ひしめく地上の瀬戸際で

父が亡くなったのは私が大学を出て就職した年で、つまりはもう20年以上前の話だ。


父の仕事はいわゆる自営業だった。

女性の装飾品を売っていた。


元は大阪のそれなりに大きな店に勤めていたが、そこから暖簾分けしてもらって独立し、自分一人で商売していた。自分の一家を養うのがせいぜいの、小規模な商いだった。自分の店も持たず、昔からのお客さんの家を回りながら細々と売っていた。


父は学校の成績は良かったのだが貧しい農家の生まれで大学に進むことはできず、高校卒業後すぐに丁稚奉公に出た。娘の私が言うのもなんだけど、あんまり商売の才覚はなかったと思う。商売には少なからず強引さというものが必要だと思うが、父はそういう場面の押しの強さというものがまったくない人だった。まるっきりお人よしだったのである。


大学に進んで勤め人にでもなったならば、全然違う人生だったのではないかと思う。しかし当時は、父のような不運な人はたくさんいただろう。


私が好きな父の逸話が二つある。


一つは、ある会社に出入りして週一回、女性社員に対して販売をしていた時代の話。ある若い女性社員が、地方から出てきたばかりで月給も安くて、でも女性として着飾ってみることへの憧れがあって、月賦でなんとか買わせてもらえないかと父に相談してきたのだそうだ。その様子がいじらしくて胸が詰まって、父は仕入れ値より更に安い値段でその女性に売ってしまった。


私は死ぬほど能天気な娘だったので、父からその話を聞いた時、そういうのっていいね!お父さんらしい!と手を叩いて喜んだ。父のそういう態度が後に何をもたらすか考えてもいなかったのである。それは父の優しさではなく弱さだった。ただ、それが十分に分かっている今でも、やはり好きな話だ。


もう一つは父のお通夜の時に、父の友人の女性から聞いた話。


父は社交的で話がうまかったので、交友関係は広かった。

男性も女性もいたと思う。みんな地元の人たちだった。

いい年の男女が集まってお酒が入ると、猥談にもなる。人生の猛者ばかりなので男も女も恥じらいなぞ消えてオープンに下半身の話をする。

それなのに、父だけはそういう話に参加してこなかったらしい。


その手の話になると顔を真っ赤にして、ニコニコ笑っているけど全然喋らないのよ、あれは可愛かったわねぇ。


その女性は父が亡くなった衝撃で感情という感情がなくなっている私たちを労わるように、わざといたずらっぽい声でそう言った。


つまり私の父とはそういう人だった。

なんて愛すべき人物だろうと思うのは身内の贔屓目だろうか。

そりゃ人生を生きるのがうまいとは言えない。それでもそんな人物の一人や二人、こっそり生かしておいてくれるほどのスペースがどこかにあったって良さそうなものだと思う。この地上はそんな狭苦しい場所だろうか。



父は最後の最後でヘタをうった。

商売の借金がかさみ、どうにも首が回らなくなっていた。

憔悴しきって、人の金に手をつけた。


分からないように帳簿をごまかして、集落の皆が持ち寄ったお金を自分のポケットに入れた。


それに気づいた村の責任者にそっと指摘された時、父は自分を生に引き留める最後のロープを切ってしまった。

こんなことがバレたら田舎では生きていけないと思った父の気持ちはよく分かる。


責任者が我が家にやってきた時のことを覚えている。

お通夜の日か、その翌日のお葬式の前あたりだったと思う。家族はまだ気が動転していて、何が何だか分からない状態だった。


近所で農家をしている男性で、私も顔くらいは知っていた。

作業ズボンに手ぬぐいをさして、野良仕事のついでに来たかのような出で立ちだった。顔も手も日に焼け、頭には白髪がまばらに生えていた。人生のほとんどを土と共に生きてきた人の静けさのようなものをまとった人だった。


その人は玄関先で母と小声で話していた。母は深く俯いていた。


私が出ていくと、その人は微笑んで私に挨拶した。

小さな子供を慈しむような、ただただ優しい眼差しだった。


その人が帰ってから、父がその人の管理していたお金をちょろまかしたのだ、ということを知った。それを知った父の実家がすぐさまお金を補填したので、父のしたことは他の人には知られずに済んだ。


墓場まで持っていきます、とその人は母に伝えたのだそうだ。


父がしたことは、自分が墓場まで持っていきますと。


その人は本当にそのことを誰にも言わずに亡くなった。疑う人もいたようなのだが、封じ切ってくれた。父と私たち家族の名誉を守ってくれたのである。


今でもそのことを思い出すと、私は世間の奥深さを考えずにはいられない。歴史に残ることもスポットを浴びることもなく、誰にも気づかれないほどひっそりと生きている誰かがそのように高い心を持つということがあるのなら、何歳になっても世の中を見尽くしたような顔をするのは間違いだと思う。



父が今どのような形でどこにいるとしても、今となっては何もかもが穏やかなのに違いない。そのことを疑ってはいないが、それでもあんな風に死ぬために生まれてきたわけではない、もっと優しい終わり方にしてあげたかったと思うと、今でも泣いてしまう。


三人の子供の中で、一番父に性格が似ていたのも私だった。

父が亡くなったショックから多少回復した時、私がこのままの私でこの世界を渡っていくことが父の生き直しになると思った。今でもたまに、父の代わりに生きているような気がする。


私は当時すでに精神的に自立していたから、父が私を置いて行った寂しさで泣いたわけではなかった。

ただ、父が可哀想だったのだ。思うような人生を生きることが出来なかった父が。きっとやりたいことはたくさんあったと思う。


不在にはいつか慣れる。でも、もういない誰かを可哀想がって泣くことには果てがない。今もこれを書きながら泣いてしまった。これからもずっとそうだと思う。



(終)

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