第177話 何とかならないかと思った。

 サミュエルは、再度視線を巡らせて黙って考え込む。

 眉根を寄せたり瞬きしたり、彼はじっくりと考えていた。


「希望的観測も含まれてはいるが……相手もあそこまで強硬には出ていない気がする。少なくとも、あんな『利点は?』なんて聞き方はされないと思う」

 だよねー。

 あんな『利点は?』って。舐めくさってるとしか思えないわ。私が一時いっときの感情論だけで喚いてると思ってたんだろうなぁ。くそっ。一部正解だけど。


「私は最初からかなり譲歩していました。

 猟場外での誤射って、それぐらい本来はあってはならない事件なんです。

 なのに、相手は更に足元を見て、私に泣き寝入れと言ってきました。

 何故か?

 おそらくですが、彼らにとってからなんですよね」

 私がそこまで言うと、サミュエルが苦い顔をした。

 サミュエルも思い至った?

「相手は、獅子伯には折れる必要がないと思ってる。むしろ相手自身が自分達が折れるべきとすら少し思ったかもしれないですね。

 サミュエルに対しても、毅然として向かえば意見のすり合わせができたでしょう。

 でも、私だと違う。

 だと思ってるから。

 それは何故か? ま、皆まで言わずとも、分かると思いますが……」

 なんで、こうなるんだろうね。ホント、まったく、生きにくい世界だよ。


「私が、自分が侯爵夫人だと言ったら、多分違う結果になったでしょうね。男爵たちは管理会社から猛烈抗議を受けて、場合によっては叩き出されて、殺人未遂として警らに届けられて、徹底的に男爵たちは弾圧されたと思います。

 でもそれは、私が言ったからではなく、『侯爵』の『夫人』が言ったからです。

 私の意見に逆らえば、夫である侯爵が出張ってくる可能性があるから。

 ……結局、意見が聞き入れられるワケじゃないんですよね……」

 なんでこうなるんかなぁ……

「アレクがいるからと、最初っから譲歩すべきじゃなかったですねー。最初に了承不可な高い要求をしておいて、それを下げて本来の要求を通すってやり方にすればよかった。きっと、夫人やマギーならそうしていたでしょうねぇ……」

 多分、そのやり方だったら、相手も『私に譲歩させる事が出来た』と満足しただろう。

 後に冷静になった時なら分かるんだけど、どうしても、こう、ね。むずっ。ホント、我ながらやり方が下手過ぎる。


 私がさめざめとなげくと、サミュエルは微妙な顔をした。

「でも、それも一部仕方がない事なんじゃないのか? お前の意見も至極もっともだと思う。けれど、事実そうなっている。そこに楯突いて、良い結果になるとは正直思えない」

 彼のその意見はとても率直だった。

 私は嬉しく思う。サミュエルが本音で話してくれて、私に率直な意見をくれるって、とても貴重な事だよね。しかも、意見をぶつけるのではなく『自分はこう思うが?』って感じで言ってくれるの。最初とはエライ違いだな。


 私は思わず笑いが漏れた。嘲笑とかではなく、なんていうか。苦笑というか。

 サミュエルの言葉は、まさにその通りだったから。

 でも

「仕方ないと引いてしまったら、何も変わらないよ。

 いつか誰か凄い人が分かってくれて、大号令で世の中をひっくり返してくれる、なんて事は、待ってても絶対に起こらないし。

 だから私は、言い続けるしやり続ける。確かに世の中は大きく変わってないし、私の行動だけじゃ変わらないよ。

 でもさ。

 サミュエルは変わったでしょ? それだけでも全然違うと思うんだ」

 世界をひっくり返したいワケじゃない。

 でも、まずは声をあげないと、少なくとも自分の周りすら変わらない。


 今の私の立ち位置は、そのうちアティの立ち位置になる。

 アティだけじゃない。妹たちもそう。

 彼女たちが大人になるそれまでの間に、少しでも彼女たちの意見に耳を傾ける人が増えていて欲しい。

 すぐには変わらない。

 でも、私が今味わっている状況より、少しでも、ほんの少しでも改善していれば、私が今かけている労力で、更にもっとアティや妹たちが生きやすくなるかもしれない。

 せめて、そうなっていて欲しい。


 サミュエルが、私の言葉を聞いて目を見開いていた。

「でも、お前……そんな事をしていたら──」

 彼が、信じられないといった口調でそう呟いた時だった。


 カツンと何かが当たる音がした。

 サミュエルも驚いて言葉を切る。

 私は音がした方──窓の方へと視線を向ける。

 再度耳をそばだてると、窓に何かが当たったのか見えた。

 あれ、固く握った小さな雪玉?

 ──ああ、あれは。


 私は窓の方へと歩みより、窓を二度軽く叩く。

 そして振り返って驚き顔のサミュエルを見た。

「サミュエル、リビングに戻ってそろそろ夕飯の支度をお願いします。

 出来れば、子供たちにまた色々やらせたいんですが……お願いできますか?

 あ、さっきはタイミングがなくて出来ませんでしたが、ヴラドが言っていたブラックベリーの炭酸水を作るのでもいいです。

 おそらく、作り方はゼノか獅子伯がご存じだと思いますから」

 私は口早にそう告げると、応接間を出て行く。

 そして、そこにかけてあった誰かのコートを適当に羽織った。あ、誰かのブーツ。これも借りよう。


「セレーネ様は?」

 慌てて応接間から出てきたサミュエルのそんな問いに

「ちょっと、事後処理を」

 そう返事して、玄関の扉を開けて外へと出て行った。


 ***


 雪が静かに降る外に出て応接間側へと回る。

 するとそこには、窓の脇のところで身体を抱いて縮こまるアレクの姿があった。

 あの窓への雪玉の合図は、アレクの『話があるからちょっと出て来い』ってヤツ。

 まったく。やる事が子供の頃と変わってないなぁ。


「どうしたんですか?」

 日が落ち始めたので寒さが厳しくなり始めていた。私もコートごと自分の身体を抱いて歩み寄る。

「さっきはごめんな。俺の力不足」

 傍へと辿り着いた私に、アレクが自嘲気味にそう漏らした。

「それは仕方ないでしょう。ここの管理組合の構造はどうなってるか知らないけど、アレクが一介の雇われだとしたら、上の立場の人に意見なんて言えないでしょ?」

 別に、あの結論がアレクの結論だとも思ってないし。

 義足であるアレクが働ける場所って、結構少ないと思うんだよね。

 彼が自分の立場を守るのは、至極当然な事だし。


 しかし、アレクは少し黙ってしまった。

 眉根を寄せて、目を伏せている。

 え? 謝りに来ただけ? 別にアレクに対して怒ってないよ。

 あ、嘘。怒ってる部分もある。最初にあの男爵の横暴を、自分の責任だって言った事は怒ってる。マジムカつく。私の方を止めた事もムカつく。

 でも、それぐらいかな。

 アレクの立ち位置、そしてあの管理組合の『事件もみ消し』態度を見れば、彼の事情はある程度察せられるし。


 やっと重い口を開いたアレクの言葉。

「……お前、俺の事、恨んでるか?」

 は?

「ベッサリオンにお前だけを残していった事、恨んでるか?」

 アレクが、意を決したように私の目を見た。

 真剣で、それでいて鎮痛な面持ちで。

 言われて、考える。

 私が、アレクを、恨んでる?

 どうだろう……

「……少しだけ」

 ここで、隠しても仕方ない。

 私はあれから話す機会がなかった本音を話す。

「婚約を破棄しようってなった時、『なんで』って思った。

 すすめたのは自分だけどさ。何ていうの? ……なんか、心の一部が、勝手に期待してたんだよね。アレクが否定してくれるのを。勝手だよ。自分でもそう思う。ワガママだなぁって。

 でも」

 私は一度そこで言葉を切り、コテージの方へと──アティたちがいるであろう方向を見た。


「それでアレクを恨む事は筋違いだって、ちゃんと理解してるし納得してる。

 だって、アレクはアレクの人生を歩むんだし、私は私の人生を歩いてく。

 事実、もうそうなってる」

 婚約破棄してアレクがいなくなった時。

 正直、『見捨てられた』と感じてた。すすめたのは自分なのにね。なんて勝手な感情。

 でも、それで泣きわめくほど私はもう子供でもなかった。アレクは自由になれたのだと、そういって自分を納得させる事ができた。

 だって、アレクは私の為に存在しているんじゃないし。


 ただ──一つ一つ、存在していた道が閉ざされていくあの絶望感。

 セルギオスがいなくなって、そしてアレクもいなくなった。

 再婚してアティを見るそれまでは、私はある意味『生きる気力』を失っていたかもしれない。

 目標が見つからなくって、でも不満に思う心も捨てられなくて。腐ってた。


 アレクと別れなければ、この道には辿り着けなかった。

 だから、むしろ感謝すべきかも。

 アレクのおかげで、私はアティに出会えたんだから。

 それに──


「アレク、もう縛られる必要はないんだよ。もう私はアレクを恨んでないし、それに……」

 私は、あの時言えなかった言葉を、今言う為に彼の事を真っすぐに見た。

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