第九話-③



 リサは、リビングで月夜やアリーヤとともに乾燥させた芳香植物を不織布の小さな袋に詰め、守りの祈りを捧げていた。

 宗一郎から作り方を教わった、魔除けのサシェである。

 故郷の村の特産品でもあるラベンダーを使ったこれはリサのお気に入りで、他の芳香植物も合わせてそれなりの数を作っていた。

 しかし。


「ふう……」


 珍しくリサの形のいい唇から漏れたため息に、すぐそばで一緒に作業をしていた月夜とアリーヤは同時にリサへと視線を向けた。


「リサちゃん、どうしたの?」


 疲労からのため息でないことだけは確かだ。

 なので月夜は、リサの様子は疲労ではなく、不満とか不安とか、そういう後ろ向きの感情に由来するものだと察した。

 旅人たちの中でも最年少の遥香よりも少々年下のリサは、整った顔に憂いの色を乗せている。

 開いた窓から穏やかな風が入り込み、柔らかく四人を撫でて屋敷の奥へと流れていく。

 テーブルの上に置いてあるサシェ用の乾燥花弁だとか袋が少しだけ揺らされたあと、リサはゆっくりと口を開く。


「わたし、いまのままでいいのかな……って、そう思ってしまったんです」


 リサの発する声音は、少しだけ寂しそうであり、悲しそうだ。置いていかれる者だけに許される胸の締め付け。彼女の声からは、そんな感情を連想させる。

 月夜はサシェを作る手を止めて、リサの言葉に耳を傾ける。アリーヤも同様に。

 最初に呟きを漏らしたリサは、そのときと同時に無意識に手を止めていた。

 態度で話を聞く体勢を作ってくれた二人にリサは心の内で感謝しつつ、今日までに溜め込んできた気持ちを彼女なりに少しずつ、少しずつ吐き出していく。


「みなさんが戦いに挑むとき、わたしがみなさんの足を引っ張ってしまうことは、最初から分かっていたことなんです。わたしはいまでこそ神薙と呼ばれ王宮に入ることさえ許していただけていますが、わたしの最初は、なんでもないただの村娘なんです。できることなんて限られてて……」


 きゅ、と握られる小さな手。

 その手は年相応の柔らかさを持ちながら、農作業や水仕事で何度も荒れたことを経験したことのある手でもある。

 その手が握ったのは、悔しさだった。


「せめて、せめてみなさまの足を引っ張らないくらいにわたしが動ければ良かったのですけど……。本当に残念なことに、戦いからは程遠い生活しか送ってこなかったんです」


 それはそうだ、と月夜は声に出さず思う。

 それが普通なのだ。それが常識なのだ。そういう生活が一般的なのだ。

 戦いに身を置く女性はいるし、冒険者として活躍している女性も東区の協会で何度も見たことがある。だが、リサはそういう立場にはなかった。

 リサは、穏やかで静かな時間を好む少女だ。活気があって騒がしい空間も楽しそうにできる人間だ。逆を言えば、武器や暴力や血液が飛び交い怒号が響く戦場は、リサという少女からは最も遠い場所である。

 それは本来であれば、月夜だって同じだ。いや月夜だけでなく、宗一郎も遥香も、縁志も有雨だって戦いからは程遠い場所で生まれ生きてきた。いまはただ、戦える力を与えられているから、帰るためにそれを振るっているだけに過ぎない。


「リサちゃんは、戦いたい?」


 だから月夜は問う。リサの気持ちを察した上で。

 そんな世界へ、自分の足で踏み入れたいのかと。

 リサは本当に村娘で収まるのか不思議なほど、聡明な少女でもある。たった一度、宗一郎と月夜が『根』で戦っているところを見ていた彼女は、それだけで戦闘というものがどれだけ恐ろしいものか、肌で味わって理解しているはずだ。

 戦闘に一切縁がないはずだった月夜たちが戦えているのは、恐怖心が緩和・抑制されているからである。これは宗一郎と月夜が『根』で戦っているときに確認済みだし、縁志たちもそういう効果があることを自覚している。

 それが必ずしもいいことであるかは分からないが。

 自分たちとは最初から条件が大きく違う。それでもリサは戦いの場にいたいのかと、月夜は問うたのだ。

 その問いに、リサは。


「……分かりません。ただ、わたしは……」

「リサは、みんなのことをお手伝いできないことを、心苦しく思っているのね」


 はっと顔を上げるリサ。

 その指摘をしたのは月夜ではなく、同じようにサシェ作りを楽しんでいたアリーヤ王女だった。


「あー……」


 質問の仕方が悪かった。

 まず第一に戦闘を前提にするなんて。

 自分の思考が殺伐とし始めているのを実感した月夜は、それはもう全力で突っ伏した。

 どしゃーっ、とテーブルの上にあった乾燥させた芳香植物が取っ散らかってしまうほどに、実に盛大にどしゃーっと。


「つ、ツクヨ様!?」


 唐突にテーブル全体に絹糸のような金髪を広げ、おでこをごちんとテーブルに置く。


「いまちょっと、自分の考え方がだいぶ荒んでたのを自覚しちゃって……自己嫌悪中」

「あらあら」


 困った子ねえ、とアリーヤが穏やかに笑む。ぽんぽんと頭を撫でられ、月夜はむぐぐとなりつつもされるがままになっている。


「わたしは、リサのその考えはとても好きよ。さすがは崇高な神薙だとか、自己犠牲の精神は美しいとか、そんなものよりもずっと。その悩みを抱けるのなら、きっとあなたは誰かを助けられる。

 けれど、気を付けなさいね。誰かに心を砕きすぎると、あなた自身が削れてしまうわ」


 アリーヤの歌うような言葉を、リサは不思議な気持ちで聞いている。自分の心の内を見透かされている、とは思わない。ただアリーヤは第一王女らしく気高く、教会に飾られている女神像のように美しく――まるで本当の姉のような温かさがあった。


「わたしは……どうすればいいのでしょう」


 だから思わずリサは、アリーヤにすがってしまった。

 アリーヤはいつもと変わらない、たおやかな笑みを浮かべ。




「簡単よ、そんなこと。自分がやりたいと思うことを、思いっきりやってみればいいわ。態度に出して訴えるでもいいし……口に出してわがままを言ってもいい。……リサ、自分の心に向き合ってみればいいわ。わたしは何がしたいのって、聞いてみなさい」




 自由にあれ、と王女は謳う。

 自由に動けぬ、王女が歌う。

 翼を失った美しい鳥は、高らかな心のままにさえずる。

 あなたは好きに生きなさいと。

 その在り様が、リサにはあまりに美しく、眩しく見えた。


「わたし、は……」


 なにがしたいのか。

 思ってみればその実、答えはあっさり見つかった。

 いや、その表現は微妙に正しくない。

 リサは、ずっと前から答えそのものは知っていた。ただ、それを口に出すことは恥ずかしいことなのだと、勝手に思っていただけにすぎない。

 だが、それももうない。リサはたったいま、王女によってわがままを言ってもいいと許された。



「わたしは――わたしは、みなさんと一緒にいたい。置いてかれるのは、すごく寂しい。みなさんの行く先がどんなに危険な場所であっても、わたしは……みなさんがいつか帰るそのときまで、おそばにいたいと、思うんです」



 初めて空に発つ鳥のように。

 リサは精一杯の力を込めて。あの日に抱いた思いの丈を口にした。

 言った。言ってしまった。もう後には引き返せない。こんな大それたわがまま、生まれて初めて言ってしまった。

 嫌われてしまったらどうしよう。

 その場の勢いに乗せられて、実は自分は、とんでもないことを訴えてしまったのではないか。

 場を覆う沈黙に苛まれ、リサの内側に生まれた不安がどんどんと大きくなっていく。

 ……と、リサの視界が突然真っ暗になり、なにか温かいものに包まれた。


「リサちゃんは可愛いなぁー!」


 その温かい闇は、月夜の声をしていた。

 どうやら立ち直ったらしい月夜は、リサの宣言を聞いて抱きしめているらしい。


「ありがとうリサちゃん。その気持ちはすごく嬉しい。わたしたちのことを想って、言うの、ずっと我慢してたんだよね」


 一瞬だけ苦しかった呼吸は、すぐにいつも通りにできるようになった。

 気付けば月夜はリサの背後に回り、後ろから抱きしめる格好になっている。……金色の髪に乾燥した花弁がいくつかくっついていることに気付いたリサは、言うべきか否かちょっとだけ迷う。


「ツクヨ、髪に花びら付いてるわよ」

「…………」


 第一王女は容赦がなかった。


「……な、なんか格好付かなかったけど、気を取り直して。それくらいのことなら、わたしはいいと思うよ。さすがにみんなにも話を聞かないと駄目だけど、少なくとも、頭ごなしに否定するってことはない、と思う」


 そこでちらりと、ソファの上にいる鬼のような人間を見る月夜たち。全員が反射的にかつ同時にそちらを見る辺り、どういう印象を抱いているかがよく分かる。

 そして、いま注目を浴びている時の人となった人物はと言えば。


「……はあ」


 思い切り露骨に息を吐いた。

 特にリサは、勇気を出して自分の願いを言葉にしたばかりであり、かつ本人はそれを表に出してはいけないものだと思っていたところだ。びくりと身体が跳ねるのは、ある意味当然の反応だった。


「…………なによ、その反応。まったく、そういったことでいちいち様子を探るんじゃない。……リサ、全員が君を万全に守れるというわけではないことは、覚悟しているか?」

「……は、はい!」

「なら、私から言うことはないよ。ああ、それとだな」


 ソファに全身を預け、月夜ら側に一切視線をよこさない暴君は、なんでもないことのようにひとつだけ付け足した。


「身を守る道具くらい、宗一郎を蹴り出して作らせればいい。そういうことだけは得意なんだから、有効に活用してやれ」


 投げやりな感じで足された内容はそんなもの。

 暴君はこう仰せなのだ。

 手段を選んで、自分の身は自分で守りなさい、と。


「せっかくだし、行ってきたらどう? 少し散らかってしまったし、このくらいならわたしだけでも片付けられるから」

「そ、そうですか? ならリサちゃん、ちょっと甘えちゃおっか」

「え、でも……」

「床に散っちゃった花びらくらいは、ちゃんと片付けないとだけどね」


 九割くらいは自分のせいだからと、月夜は床に散った花びらをせっせとかき集める。

 十割くらい月夜のせいっぽいのだが、それを言えるのは情け容赦も慈悲もない、いまは眠れる獅子くらいなもんである。

 素養のある第一王女は空気を読んで、ニコニコと微笑みながらテーブルの上を片付けていた。


「それじゃあ、ちょっと宗一郎くんのところ行ってきます」

「い、行ってきます」


 月夜に倣って行ってきますの挨拶をし、二人は連れ立って仲のいい姉妹のように階段を下りていった。

 アリーヤが二人を見送ってしばらくして。


「……守ってあげるから好きにしなさい、で良かったのではないかしら」


 と、微笑みながらソファに向かって問う。

 対してソファ側の反応と言えば。ごそり、と寝返りを打つだけに留めたのだった。


「……なにが荒んでいる、だ。リサの身の安全を第一に思考している時点で、おまえは充分過ぎるほど優しい女の子だよ、月夜」


 その呟きは、背を向けられている第一王女に聞かれることは、なかった。

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