憧れのファッションデザイナーの弟子になろうとしたら、女装させられて女子高に通うことになりました。

水無土豆

第1話 Piéger


「──ごきげんよう」

「ごきげんよう」


「──ごきげんよう」

「ごきげんよう」



 春。

 桜の花弁舞い踊る、私立エトワール・ブリエ学院高等学校。

 この高校は全国でも珍しい、〝服飾デザイン科〟という、洋服の歴史や、そのデザインの勉強を主とした学科を設けており、日本全国津々浦々、そういった、洋服について関心を持っている、または将来服飾関係の仕事に就きたいと思っている学生たちが通う学校である。

 そして、その学校正門前では、在校生である新二年生、新三年生の女学生たちが、今日から入学してくる新一年生の女学生に上品な挨拶と、朗らかな笑みを向けていた。



「ごきげんよう」


「ご、ごきげん……よう……?」



 そんな上級生の挨拶にひとり、ぎこちない笑顔で挨拶を返す黒髪で、目つきの鋭い新一年生がいた。彼女の名前は羅漢前ラカンマエ 剛雄タケオ

 つよい、おすと書いて剛雄タケオ

 花も恥じらう十五歳の女子にしては、些か男前・・な名前ではあるが、彼女は──いや、彼はまごうことなき男であった。



「あら、あなたはたしか──」


「は、春風彩華はるかぜいろはです……」


「そうそう。たしかクリスチアーヌ先生の、遠い親戚の……」


「は、はい、恐縮っす……」


「……あら? どうかしましたか? 気分が優れないご様子ですが……」



 入学早々、すでに顔色が、熟れたリンゴの様に真っ赤になっているタケオを気遣ってか、上級生のうちの一人がタケオに駆け寄り、彼の手を取ろうとする。が、タケオはすぐさま自身の手を引っ込めると、「す、すみません、ちょっと股座またぐらがスースーと落ち着かないもので……」と遠慮がちに言ってみせた。

股座またぐら

 という聞き慣れない、すこし下品・・な単語を聞いて、ぽかんと口を開けている上級生を他所よそに、タケオはそそくさと、それでいて大胆に、大股で先を急いだ。目的地は現在、新入生が集まっているエトワール・ブリエ学院高等学校の体育館──ではなく、羅漢前剛雄をこの学校へ推薦した、クリスチアーヌ・ロランの所だった。



 ◇



 クリスチアーヌ・ロランとは、ここ、私立エトワール・ブリエ学院高等学校で服飾デザインについて教鞭を執っている教師であり、元世界的なファッションデザイナーである。現在は本人がすでに齢六十歳を越えたこともあり、商業向けのデザイナー活動から退き、祖国仏蘭西フランスを離れ、日本へと移住して来ていた。彼女自身日本語は堪能で、彼女の子ども、孫もまた日本生まれ日本育ちであった。


 ──コンコンコン。

 クリスチアーヌ専用・・の職員室というよりも、もはや彼女専用の研究室に、ノックの音が響く。

 元世界的なファッションデザイナーという事もあり、この学院内にて彼女の待遇は破格。まるで大学の教授のような、彼女専用の研究室を学院内にしつらえらえていた。

 クリスチアーヌは手に持っていたスマホの操作を止めると、クリーム色のジャケットのポケットにそれを押し込み、扉に向かって声をかけた。



「どうぞ」



 高年の女性特有の、すこししゃがれたような声で、自身の部屋を訪ねてきたクリスチアーヌが客人を招き入れる。



「し、失礼します……!」



 ややあって、おずおずと部屋へと入ってきたのは羅漢前ラカンマエ剛雄タケオ

 彼はまず、ぎこちなくクリスチアーヌにお辞儀をすると、そのまま振り返り、静かに扉を閉めた。



「来ましたねタケオ。……いえ、この学園内では〝いろはちゃん〟とお呼びしたほうがよかったですね」


「い、いろはちゃん……すか、恐縮っす……!」


「とりあえず、お座りなさい」



 クリスチアーヌはタケオに、職員室には似つかわしくないほどの高級そうな黒いソファへ座るように言った。タケオは「失礼します……」と言って軽く会釈をすると、そのままちょこんと下座に座った。



「相変わらずサマになっていますね、あなたの女装は。どこからどう見ても、綺麗な女の子にしか見えませんよ。……まあ、女装する前から〝羅漢前剛雄〟という雄々しい名前からは想像できないほど、女の子みたいな顔はしていましたけど」



 クリスチアーヌが自身もソファに腰かけながら、世間話のような切り口でタケオに言った。



「ただし、座るときはもうすこし、脚を閉じたほうがいいかもしれませんね」



 クリスチアーヌに指摘され、九十度くらい開いていた脚を慌てて閉じるタケオ。タケオはまた少し顔を赤らめると、改めてクリスチアーヌに頭を下げた。



「あの、ありがとうございます! クリスチアーヌ先生! あなたのお陰で、こうして、この学校に入学することが出来ました!」


「あらあら、うふふ、そこまで畏まらなくてもよいのですよ。あなたの目的はここへ入学することではなく、ここに三年間在籍し・・・・・・卒業をする・・・・・事です」


「そ、そうっすけど……もし、万が一、俺が男だってバレでもしたら、クリスチアーヌ先生は……」


「それは、今考えるべき事ではありませんよ、いろは・・・さん。さきほども言いましたが、あなたが今考えるべきは、どのようにバレずに三年間、この学園で過ごすかです。まず手始めにその口調……はいいとして、一人称の〝俺〟を変える事ですね」


「い、一人称っすか……」


「はい。もちろん、自身を〝俺〟と呼称する女性もいるにはいるのですが……」


「どうかしました?」


「まあ、わたくしは実際に見たことはありませんが、あなたの目的はあくまでこの学園の生徒になりきること……つまり、女子然・・・と在ることです。わざわざ目立ってしまうような一人称を使う必要もないでしょう」


「そう……っすよね。でも、いままでずっと〝俺〟だったので……」


「そこは、頑張って慣れていくしかないですね」


「は、はい、頑張ります!」


「よろしい。素直な子は好きですよ」


「あ、ありがとうございます。……でも……今さらですけど、本当によかったんですか? 女子高に男を入れるだなんて……」


「本当に今さらですね」


「す、すみません。いちおう言っておかないと、と思いまして……」


「男子が女子高に入学するという事は、法律上ではほんの些細な問題が……あったりなかったりするかもしれませんが、わたくしは外国人ですので問題ありません」


「いや、先生、日本国籍取得されてましたよね……」


「……まあ、ぶっちゃけ、今さら解雇されても散々稼いできましたので、お金に困る事もありませんし」


「そういう事でもないと思うんですけど……」


「とにかく、現にこうして入学する事ができました。あとは……そこそこに、バレない程度にやってください」


「ず、ずいぶんと投げやりですね」


「所詮は他人事ですので」


「……反論できる立場でもないので、なんともコメントしづらいっす」


「──という冗談はこれくらいにしておいて、そろそろ入学式が始まります。初日から、それも入学式から遅刻するなんて、バレるバレないとかいう以前に、人間としてヤバい・・・ので、いろはさん、あなたは先に出席しておいてください。わたくしも色々とやる事が終わってから、後から出席します」


「やる事、ですか。……そうですよね、これくらいの無理を通してくれているのですから、手続きとか色々と大変っすよね。……ほんと、ご迷惑おかけします!」



 タケオはそう言うと、両手を膝について、深々と座ったまま頭を下げた。



「ああ、いえ。今遊んでいるアプリで高得点をとれそうなので、とりあえずキリの良いところで終わらせようかな、と」



 クリスチアーヌはそう言うと、ジャケットのポケットからスマホを取り出してアプリを起動させた。



「え? あ、なるほど! そうでしたか! ……アプリ?」


「はい。簡単なパズルゲームです」



 顔もあげず、目線も寄越さず、クリスチアーヌは指を忙しなく動かしたまま答えた。



「いや……なんか、さっきから軽くないですか?」


「軽い? 何がですか?」


「ノリが……い、いえ、なんでもないっす。……とにかく、俺……じゃなくて、あたし、先に入学式に行ってきますね」



 タケオはスッと立ち上がると、クリスチアーヌにお辞儀をし、そのままそそくさと部屋を出た。

 ──パタン。

 部屋の扉がしまり、クリスチアーヌはタケオが居なくなったのを確認すると、アプリを閉じ、電話帳から〝上田雅ウエダミヤビ〟という名前をタップして、その人物に電話をかけた。



『──はい、もしもし、師匠ですか? どうしました?』



 クリスチアーヌの電話口から女性の声が聞こえてくる。



「来たわよ、ミヤビ・・・


『来た? あたし、師匠になにか送りましたっけ?』


「違うわよ。あの子、いろはさん」


いろは・・・? ……はて?』


「羅漢前剛雄さんです」


『〝らかんまえたけお〟……ああ、思い出しました。あの展覧会の時の子……って……んん? す、すみません、もう一度言ってくれます? 誰が来たって? ちょっと理解できなかったんですけど……』


「今春から、私立エトワール・ブリエ学院高等学校の生徒として、〝羅漢前剛雄〟さん改め〝春風彩華〟さんがご入学なさいました」


『いやいや、え? ……嘘ですよね。だって彼、男の子ですよ?』


「ですね」


『〝ですね〟じゃなくてですね……て、そもそも、よく学校も許可しましたね』


「わたくしが強引に推し進めました。戸籍謄本やら住民票やら、色々と面倒なことはありますが、おそらく大丈夫でしょう。全寮制ですし」


『またアバウトな……。それに、在学中はよくても、卒業したらまた厳しいでしょ』


「あら、卒業したらあなたが彼の面倒を見るのでしょう? なら問題ないじゃない」


『……それも知ってるんですね。ていうか、なんでそんな事引き受けちゃったんですか?』


「迷惑だったかしら?」


『ええ。そりゃもう。あたしからすればすっごく迷惑ですよ』


「ふふふ……」


『いや、何笑って──あ、もしかしてあの子の才能を見抜いたから……とかですか?』


「ああ、いえ、才能の有無は置いといて……」


『いや、置いちゃったらダメでしょう。そこはきちんと拾ってください』


「──面白そうだったから、です」



 クリスチアーヌが口角を上げ、目じりを下げ、ニコニコと微笑みながら言うと、電話口からこれ以上ないくらい長く、重いため息を吐いた。



『……そうでしたね。師匠はそういう方でした』


「だって、女子高に男子・・が来るのですよ?」


『まあ、そうですけど……』


「まさかこの歳になっても、こんなにワクワクしているなんて、自分でも驚いています」


『はいはい。楽しそうで何よりです。……はぁ、こんな事になるんだったら、もっとちゃんと、断ったほうがよかったかな……』


「何はともあれ、いちおうこうして、あなたにも連絡は入れておきました」


『そりゃどうも。ご丁寧にありがとうございます』


「もっと感謝してもいいんですよ?」


『はいはい。……そういえば、話は変わりますけど、師匠のお孫さん、イヴ・・ちゃんも今年、そちらのほうに入学するって聞いたんですけど……』


「はい。よくご存じで。ちなみに部屋はいろはさんと同じにしてあります」


『……は?』


「全寮制の女子高にて……あろうことか、年頃の男女が同じ屋根の下……何も起きぬはずもなく……」


『どうしようもねえババアだ』


「ふふふ」


『何笑ってんですか……ちなみにその事、イヴちゃんは知ってるんですか?』


「いいえ? もちろん、言ってませんが」


『……あの、いまあたしがここで〝なんで〟って訊くのは野暮ですか?』


「野暮ですね。なにせ、教えたら面白さが半減しちゃいますから」


『はぁ……、可哀想なイヴちゃん』


「──では、そろそろ式に遅れそうなので、これで失礼します。彼……いえ、彼女・・との約束、忘れてはいけませんよ?」


『むぐぐ……』


「返事」


『……はいはい。彼がちゃんと卒業出来たらの話ですけどね』


「よろしい。では、また──」



 クリスチアーヌは楽しそうに、鼻歌まじりに通話を切ると、そのまま部屋から出て行った。

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