでいた。その原因が--


「先生。なんでキーボード叩きながら独言なんてぶつぶつ呟いてるんです?」


「……」


「あっ、わたし知ってます! そういうのって作品のキャラクターに成り切ってるんですよね。そういうのって作家らしいですよね!」


 うるさい。


 目の前でうざったらしくサイドの髪をウサギのようにぴょんぴょこ揺らしながら、対面から女の子が覆いかぶさるように絶賛執筆作業中のパソコンを覗き込んできているからだ。


「集中できないんだけど」


 てか、こいつ誰だよ。


 将棋の世界には今もなお師弟関係という伝統が受け継がれているらしいが、僕はこいつの先生になった覚えも弟子に取ったつもりもない。


 僕は竜王でもロリコンでもないのでそういうのはごめん被りたい。


 迷惑そうな顔を向けてやるがそんなことは気にも止めていない様子。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね」


 すると彼女はこちらの意も返さず、心なしか背筋をぴしっと伸ばしつつ、


「わたし文芸学科所属の朝比奈宇井あさひなういって言います」


「……そうか」


「みんなからは朝比奈とか宇井って呼ばれてますのでお好きな方でお呼びください」


「……そうか」


 プログラミングされた機械よろしく自動的に肯いておく。


 勝手に自己紹介を始めてくれたのはいいんだが、


「で? 朝比奈さんは僕に何の用なんだ」


 視線を向けると朝比奈さんは冗談めかした様に笑いながらムカつくそぶりで手を振りやがる。


「やだなー、さっき言ったじゃないですか。もしかして忘れちゃいましたか?」


「いや、覚えてはいるんだが。その様子じゃ聞き間違いじゃないみたいだな」


 できれば聞き間違いであって欲しかった。


 彼女は屈託のない笑顔を浮かべると、


「はい。わたしを先生の弟子にして下さい」


 先程と同じ言葉を発する。


「あのな、その先生って呼び方やめてくれないか」


「なんでですか?」


「いや、すこしは状況を察しろよ……」


 ため息を落として僕は周りに視線を向ける。


 普段から打ち合わせの際に担当編集から先生と呼ばれなれているとはいえ同年代の女の子に呼ばれるのはさすがにちょっと恥ずかしい。

 それにこんな公共の場で同学年の女の子から先生と何度も連呼されているこちらの身にもなってほしい。さっきからちらちらとこちらを訝しげに伺っている職員さんの目が痛い。それよりも--


「なんで僕なんかの弟子になりたいと思ったんだ?」


 自分で言うのもなんだが売れ行きがすこぶる悪い名前も知れない期待外れの新人作家だ。


 そんな作家に習うよりもっと大御所の作家にお願いした方が良いに決まっている。第一ここの大学はさまざまな分野において現役のプロが講義を取り持つ授業も行われている。僕なんかよりも実力があるプロの作家いるのだ。


 だが朝日奈はまっすぐに僕の顔を見つめてくる。


「たしかに先生は名前も知れない新人作家だと思います」


「なら--」


「でも、経歴がないのとわたしが弟子になりたいと思ったのは関係ありません」


「少しは否定してくれてもいいとは思うが……」


「だって、売れてないのは本当のことじゃないですか?」


 真面目な顔してしれっと言いやがる。あと、先生って呼び方、変える気はないんだな……。


 俺は諦めたように虚空を見上げる。


 しかし、彼女の言う通りしがない新人作家なんかよりもっと経歴のある。今も尚、最前線で道を切り開こうともがいている先輩作家の方がいいに決まっているはずだ。なら、なぜ?


 第一、僕は人に教えられるほど偉くも優れた作家でもない。


 それに今は他人のことなんか気にかけている場合ではない。自分の作品のことを優先して考え動かなければならない。今、僕はそういう時期にいる。


 だが、そんな事情など知らない朝比奈は、


「先生の受賞作読みました」


 僕の作品の名前を口にする。 

 そこで僕の中に1つの疑問が生まれる。


「おいまて、何でその作者が僕だとわかったんだ?」


 作家は大抵の場合、作品を書く時にペンネームを用いて仕事をする。そして、そのペンネームは本名とは違う。もし本名と同じ名前を使っていたとしてもその作家がどんな顔をしているのかは分からないはずだ。


 朝比奈は困惑したように首を傾げる。


「何でって、だってNF文庫の授賞式の配信で先生が自分の作品を持って映ってたじゃないですか」


 そういえば授賞式で祭壇に自分の作品を持たされて横一列に並ばされ写真撮影がされたのを思い出す。

 あれって、ネットで配信もされてたのか。


「それで、僕の作品を読んだ感想はどうだったんだ? ひどかっただろ」


 僕は自嘲気味に苦笑する。


「ひどかった、ですか?」


 朝比奈は小首をかしげて、僕を見上げる。


 ネットで気軽に読者が感想を書ける読者メーターってのがあるのだが、そこでは散々な言われようだった。


「お前もそれは知ってるんだろう?」


「はい、知ってはいますが。わたしは先生の作品を読んでとても感動しました」


「感動?」


 首を傾げる僕に朝比奈はそのまま堰を切ったようにしゃべり続ける。


「偶然だとはわかってるんですけど……作中の主人公がなんだかわたしに似ていて」


 そこで朝比奈は言葉を区切ると、愛らしい瞳をこちらに向ける。その瞳には複雑な色が浮かんでいた。


「わたしは先生の作品に救われたんです」


「救われた?」


 朝比奈は曖昧な作り笑いを浮かべる。


「先生の作品の主人公って初めはいじめられっ子じゃないですか」


「うん、まぁそうだな」


 受賞作『孤高の少女と俺の世界』はいじめられっ子だった主人公がヒロインと出会い。その中で自分の信念を見つけ、学校内で様々な環境にさらされながらも信念を貫き通すお話だ。


「わたしも高校生の頃に虐められてたんです」


 思わず顔をしかめる。思っていたよりも気分の良い話ではなさそうだ。


 朝比奈は自嘲気味に笑う。


「わたしってこういうタイプなんで人によってはそれが苦手だったらしくて、うざいうざいって言われてきたんですよね。そこからだんだん周囲に伝染していって……」


 まあ見ている限り、気に入った友達にはがんがん攻める方なのだろう。より深い友達関係を望むタイプ。尽くされたいより尽くしたい、自分の弱みを他人には見せないタイプ。


 人を心配させるのが苦手なのだろう。


 朝比奈は自虐的に笑った。


「だから、大学は自分を知ってる人がいない場所をって思ったんです」


「だからここに来たわけか……」


「正直に言うと春休みの間、このままでいいのか不安で悩んでたんです。そんな時に師匠の作品と出会いました。周りの目を気にせず、自分を貫き通す主人公を見てわたしもこのままでいいんだって言われてるような気がして」


 作家は誰しもが顔も名前も知らないどこかの誰かのために作品を書いている。


 自分の中にある何かを誰かに知ってもらいたい、そんな思いを作品に落とし込む。


 作家は不器用だと思う。そんな思いを二次元文字の羅列などという原子時代の棍棒で伝えようと言うのだから本当にバカである。


 だけれどもーー


「だからわたしは先生みたいに人を救える作品を書きたくて、弟子になりたいと思ったんです」


 ここが図書館だということも忘れて朝比奈は感情のままにそう叫ぶ。


 館内にいた数人が驚いたようにこちらに振り向くが、しばらくすると、また元のように己の作業に戻っていく。


 どうやら僕の作品もどこかの誰かにこうして届いていたらしい。


 自分の作品がこうして誰かの心に届いているというのはとても嬉しいことだ。 


 苦笑して朝比奈の顔を見やる。


 どこか泣きそうな顔だった。


 ここまで言われるとさすがに断りづらいな……。


 僕はがりがりと頭をかく。

 

 さて、メジャーな作家が経験することだと思うのだが、よくSNSのDMなどで『僕の考えたプロットで小説を書いて新人賞に応募して受賞したらプロにならせて下さい』だとか『先生の弟子にして下さい』とかこちらにメリットのない依頼や相手の力量を把握できてないのに無理なお願いを送られてくる事があったりする。


 まあ試験を課してそれに合格したら弟子にしてあげたりしていた作家もいたらしいが、その作家も今は弟子を取っていない。


 だから僕もその習慣にならうことにした。


「なら試験を受けてもらう」


「試験……ですか?」


「そうだな……」


 僕はしばらく考えると。


「……明後日から始まるフレッシュマンキャンプに出される課題作品で最低限の小説を書けたなら弟子にしてやってもいい」


「最低限の小説ですか?」


「少なくとも新人賞の一次選考を通過できるくらいの作品ってことだ。読者を気持ちよく感情移入させられるか、キャラクターがその世界で生きているか、物語にリアリティや破綻はないか。もしそれをクリアできたら弟子にしてやってもいい」


「本当ですか?」


「……ああ、本当だ」


 頷いてみせると、朝比奈は嬉しそうに顔を輝かせる。


 しかし、本当のところ僕は朝比奈を弟子にする気なんてなかった。 


 適当にアドバイスでもしてやってあとは彼女自身に任せよう。


 僕の書いた作品を好きだと言ってくれてのは素直に嬉しかったけれど、今の僕に弟子を取るような余裕はない。


 他人の世話を見るくらいならその時間を使って一つでも多く作品に対する案を出さなければならない。


 10年後の世界で僕は作家になったその後は作業のように書いていくだけだと思っていた。


 だけど作家になって理想と現実の違いを思い知らされた。


 一週間おきに担当編集へ原稿を見せ、指摘された箇所の修正。その後は作品が完成するまで何度も同じことを繰り返す。


 作家になるまでは三ヶ月に一本なんて余裕だろと思っていたが修正箇所を直しながら次の話を書き進めていくのは気が遠くなるような作業だった。こんなことが続けば体を壊してしまいかねない。


 今なら先輩作家が口を揃えて筋肉(体力)をつけろと言うのもうなずける。


 僕はノートパソコンをたたんでカバンにしまい込むと席から立ち上がる。


 正面にいる朝比奈に軽く頭を下げる。


「そういうわけだから。僕はこれから用事があるんで先に帰らせてもらう」


「わかりました。それじゃあわたしも一緒に帰ります」


 朝比奈は椅子を片付けると小走りで後ろから追いかけてくる。


 それから僕たちは図書館を出た。少しばかり歩く速度を早める。


 今日もこのあと、打ち合わせがある。

 

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