第12話 国王の弟の悩み



「お前の読み通りだったぞ、エンリケ」



 それから半時間後、スクトゥム騎士団の兵舎に戻ってきたエドアルドが、調査で判明したことを報告してくれた。



「夜のうちに、町の厩舎から馬が一頭、盗まれていたそうだ。代金替わりなのか、高価な真珠のイヤリングが一つ、空になった馬房ばぼうの藁の上に置かれていたらしい」


「妃殿下が、結婚式で身に付けていたものか?」


「仕立て屋に確かめてもらったが、結婚式の装飾品で間違いないそうだ」


「だが、ブランデの門はどうやって突破した?」



 ブランデは、巨大な壁で囲われている。城の城壁は乗り越えられても、ブランデを囲う壁を、人力で乗り越えることは不可能だ。



「その点についてはまだ不明だが、門の衛兵から、怪しい一団について聞くことはできた」


「怪しい一団?」


「昨晩、荷台に藁を積んだ楽団が、通行を求めてきた。わざわざこんな夜中に外に出るなんて、と衛兵は奇妙に思ったそうだが、通行証は本物だったから、そのまま通したらしい」


「わざわざ夜中にブランデを出る必要はないから、妃殿下が装飾品を売って、楽団を買収したのかもしれないな」



 エドアルドは、一息つく。



「・・・・昨日まで、大人しいと言われていたご令嬢とは思えない行動力だ。まるで何かが、妃殿下に乗り移ったみたいだ」


「・・・・面白い人だよな」



 はじめて出会った時、彼女の突飛な言動に、ついつい引き込まれてしまっていた。本人は必死だったのかもしれないが、俺には彼女の言動のすべてが面白くて、時間の流れをとても早く感じたことを覚えている。



 今こうして、妃殿下の突飛な行動の内容を知って、俺はますます、彼女に興味を持つ。



「笑い事じゃないぞ」



 だがエドアルドには、俺の態度が不真面目に見えたようだ。



「悪い」



 注意されたが笑いは止まらず、俺は手で口元を隠す。




「・・・・妃殿下が馬で逃走したとなると、捜索範囲はかなり広くなるぞ」



 徒歩なら、夜通し歩き続けたと想定しても、せいぜい数キロ先の町や村を捜索するだけですむ。


 だが馬を夜通し走らせたのだとすれば、どこまで進んだのか予測できない。馬の脚の速さ、進んだ方向によっても、捜索する場所が大きく変わってしまう。



「・・・・本格的な脱走だな。妃殿下は本気で、この国から離れたいらしい。歴史書には、型破りな王妃の人生がたくさん記されているが、いまだかつて、これほど全力で脱国しようと試みた王妃がいただろうか」


「・・・・まるで脱獄犯のようだな」


「妃殿下にたいして、それはないだろう! もっと言葉を選べ」



「・・・・逃げたくなる気持ちは、わからないでもないが」



 彼女の真意はわからないものの、全力の脱走劇からは、とにかくここから遠ざかりたいという、本気の覚悟が伝わってくる。



「おい、めったなことを言うな」



 俺の呟きを聞いたエドアルドの表情は、険しくなっていた。



「誰かに聞かれたら、どうするつもりだ」



「聞かれたって、気にしないさ。エセキアスは、怒ったら何をしでかすかわからない奴だ。子供の頃、俺がエセキアスに暖炉の中に突き飛ばされて、大火傷を負ったことは、お前も知ってるだろ?」



 幼い頃、些細なことで兄弟喧嘩になり、激高したエセキアスは、火が燃え盛る暖炉の中に、俺を投げ入れた。幸い、命に別状はなかったものの、その時負った火傷痕は、今でも俺の半身にくっきりと残っている。




 俺とエセキアスは、異母兄弟だ。



 だが、母親が違うことは国民には伏せられていて、俺は正妻であるエセキアスの母親の実子ということになっている。宗教上の問題で、カーヌスで認められた夫婦の形態は、一夫一妻だけだ。俺の母親は父の愛人だったから、愛人の存在を公にするわけにはいかなかったのだ。


 エセキアスは幼少期を城で、俺はブランデの一等地にある屋敷で過ごした。そのせいか、お互いに兄弟の情は薄い。



 その上、表向きは善人を演じながらも、裏では人を見下し、些細なことで暴力を振るう兄は、俺には理解しがたく、他人よりも遠い存在だった。




「だから、逃げ出したくなる気持ちもわかる・・・・行く当てがあるのなら、このまま逃がしてやりたいところだが――――」


「だから、軽率なことを口にするんじゃない」



 今は妃殿下の捜索のために、団員が出払っているから、兵舎には俺達しかいないが、それでもエドアルドは警戒して、俺の言葉を止めた。



「今はルーナティア妃殿下の捜索に集中しよう」


「ああ・・・・」



 俺は私的な感情を脇に追いやり、ひとまずは妃殿下の行先に着いて、考えを巡らせる。




「しかし、妃殿下も運がいい。二重の壁を、大勢の見張りに悟られずに、突破するとは・・・・」


「――――本当に、運がよかっただけか?」


「・・・・どういうことだ?」


「花嫁だから、ドレスと装飾品以外は何も、寝室には持ち込めなかったんだろうが、脱出しやすいルートは、あらかじめ調べておいたんじゃないか? だから町が暗いうちに、厩舎にたどり着けた」


「行先についても、事前に調べていた可能性があるってことか?」


「お前なら、そうするだろう?」



 エドアルドは、にやりと笑う。



「すぐに調べよう。お前の推測通りなら、妃殿下がどこに向かおうとしていたのか、わかるはず」



 俺達は立ち上がり、扉に向かう。





「エンリケ!」



 だが兵舎を出ようとしたところで、駆け込んできた金髪の女性とぶつかりそうになった。



「エレアノール!」



 ――――エレアノール・リーベラ。名門リーベラ家の次女で、俺の婚約者だ。俺の母親とエレアノールの母親が親しかったから、幼い頃から兄妹のように一緒に過ごし、家族のような近しい関係を築いている。



「姉さんがいなくなったって聞いたけど、本当なの?」



 そういえばルーナティア妃殿下が、エレアノールの異母姉であることを思い出した。



 エレアノールの顔を見つめる。姉妹なのに、顔はあまり似ていない。雰囲気もまるで違った。エレアノールにはルーナティア妃殿下のような、影がない。



 それに兄妹のように親しいのに、俺はエレアノールから、姉に関する話題をあまり聞いたことがなかった。



(異母姉妹で、少し距離があるんだったな)



 エレアノールから直接、姉のことを聞いたことはないが、人伝に、二人の母親が違うこと、離れて暮らしていたため、少し距離がある関係だということを聞いたことがある。



 俺と、エセキアスの関係に似ていると思った。



「ねえ、本当なの? 隠さずに教えて」


「・・・・ああ、本当だ」



 隠したところで、この騒動の詳しい経緯はいずれ、エレアノールの耳に入るだろう。だったら、今のうちに真実を伝えておくべきだと思った。


「ああ、そんな・・・・」



 エレアノールは、両手で顔を覆ってしまう。



「大丈夫だ、エレアノール。君の姉さんは、俺が必ず見つける」


「ええ、お願い、エンリケ。あなただけが頼りよ」



 エレアノールは顔を上げる。



「私にも、何かできることはない? こんな時に、じっとしているのは苦しい」


「何かわかったら、君に知らせる。だから今は、城で待っていてくれ」



 エレアノールは葛藤していたものの、頷いてくれた。



「わかったわ・・・・ここにいる。何かわかったら、教えてね」


「ああ。君はリーベラ家にいてくれ」



 エレアノールはとぼとぼと、出口に向かって歩き出した。



 彼女の姿が見えなくなってから、俺は肩の力を抜く。



「・・・・可愛らしい婚約者がいて、羨ましいかぎりだな」



 エドアルドの呟きが聞こえた。



「なのに、どうしてお前はそんなに浮かない顔をしているんだ? スクトゥム騎士団をまとめる団長という役職に、完璧な婚約者。誰もが羨む人生だろ?」



 俺の表情から、付き合いが長いエドアルドんは、気持ちを読まれてしまったらしい。



「子供の頃に、親同士が決めた婚約なんでね。・・・・妹みたいな存在だから、結婚しろと言われて困ってる」


「これでも俺達は、貴族階級の人間だ。政略婚になることは、はじめからわかっていたことだろう?」


「・・・・・・・・」


「そう悲観することはないさ。最初は気に入らない結婚でも、一緒にくらしていたら仲が良い夫婦になれることもあるさ。その逆もあるんだし」


「それはそうなんだが・・・・」


「悩みはあっても、婚約者には愛想よくしろ。そんな態度じゃ、もう一人の男に婚約者を奪われるぞ」


「エセルスタンのことか」



 エレアノールにはもう一人、婚約者候補がいる。



 グェン伯爵家の長男、エセルスタンだ。



 エセルスタンも、俺達の幼馴染の一人で、彼は幼い頃からエレアノールに夢中だった。年頃になると求婚したこともあったそうだが、エレアノールのほうが、結婚は家同士で決めるべき、と断ったと聞いている。



「・・・・そのほうが俺にとっても、エレアノールにとってもいい選択だと思うが」


「何だって?」


「いや、何でもない」



 正直俺よりも、エレアノールにはエセルスタンのほうが相応しいと思っていた。


 実直なエセルスタンなら、浮気も賭博もしないだろう。エレアノールの結婚相手として、これ以上の人物はいないはずだ。




(・・・・今考えることじゃないか)



 今はこんなことを考えている場合じゃないと気づいて、背筋を伸ばす。



「今は、ルーナティア妃殿下を捜すことが優先だ。急ぐぞ」


「ああ」



 俺が歩き出すと、エドアルドの足音もついてきた。

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