オフィス加納

 ここがオフィス加納か。とにかく賑やかで活気のある商店街の一角にあるのだけど、どれどれ、一階と二階は吹き抜けでホールになってる。わぉ、プチ・エンジェルに、ドライスデール、つくも屋まであるじゃない。三階はホールになってるみたい。


 四階に上がるには奥に行って、警備室に声をかけるみたいで良さそう。名前は通じていて、そのさらに奥のエレベーターから四階に。そこに受付みたいなところがあったから、


「西宮学院大学一年の尾崎美里です。麻吹先生をお願いしたいのですが」

「話は承っております。どうぞこちらに」


 そこからエレベーターで六階に。さらに部屋に案内されて、


「こちらで泊って頂きます」

「ここは・・・」

「仕事が遅くなった時の仮眠室です」


 げっ、宿を手配するってここなんだ。てっきりビジネスホテルぐらいを予想してたけど、ビッチリやらされるのはガチガチの本気みたい。とりあえず荷物を片付けて待ってたら、


「待たしたな。オフィスを案内するぞ」


 挨拶もクソもなく、まず階段で降りて四階に。ここと五階は事務部門が集まっているところみたいだけど、


「体験生の尾崎美里だ。体験中の扱いは弟子と同じだ」


 いよいよ逃げ場がないのをヒシヒシと感じたよ。


「尾崎、洗濯物は事務に持って行け。他にも困ったことがあれば言えば良い」


 そこから再び六階にあがったけど、ここは先生方の個室と仮眠室があるみたいで、七階はお弟子さんたちの大部屋、八階は娯楽室兼ミーティング・ルームみたいなところがあり、さらに九階はずらっと編集室が並んでた。十から十二階は機材倉庫と撮影スタッフ用みたい。十三階から十五階は動画部門だった。動画部門のチーフにも紹介してもらって、


「サキよ。話は聞いてる。今回は直接関係ないけど、ヒマがあったら遊びにおいで」


 ヒマがあるとは思えないけど。残りの十六階からは大小様々の撮影スタジオになってるらしい。撮影中の赤ランプがついている部屋に麻吹先生はずかずかと入り込んじゃったの。入ると撮影の真っ最中だったけど、


「マドカ。尾崎が来たぞ。後は頼む」


 それから、


「後でメシでも食いに行こう」


 そう言って出て行っちゃった。新田先生からは、


「一段落ついたら説明しますから、見ておいて下さい」


 撮影が再開されたけど、なんなのよ、この撮影ペース。新田先生の動きは流麗なんだけど、とにかく物凄いスピード。まるで武術の演武みたいじゃない。こんな撮影のアシスタントなんて絶対無理。


 だいたいだよ、アシスタントなんて、写真部の時に真似事でやっただけだもの。それをこんな超一流スタジオで出来るわけないじゃないの。それにこれってガチの本業じゃない。ミサトが邪魔になったら困るじゃない。そっか、そっか、きっと撮影とは別にアシスタントの手解きをしてくれるぐらいだよ。


「尾崎さん、お待たせしました。次の撮影から入って頂きます。担当は・・・」

「ちょっと待って下さい。今まで本格的なアシスタントなんてやったことがありません」

「すぐに慣れます。アシスタントと言っても、マドカの撮影を手助けして頂くだけの仕事です」


 そんな生易しい物じゃないでしょう。そしたら救いの声みたいなものが、


「マドカ先生、ペースは落としますか」


 そうだ、そうだ、せめてそれぐらいは、


「尾崎さんは時間がありませんから、いつも通りのペースでお願いします」


 マジかよ。否も応もなく撮影現場に放り込まれたけど、出来るはずなんてないじゃない。それなのに、


「遅いですよ」

「立ち止まらずに動いてください」

「そこは邪魔になります」


 もうボロボロ。ミサトが撮影の邪魔になっているのは丸わかり。涙が出て来たけど、


「泣くのは撮影終了後にお願いします」


 それでも三時間ぐらいドタバタやってると、コツが見えて来たのよね。新田先生の動きは無駄が無くて素早いけど、他のスタッフは新田先生の仕草から次の動きを読んで動いていると思うんだ。


 仕草は読めないけど、他のスタッフの動き出しを良く見て動けば、遅れながらも辛うじて付いて行ける気がする。辛うじてなんてレベルじゃないけど、少なくともトンチンカンな方向に動いて邪魔するのを減らせるぐらいかな。そんな生き地獄のような時間を過ごした後に、


「今日の撮影はここまでにさせて頂ます。明日にこの続きをしますから、手配をお願いします」


 どういう意味かって新田先生に聞いたんだけど、


「そのままですよ。今日の撮影が予定通りに終了しませんでしたから、明日にも続きを行うだけです」

「手配って?」

「撮影スケジュールの調製と、明日も同じモデルが必要ですから出演交渉です」


 ガビ~ン。ウソでしょ、ウソでしょ、ミサトがアシスタントに入ったばっかりに新田先生の撮影を台無しにしてるじゃないの。この撮影ってプロの本業の仕事だよ。練習とかじゃないんだよ。


 これが泉先生や青島先生が話していたとされる針の筵とか、地獄の針山巡りってことなの。こんなところで生きていけるわけないじゃないの。


「尾崎さん。部屋まで一緒に来てください」


 わぉ、怒ってる。他のスタッフの視線も痛いよ。ミサトが悪いのはわかるけど、いきなり放り込んだ新田先生にも責任が・・・とは言うものの、まるで引き立てられるように新田先生の部屋に。新田先生の顔が怖くて見れない。


「尾崎さん。あなたはアシスタントの後半で他のスタッフの動きを読み取ろうとしましたね」


 あれでちょっとだけマシになったと思うけど、


「それをしてはなりません」

「えっ」

「他のスタッフならそれでも十分ですが、尾崎さんはそうしてはなりません」


 えっ、どういうこと。


「あなたなら、そんなものに頼らずとも動けます」


 だから無理だって。


「マドカは加納アングルに従って動いております。あなたには見えるはずです」


 そこに麻吹先生が顔を出され、


「尾崎、メシ食いに行くぞ」


 食べ放題の焼肉屋に新田先生と三人で、


「・・・今日はテストだったのか」


 テストってどういうこと、


「さすがにいきなりでは気づかれませんでした」

「修業が足らんな。そっちも鍛えておいてくれ」

「お任せ下さい」


 なんの話かと思ったら、


「写真を撮るには平常心が必要だ。どんな修羅場になろうとも、まるで他人事のような冷静さを保つことぐらいと思えば良い」


 今日のミサトはオフィス加納に来たばっかりで、挨拶もそこそこに地獄のアシスタントに放り込まれたんだけど、


「尾崎に平常心があれば、マドカが加納アングルを狙いながら動いているのが見えたはずだ。しかしお前はそれを見ることが出来なかった。今日マドカがテストしたのはそこだ」


 翌朝は七時撮影開始。もう必死になって見たよ。たしかに新田先生は加納アングルを追いかけながら撮影されてるけど、とにかく早い。ちょっとでも油断すると、


「尾崎さん、判断が遅いです」


 それとだけど、どうもミサトが見えていない線もあるみたいで、


「気合が足りません。もっと集中すれば必ず見えます。これしきのことで動揺してるようでは話になりません」


 そんなこと言うけど、午前中は昼まで五時間休みなし、午後だって七時までほとんど休憩なしなんだよ。昨日の遅れを取り戻すためだろうけど、ヘロヘロなんてものじゃなかった。


 翌朝は朝六時からロケ撮影。昨日と一昨日はスタジオだったけど、屋外に変わると加納アングルの見え方が変わるから大変。とにかく一本でも見落とすと、


「何をしてらっしゃるのですか。雑念があるから見落とすのです」


 夜は夜で麻吹先生も交えて反省会みたいなもの。


「・・・そうなると見えにくそうか。どうだ間に合うか」

「尾崎さんなら必ず見えるようになります。ご安心ください」


 もう撮影中はバシバシに集中したんだけど、ほんの一瞬でも見落とすと、


「何度も言ったらお分かりになるのですか。これは仕事です。その時間内ぐらいは集中して当然です。まだまだ足りません」


 部屋に帰ると毎晩泣いてたよ。どんなに頑張っても新田先生の望むようにできないんだもの。オフィスの弟子が逃げ出す理由が良くわかったよ。それとわざわざ仮眠室にミサトを泊めてるのも。


 とにかく逃げ出したくても、逃げられないのが加納ビル。まず三階までと四階以上は別々になっていて、一階から四階に行くには専用のエレベーターを使うしかない構造。階段もあるけど、非常時以外は扉が閉められて四階から三階には降りられなくなってる。


 非常階段もそうで、ここへの扉も普段は閉められてて通れない。防犯のためだそうだし、火事でも起これば即座に開くそうだけど、とにかく普段は通れない。それでも一階まではエレベーターで下りれるけど、ここには警備室があって、実はそこまで行ってみたのだけど、


『尾崎さん、こんな時間にどこにお出かけですか』


 夜間は絶対に通してくれない感じなのよね。昼間は通れるはずだけど、朝は朝でドンドン時間が早くなるんだよ。夜明け前から撮影開始で、終わるのも日が暮れてから。当然だけど新田先生の目の前から逃げ出すのも不可能。昼間に一階に降りる時間なんてゼロ。


 途中から監獄みたいに思えてきた。実質的に監禁状態みたいなものじゃない。でも監獄より辛いかもしれない。監獄内でも働かされるそうだけど、十二時間とか、十四時間とかないはずだもの。一番長い時で、朝の四時から夜の八時まであったから十六時間だよ。


 オフィス加納は監獄より辛い。ここはタコ部屋だ。それでもアシスタントの基本技術も一通りは覚えられた。大光量の照明を使うことが多いから二回ぐらい火傷したけど、


「尾崎さん、不注意すぎます。一度で覚えなさい」


 でもね、でもね、一週間を過ぎる頃に見えて来たのだよ。新田先生が追いかけているおそらくすべての線が。それだけじゃなく、その強弱もわかってきた。もう少し言えば、新田先生がどの線を好んで選ぶかも十日目が終わった時に把握した気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る