第15話 悪妻料理を召し上がれ1
殺人者(私)が狙っているとも知らず、のんきにその膝の上ですやすやと居眠りしたカイン=キール=デボビッチ。
だけど平和な時間もじきに終わる。だって私は毒草の在処を把握したんだもの。
……とはいえ、温室からどうやって毒草を持ち出せばいいのかが難問でもある。
そもそも毒を手に入れられたとしても、どうやって公爵の食事に仕込めばいいのか。
屋敷の中で共犯者を望めない以上、全ては私単独でやるしかない。
だけど意外なことに、チャンスは向こうから巡ってきた。
「デボラ様、折り入ってご相談したいことがございます」
「――へ?」
それはある日の昼下がりのこと。突然メイド長のマリアンナと、料理長のケストランが私の部屋を訪ねてきた。しかも二人とも神妙な顔つきで。これは一体何事かと、にわかに緊張する。
「実はご相談したいのはカイン様の食生活についてです」
「デボラ様はどうやら私達の知らぬ知識をたくさんお持ちの様子。そのお知恵をお借りできないかと思いまして」
「え……ええぇぇーー……?」
二人に丁寧に頭を下げられるものの、思わず渋面をしてしまったのは許してほしい。
だって私、別に博識とかじゃないもの。前世の記憶が少し残ってるってだけ。それが現代日本の知識だから、ここじゃ物珍しく思われちゃうんでしょうけど。
「私なんかがお役に立てるかしら……」
「もちろんです。お恥ずかしい話ですが、私どもだけではもう打つ手がなくて」
料理長のケストランは額にダラダラ汗をかいて、本当に困ってるようだ。
そういえばここに来てから、私少し太っちゃった気がする。それもこれも、毎日出てくる料理が美味しすぎるせい。
「料理長、いつも美味しい食事をありがとう。毎日食事の時間が楽しみなのよ」
「あ、ありがたきお言葉、感謝いたします! そう言っていただけると、料理人冥利に尽きます……!」
ケストランは私の言葉に感激した様子で、大げさなほど泣いて喜んでいた。
うーん、この料理長が頭を悩ます問題って、一体何なんだろう?
「とりあえず口で説明するより、現物を見てもらったほうが早いかと思います。――イルマ」
「畏まりました」
メイド長が合図すると、イルマが食事を乗せたカートを運んできた。
片方はいつも私が食べている食事。もう片方は――
「ん? これは何? 離乳食か何か?」
「いいえ、それはカイン様の普段のお食事です」
「はあぁぁぁーー!?」
思わず大声を出して呆れてしまった。
だって公爵の食事と言われたほうは、私が食べている食事の半分の量もないんだもの。しかもその食事だって、パンにチーズをのせただけの簡素なもの。これじゃあ必要な栄養も摂れないでしょうに。
「ちょっと待って、カイン様は普段これっぽっちしか召し上がらないの? 本当に?」
「はい、元々カイン様は食が細く、食べ物に対しても興味や欲求がほとんどありません。こちらが贅を尽くした食事をご用意しても見向きもされず、必要最低限だけあればいい、と……」
「執務でお忙しい時などは、もっとひどい時がございます。胃がもたれるからと水分補給しかしない日もあるのです。主人の健康管理も私どもメイドの仕事。料理長ともども、カイン様にいかにお食事を召し上がっていただくか、日々頭を悩ませているという次第なのでございます」
「な、なるほどね……」
それから延々と料理長とメイド長の苦労話を聞かされた。
公爵の食欲を少しでも刺激しようと、異国の珍しい食材を取り寄せてみたものの、どれもこれもアウト。
一回の料理の量が多いのかと思い、今度は数時間ごとに小分けにしたものの、これもアウト。
食欲増進のお茶も煎じてみたが、ひどくまずかったため、口にも入れてもらえず捨てられた。
……などなど。
次から次から出てくる公爵の少食エピソードに、私は思わず苦笑する。
おいおい公爵、あんたあんないいガタイしていて超少食って、今まで何食って生きてきたのよ。霞?
しかも水分補給だけの日もあるって、まさか光合成でもしてんじゃないでしょうね?
こりゃ確かに使用人達が困り果てるのもわかるわ。どう見ても成年男子の一日の必要摂取カロリーに足りてないもの。
「つきましては恥を忍んで、デボラ様に何かお知恵をお借りできないものかと参った次第でございます」
「うーん、そんなこと言われてもねぇ……」
私は腕組みしながら考え込んだ。
……というか、むしろ私としては公爵に超少食を貫いてもらい、そのまま餓死してもらったほうがありがたいんだけど、さすがにそれはないわよね。
ん? でも待てよ、これってもしかして、すごいチャンスじゃない?
(だってここでうまいこと料理長達を丸め込めれば、公爵の食事に関わることができる。そうしたら毒を仕込むのも簡単になるのでは?)
私の中の悪魔が囁く。
問題の毒は手に入っていないけれど、ここでメイド長と料理長の相談に乗っておけば、後々色々やりやすくなるような気がする。
私は脳内で今後の作戦をシミュレートしながら、にっこりと微笑んだ。
「そうね、私も妻として、カイン様の食生活の改善にぜひ協力させてもらうわ」
「デボラ様、ありがとうございます!」
「奥方様の手を煩わせることになってしまい申し訳ありません! でも本当に助かります!」
……うっ、そんなに素直に喜ばれると、さすがに胸が痛む。
どうもこの屋敷の使用人は気のいい連中が多いわね。心の中で汗を流しつつ、私はすっくと椅子から立ち上がった。
「では早速市場まで出かけましょう。急いで馬車の手配を」
「……え?」
私の突然の命令にメイド長達はきょとんとした。おそらく二人は、公爵が興味を持ってくれそうな珍しいメニューのレシピか何か知りたかったのだろうけど、私の計画はその予想を上回る。
「カイン様の食事は、妻である私が直々にお作りします。そのための材料を町まで探しに行くのよ。さ、急いで」
そう、これぞまさに悪妻手料理大作戦!
デボビッチ家に嫁いできてから屋敷に閉じ込められていた私も、ようやく堂々と外に出る口実を手に入れたのだった。
× × ×
「今日は奥方様が町に出られるということで、不肖このコーリキとジョシュアが護衛を務めさせていただきます。何卒よろしくお願い致します、デボラ様」
「こちらこそ。突然の外出に付き合わせることになってごめんなさいね」
「いえ、お気になさらず。なんか奥方様がまた面白い事やらかしそうだって聞いて、オレはわくわくしてます!」
「おい、失礼だぞ、ジョシュア!」
私の隣に立つ、金髪の青年――ジョシュアが、真面目そうな赤毛の30代くらいの男性――コーリキに、ぽかっと軽く頭を殴られた。
彼らはヴェインの部下で、このデボビッチ家に仕える親衛隊の一員だそうだ。
もちろんヴェインは私の外出に、最初はいい顔をしなかった。
「デボラ様が直接カイン様の料理を? なぜわざわざそ下々のような真似を……」
町に出るためにわざわざ地味な服に着替えた私を見て、ヴェインがめっちゃ鬼の形相で睨んできた。でももうこの顔も慣れっこだ。
「お言葉を返すようだけど、ヴェイン、料理は決して下々のする仕事ではないわ。皆が生きる活力を得るための立派な仕事よ。あなたの筋肉だって、毎日食べる食事のおかげでそこまで見事に育ったのでしょう? 食事を笑う者は、いつか食事に泣くわよ」
「ム……、それは確かに。失言、大変失礼いたしました」
私の発言を聞いて背後に控えていた料理長はめっちゃ感激してた。
逆にメイド長は貴族の令嬢である私に料理ができるのかと不安に思っているようだけど、こちとら小学生のうちから家庭科で料理を習わされていた元日本人。簡単な料理くらい作れるわ(多分)。
そんなこんなでかなり強引に、町まで下りるための馬車を用意させた。元々公爵からは、屋敷にいる間は好きにしていいという言質を取っているので、割とすんなり外出の許可も下りた。
くそ、こんなことならもっと早く適当な理由を付けて外出していればよかったわ。
そして護衛として紹介されたのが、コーリキとジョシュアと言う訳なのだ。
「食材を買いに行くと言ってもあまり目立ちたくはないの。馬車は市場に入る前で止めてちょうだい」
「お任せください。ここはアストレーですからね。王都では見られない珍しい異国の食材もたくさんありますよ!」
ジョシュアは気さくで私と年も近く、親しみやすい青年だ。その若いジョシュアの手綱を握るのが同僚のコーリキだ。
「とは言え、アストレーの市場では異国の民も数多く商売しております。悪徳な店もありますので、そういう店には決してお近づきになりませんように」
「ありがとう。コーリキは若い頃、王都で騎士の職に就いていたんですってね。頼もしいわ」
「昔のことです」
コーリキはかなりくそ真面目な性格らしく、陽気なジョシュアとはいいコンビだ。そうこうしている間に外出の用意が整ったというので、私は質素な馬車に乗り込んだ。
「イルマ、デボラ様のお供、頼んだぞ」
「ヴェイン殿、お任せ下さい」
ちなみにイルマもお財布係として私と一緒にお出かけだ。エヴァとレベッカも同行したそうだったけど、さすがに大人数での買い物は人目を引くので我慢してもらった。
「ハイヤァ!」
御者が馬に鞭打つと、馬車はゆっくりと走り出した。数週間前に辿ってきた並木道を、今度は逆に走り丘の下の町へと降りていく。
それはまるで長く閉じ込められていた牢獄から脱出するようで、久しぶりに私の胸をワクワクさせた。
私が向かった先は、主に食材が取り扱われているというイースト・マーケット。以前も前を通りがかったけれど、実際中まで入ってみるとかなり大規模な市場で活気もある。
道行く人もヴァルバンダ人だけでなく、東方風の人、アジア系の人と色々な人種が混じっていた。さしずめ外国人観光客であふれるアメ横……って感じかしら。
「デボラ様、一体どんな食材をお探しで?」
「うーん、そうねぇ……」
物珍しさできょろきょろしながら、イルマ・コーリキ・ジョシュアと共に市場を練り歩く。ケープを頭からかぶって顔を隠しているため、見た目的には一般人とそう変わらないはずだ。公爵夫人が自ら市場で買い物するなんて前代未聞だから、さすがの私も一応身分を隠してみる。
「どうせならお米とかお味噌とか、日本食に似た食材が欲しいかなー。納豆とかも恋しい……」
「オコメ? オミソ? ナットー?」
イルマやコーリキ達もさすがに日本特有の食材には心当たりがないようだ。通りには珍しいキノコや野菜、中にはカタツムリに似た食材がざるで量り売りされてたりする。市場には食事や飲酒ができる店もいくつかあって、どこもかしこも賑わっていた。
「ま、のんびり行きましょ。これだけ広い市場だもの」
「御意」
久しぶりの買い物にワクワクしながら、私は市場のメインストリートを進んでいく。
――と、不意に、ドンッという衝撃を覚えて、
「げふっ!」
と、思わず下品な声を上げてしまった。
「デボラ様!?」
「おい、お前、何してる!?」
ほぼ真下からの死角の攻撃に、護衛のコーリキやジョシュアの反応も遅れてしまった。
気づけば私の体めがけて、小さな女の子が体当たりしてきていたのだ。
「お客さん、何をお探しですかっ? 異国のおいしい食べ物なら、あっちにたくさんありますよっ!!」
「!」
それはまだ年端の行かぬ幼い女の子。
客引きだと思われるその少女は、満面の笑顔で私にしがみついてきたのだった。
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