第8話
八百屋のおじさんは、わたしに大変感謝して、半泣きで何度も頭を下げてくれた。
「ありがとうございます! ありがとうございます……! アクヤ・クレイ嬢様に助けていただかなければ、私は今ごろ牢屋行きでした……!」
「気にすることはありませんわ。わたくしは、わたくしが正しいと思ったことをしたまでです。それよりも、今日は食材の買い物に来ましたの。こちらで扱っているトマトは良いトマトですわね。いくつか頂きますわ」
「は、はいっ! もちろんです! お好きなだけお持ちください!」
八百屋のおじさんはタダでトマトをくれようとしたけど、わたしはそれを断って、ちゃんとお金を払った。
いくつかの食材を選んで紙袋に詰めてもらい、店を出ようとすると……。
まだ大勢のヤジ馬がいることに気付いた。
みんな魂を抜かれたみたいに棒立ちになって、わたしを見ている。
もう、面白いことなんてなにもないのに……。
そしてふと、わたしはあの元気ボーイがいないことに、ようやく気付いた。
「シーツ!? どこへ行ったんですの!?」
見回して探してみると、彼はすぐに見つかった。
しかし、とんでもない所にいた。
蹴飛ばされた路傍の石みたいに、街路の片隅にいて……。
ボロボロの姿のままで、倒れていたんだ……!
わたしは血の気が引く思いで駆け寄って、シーツを抱き起こした。
「しっかりなさい、シーツ!? いったいどうしたというんですの!?」
シーツはひどく殴られたらしく、顔がアザだらけになっている。
腫れあがった瞼の奥には、潤んだ瞳があった。
「うう……お、男たちが……アクヤ様のことを、悪く言ってたんです……」
それで大方の事情はのみこめた。
きっと大勢の大人たちに殴りかかっていって、逆にやられちゃったんだろう。
無理もない。シーツはまだ小学生くらいの子供だ。
大人の男の人なんて、たとえ相手がひとりでも勝ち目はないだろう。
そんなムチャなことは、今後一切やめてほしかったので注意したかったけど、今はそれどころじゃない。
「買い物はすみましたから、帰りましょう。帰って、手当てしてさしあげますわ。さぁ、わたしの背中に乗るのです」
「え、ええっ……!? 手当てだなんて、そんな……! それに、アクヤ様のお背中に……!? そ、そんな、恐れおおいですっ!」
「いまはそんなことを言っている場合ではありませんわ、さぁ、早くなさい!」
わたしは恐縮するシーツを、半ば無理やり背中に乗せると、よっこらしょ、と担ぎ上げる。
前には野菜の入った紙袋を抱っこし、後ろにはシーツをおんぶ。
わたしは令嬢のはずなのに、いきなりお母さんにでもなった気分だ。
シーツは子供とはいえ男の子なので、それなりに重いかと思ってたんだけど……。
見た目どおり華奢のようで、まるで鳥の羽根みたいに、すごく軽かった。
わたしはお屋敷に帰るために歩きだしたんだけど、まだまわりにはヤジ馬がいっぱい。
とうとうみんな、これは夢じゃないのかといわんばかりに、頬をつねっている。
そして彼らの口から漏れる、うわごとのような声で、わたしはその奇行の意味を理解した。
「う、嘘だろ……?」
「街に来たら必ず、いつも困ったことばかりされる、アクヤ・クレイ嬢様が……」
「衛兵といっしょになって、俺たちをいじめる、アクヤ・クレイ嬢様が……」
「まさか、俺たち庶民の味方をして、衛兵をやっつけてくれるだなんて……」
「それに、それに……」
「執事の子がやられていたら、『役立たず』って罵りながら、さらに足蹴にするのに……」
「おんぶして、連れて帰ってあげるだなんて……」
「いったい……どうしちまったんだ……? なにか、変なものでも食べたんじゃないか……?」
ようは、アクヤがいままでとは180度違うことをしたから、キツネに化かされているみたいな気分になっているようだ。
わたしは街に来たばかりの時とは、違う居心地の悪さを感じながら……お屋敷に戻った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
屋敷に帰って、救急箱でシーツの怪我を手当してあげたあと、わたしは夕飯を作る。
キッチンにはなぜか大量の卵があったので驚いたんだけど、シーツから「投げる用ですよ」と言われて納得した。
いいトマトが手に入ったし、卵も傷んでいないのがあったので、今夜のメニューは『オムライス』にすることにした。
わたしは独身生活が長いから、それなりに料理は得意だったりする。
オムライスにも一時期ハマっていて、とろーり卵を作れるようになるまで、何度も試行錯誤したものだ。
その集大成ともいえるオムライスは、シーツにも大好評。
わたしだけの長い食卓はやめて、ふたり用の小さな食卓で、向かいあって『いただきます』する。
「おっ……! おいひいっ!? おおひいれすっ! こんなにおいひいものははりめてれすっ! あくやひゃまっ!」
スプーンで、特製オムライスをガッつくシーツ。
顔に貼った絆創膏と、口のまわりにべったりついたケチャップのせいで、いつも以上に幼く、ワンパク少年っぽく見える。
「こんなにおいひいものをたへられるなんて、おれ、しあわせれすぅっ!! うううっ……!」
とうとう涙ぐみはじめる始末。
「大げさですわね。このくらいの料理なら、いくらでも……」
と言い掛けて、わたしははたと気付いた。
そうか……!
この子はいつも、自分の作った『激マズ料理』を食べさせられていたんだ……!
それでわたしは連鎖的に、彼が年齢のわりに小柄で、そしておんぶした時に軽かった理由を知る。
あんな『激マズ料理』を食べきれるわけもないから、いつもひもじい思いをしてたんだ……!
そう思うと、わたしまでなんだか泣けてきた。
わたしはこみ上げてくるものを抑えながら、シーツに言った。
「シーツ、これからはわたくしが、いろんな料理を教えてあげましょう。そして、おいしいものをたくさん食べさせてあげましょう。これからは栄養をいっぱい付けて、もっともっと、元気でたくましい男の子になるのですわ」
「はいっ! アクヤ様! 俺はいっぱい食べて、アクヤ様の悪口を言う野郎どもを、みんなブチ転がせるようになりますっ!」
それで、わたしはもうひとつ、この子に大切なことを言っておかなければ、と思う。
「いえ、あなたがたくましくなるのは、ケンカをさせるためではないのです。いざと言うときのために、わたくしを守れるように……」
すると、シーツはあれほどひっきりなしだった食べる手を止めた。
そして顔をあげると、わたしを見据え、
「……俺は、守りました! アクヤ様の名誉を傷つける、野郎どもから!」
驚くほどまっすぐな瞳と、ひたむきな気持ちがいっぱい詰まった言葉で、わたしを射貫いたんだ……!
「シーツ、あなた……」
「アクヤ様ほどすばらしい令嬢は、この世界にはいません! アクヤ様は俺にとって、永遠の
彼の一生懸命な言葉は、わたしが抑え込んでいた、思いの重しを粉々に打ち砕いた。
「シーツっ!」
次の瞬間、わたしは激情に突き動かされるように飛び込んでいた。
彼の、瞳に……!
テーブルにダイブしたせいで、オムライスはメチャクチャ、ドレスはグチャグチャ。
でも、止められなかった……!
だって……だってだって、だって……!
彼の境遇を、知っていたから……!
シーツ・
この世界ではダークエルフは邪悪な存在とされ、そのハーフである彼は、人間にもダークエルフにも忌み嫌われる存在。
当然のように親からも捨てられ、物心もついていない頃から路地裏暮らし。
それを拾ったのが、アクヤ・クレイだったんだ。
彼は拾ってくれたアクヤのことを神様のように尊敬し、実の親のように慕っている。
しかしアクヤはそんな気持ちを知ってか知らずか、彼を捨て駒のようにしか思っていなかった。
ヒロインたちを破滅させるために、彼はいつも危険な汚れ仕事をやらされ続けた。
アクヤはその企みが成功したら自分の手柄に、失敗したら彼のせいにして、冷たく当たった。
アクヤが令嬢としての転落人生を歩みはじめると、それまでいた執事たちは少しずつ、アクヤの前から離れていく。
でも彼だけは、どんなに落ちぶれても、アクヤを裏切ることはしなかった。
そして……最期の日がやってくる。
『破滅の儀式』で……シーツはアクヤの手によって、生贄にされちゃうんだ……!
そこでアクヤから、「お前はこの日のために飼ってきたんだ」と言われ、失意のどん底に落ちるシーツ。
彼は人間へと恨みとダークエルフへの恨み、そしてアクヤへの想いを爆発させ、邪悪なモンスターに変化する。
そして……!
いや、もうよそう。
その未来は、もうないんだ。
わたしが……。
わたしが、回避してみせたんだ……!
そして……そして……。
彼の人生は、終わりを告げたんだ……!
いくらがんばっても褒めてもらえることのない、虚しい人生は……!
すこしのミスで、身体じゅうがアザだらけになるまで蹴られるような、苦しい人生は……!
大好きだった人に、捨て駒にされ、裏切られる……哀しい人生は……!
もう二度と、この子にそんな人生を歩ませない……!
わたしがアクヤになった以上、ぜったいにこの子を、幸せにしてみせる……!
わたしがいきなり飛び込んで抱きすくめてきたので、シーツは固まっていた。
「あ、アクヤ、様……?」
わたしはあふれる涙と気持ちを抑えきれなかった。
「シーツっ! わたくしは、絶対に
「は……はいっ! それでこそ、アクヤ様です! うわあああんっ! アクヤ様ぁぁ!!」
わたしとシーツは食卓ごしに抱き合うという、へんな体勢のまま……。
いつまでもいつまでも、泣き続けた。
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