第2話 どら焼きハッピネス


「塩川クリニックの奥方はあのどら焼きにえらく感激してな。あの品をネットで検索したらしい。するとあのどら焼きは普通じゃない事がわかったんだ」

「普通じゃないって、どうかしてるって事ですか?」

「お前だろう。どうかしているのは」

驚きで目を向く風間。姫野は苛立ちを隠さなかった。朝の日差しが眩しい営業所内のパソコンの画面には『七香亭の幻の白餡どら焼き』と合った。

「ネットの情報によるとだな。この白餡は高貴な方に献上する特別使用のどら焼き、とあるぞ。お前、これどうやって買ったんだ?」

その時、彼らの背後に事務員の松田が声を掛けた。

「お話し中すみません。姫野係長。狸小路たぬきこうじ外科からお電話です」

「くそ!風間。辞表はどうでもいい。席で待て」

「ふあーい」

東の陽が爽やかな中央第一営業所。先輩姫野の電話中、辞職する気満々の風間はやりかけの仕事を片付け始めた。

彼らの勤務する夏山愛生堂は北海道を代表する医薬品卸売の会社。医薬品メーカーから薬を購入し、各病院へ販売する卸会社は、北海道経営会社では三本指に入る大企業だ。

風間の所属する中央第一営業所は札幌の中央区にある医薬品を扱う医療機関が管轄。ススキノや大通り公園、狸小路商店街などの繁華街にある医療機関は大きな病院は無いが、個人病院や歯医者、美容外科が数多くあるのだった。

札幌の繁華街、不夜城ススキノの老舗である風間薬局の一人息子の風間諒は薬剤師の資格を持っており、普通の社員と異なり医学の知識がある。

しかし。彼はこの会社でのし上がろうという気持ちは一切なく、社会経験をさせて欲しいという彼の父親である風間薬局の社長の意向だったので、渋々務めているやる気なし社員だった。

薬局の営業担当は、薬局向けの商品専門の薬粧営業部の担当。風間はそこの営業でも修業になったはずだが、会社側は同じエリアを担当する点と、社内一堅物と恐れられている姫野なら風間のお目付け役に相応しいとなり、医薬品担当の営業をさせることにしたのだった。

高校時代ミスター札幌に選ばれた過去を持つ風間。そのまま芸能界に誘いを受けたのだが、北海道から出るのが嫌だという理由でこれを拒否し、地元の私立大学に進み薬剤師の試験に合格した変わり者。しかし甘いマスクの高身長で育ちの良さからにじみ出る優しい仕草と、親の後光も手伝って、女子社員や得意先の女医や看護師に大人気だった。

これに劣らず。目付け役の姫野岳人も彼に負けないイケメンである。

本人は無自覚だがクールで知的な彼は、仕事に対し大変ストイックで、スポーツ万能であり夏はゴルフやカヌー。秋は登山。冬はスキー接待をこなしている。

バレンタインのチョコレートをもらう数は社内一だが、仕事以外の用に関しては、本人は迷惑をしていた。こうしてこの3カ月前から札幌の繁華街を営業エリアとする二人組は、夏山愛生堂のイケメンツートップをして医療業界では有名だった。

そんな姫野の電話中、医薬品メーカーの営業マンと歓談し時間を潰していた風間は、姫野と話すのが面倒なので、昼を前に小花の待つ立ち入り禁止の部屋にそっと足を運んだ。

「こ・は・なちゃーん!失礼しまーす」

「あ。本当に来た」

清掃員の吉田はお茶をコポコポと入れていたところだった。

「まあ?来てくださったんですか?さあ、どうぞ」

風間を見た小花は嬉しそうに彼に座布団を進めた。

「風間さん。先に手を洗って下さいね」

「うん!ありがとう!」

部屋の小上がりの畳みのちゃぶ台には、重箱が有った。小さな台所で手を洗った風間は、靴を脱ぎ畳みに上がり遠慮なく座布団にあぐらをかいた。

「いいですか?皆さん、開けますよ……ほら」

そこにはお赤飯が入っており、大きな甘納豆が乗っていた。

「すげ?これ俺ために?」

目をキラキラにさせた風間。小花はうんとうなづいた。

「はい!私は風間さんとは本当に短い間のお付き合いでしたけれど、せっかくの門出ですから。せめて私達だけでも祝って差し上げたいと思いまして」

そういいながら正座の小花は赤飯をお皿に盛りつけ始めた。

「これくらいの量でいいかな」

「うん……嬉しいな。俺、赤飯大好き!あ?それくらいでいいよ。いただきまーす……ってあれ。俺か?」

割りばしを割った風間。鳴り響くスマホに面倒臭そうに出た。

「全く……。はいはい、何ですか。姫野先輩?」

『お前!どこにいる?それにどら焼きは……』

「待って下さい」

風間はスマホを押さえた。小花はごま塩を持っていた。

「風間さん。これ、三回掛けちゃいました」

「後二回頼むよ、あのさ?小花ちゃん。ごめん。例のどら焼きの件なんだ。俺の先輩、超、頭が固くてさ」

面倒そうな風間。小花は三回思いっきりごま塩を掛けてから風間を見た。

「風間さん。スマホの押さえる所はそこではありませんわ。それでは筒抜けよ」

「そうなの?……まあ、どうでもいいさ。あのね?とにかく昨日のどら焼きがどうのこうのって、うるいんだよ。あのさ、悪いけど代わってくれないかな、俺は何をどう言えばいいのか、まったく一つもわからないんだよ」

風間と小花はスマホとごま塩の小瓶を交換し、彼女は電話に応じた。

「いいですわ。大船に乗った感じで私にお任せください……。もしもし?お電話代わって差しあげましたわ」

『差し上げた?き、君は誰だ』

後輩の電話が若い女性の声に代わったので、姫野の声は動揺していた。彼女は構わず続けた。

「私。風間さんの代理の者です。あのお品について何かございましたでしょうか」

『あれの購入方法を知りたいのだか』

「……お答えできません」

『何?』

「良いぞ!小花ちゃん」

喧嘩腰の小花。風間は嬉しそうにエールを送るので、彼女は任せて!と力強くうなずいた。

「あのですね?あなたは上司なのに、どら焼きよりも、風間さんの心配はなさらないのですか?今回の責任に胸を痛めて辞表を書いたのに。あなたはどら焼きの方が大切なんですか?」


『おい!君は一体誰だ!風間に代われ』

「……そのような人でなしに、どら焼きの件ははお答え致しかねます。ご機嫌遊ばせ……」

そう冷たく微笑んで電話を切った小花。風間は口笛を吹いた。

「すげえ!ああ……先輩の顔見たかった……」

喜ぶ風間に吉田は呆れて首を振った。

「全く。あんたも辞めるって決めているから、のんきなもんだ……」

 小花も嬉しそうに笑みを浮かべ、正座をし直した。

「さあさあ!気を取り直して食べましょう!風間さん、紅生姜はどうなさいます?」

「ちょっとかけて。ああ、ちょっとだよちょっと!」

楽しい風間の送別会。呆れる吉田と嬉しそうな小花と時間が過ぎていった。



食べ終えた吉田は風間にお茶を出した。

「……ところで。僕ちゃんのミスは謝って済む話なのかい」

 座敷で寛いでいた風間。思い出したように語り出した。

「ああ。マスクの在庫があるみたいですが。腐るものじゃないし。先輩が何とかすると思いますから」

 空になった重箱を台所で洗っていた彼女は、はたと動きを止めた。

「マスクですか。うちの清掃会社なら買うかもしれませんよ。少々お待ち下さいませ」

小花はスマホで連絡を始めた。

「あの……風間さん。お値段は?」

「原価で良いよ」

風間のお得な値段。これを聞いた彼女は早速どこかに相談していた。

「あ!買うそうです。百ケース」

「うそ?」

驚く風間。吉田はやれやれと息を吐いた。

「あんたね。小花ちゃんのいる派遣会社は千歳空港の掃除もしている大企業なんだよ」

「他には……そうだ?ちょっと一緒に来て下さい」

言い出したらノンストップの小花。捕まった風間は、エレベーターで地下へ向かった。

「ここは配送センターですよ。あ、手塚さん!こっち!」

トラックから降りたヒゲ面の中年男性。小花は声を掛けた。

「どうした小花ちゃん。また事件か」

「違います!この新人さんが、マスクの在庫を抱えて困っているんです。少し買ってくれませんか」

「なんだ事件じゃないのか……しょうがねえな。インフルエンザ対策に少し買っておくか。じゃあ、一ケースだけ」


「ありがとうございます!」

「よかったですね。そして、次!」

小花達は共同ビル内にある食堂に向かった。ここでも使用するものなので一ケース買ってくれたが、まだ大量の在庫が有った。

「あ、返事が来た。吉田さんの娘さんの勤務先の幼稚園でも買って下さるそうです。でもまだ残っていますね」

返信を確認する彼女。面倒そうな風間は頭をかいた。

「……もういいよ。小花ちゃん。それに俺、もう辞めるんだから」

エレベーターを待つ間。小花のおせっかいに風間は、首をかしげて小花を見下ろした。そこには勇ましい彼女がいた。

「ダメですよ風間さん!あきらめるなんて。全部売って、あの人でなし上司をぎゃふんといわせてやりましょうよ」

両手に拳をつくる彼女。興奮して顔を膨らませていた。風間はつい微笑んだ。

「アハハハ。どうして小花ちゃんがそんなに怒るのかな……。それにぎゃふんか……先輩は絶対、そんな事言わないけど……」

自分のために必死の彼女。風間はどこか面白くなってきた。

「じゃあ、そこまでいうなら……やってみようかな」

小花と一緒に到着したエレベーターに乗りこんだ風間。スマホを取り出した。仲間にメッセージを送ってみた。

「おお?大学時代の仲間や昔のバイト先で買ってくれるって連絡が来た。頼んでみるもんだな」

「風間さんはやればできる子なんですね……ご立派よ」

胸の前。小さくぱちぱちと拍手する小花。風間は満更でもなく頬を赤らめた。こうして中央第一まで戻る間、風間は連絡を頑張った。が、あと約八千個在庫になっていた。

「仕方ない。最後の手段だ。俺の親父に頼むか……もしもし?」

風間が電話で頼むと、風間薬局の社長は息子のために全部お買い上げになった。

「よっしゃー!これで全部売ったぞ」

「本当ですか?すごい!」

エレベーターを一階で降りた瞬間。ハイタッチで二人は喜んだ。風間は笑顔ではしゃいでいた。

「でも、小花ちゃん。誤解しないでね。薬局でマスクを販売するのは俺もちゃんと手伝うからさ」

偉そうに腰の手を置く風間。小花は嬉しそうに両手に拳を作り、ブルブルと震えた。

「良かった……これで、ぎゃふんと言わせられますね」

「誰がぎゃふんだ?」

「うわ?先輩!」

足音も無く。いつの間にか背後にいた姫野。風間は猫が飛び上がるように本当に驚いた。

「全く急に消えて。こんなところにいるとは」

「先輩!それよりこのデータ見て下さいよ!俺、マスク一万個売りましたよ」

中央第一営業所前の廊下。彼のスマホのデータを覗きこんだ姫野は、目を見開いた。

「まさか……嘘だろう!ってお前?何をした?」

「へへん!彼女のおかげって、あれ?いない……」

「そうだった!さっきの女が生意気女だろう。どこへ行ったんだ」

二人は廊下や辺りを見渡した。しかし彼女は消えていた。姫野は風間に詰め寄った。

「おい!風間。あの女は何者だ……」

 服を掴む姫野の怒り顔。風間はへへへと誤魔化した。

「個人情報……」

「ふざけるな!」

低い声の怒った顔の姫野。能天気な風間も流石にビビった。

「すいません」

「俺に言われればお前がすいませんだよ!それに何が個人情報だ。今度見かけたら営業妨害であの女を訴えてやる」

「ええ?今度も何も。俺は今日で首でしょう?」

姫野は風間の服を離した。

「起きているのに寝ぼけるな!一万個も販売した男を首にできるわけないだろう……?さあ。戻るぞ。来い!っていうか歩け!」

「ふぇーん……」

姫野に腕を掴まれて歩く廊下。風間は、ふと一階の非常扉に眼が止まった。

このドアの向こう。小花がいるかもしれない。けれどこのドアをノックするのは明日に取っておこうと風間は心に決めた。彼は心を弾ませて、姫野と一緒に昼下がりの中央第一営業所へ向かった。





つづく




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