第7話

 葛野という男がニシキを経由して俺に会いたいと言ってきた。

 彼も茂山同様元自衛軍、防衛大臣直属の中央即応集団特殊作戦群に所属していたエリート中のエリートだった。年は俺と同じ二十八、百九〇センチ以上の身長と均整の取れた筋肉を持ち合わせた男だ。危険地域での要人警護やカウンターテロを専門にしてきたらしい。

 ただ茂山とは違い、戦争を経験していない。

 今、俺はその男と事務所の地下に作った運動場で道着を着て対峙している。

 葛野は道着の着こなしも慣れたもので、俺は学校の体育以来だったのでかなりいいかげんな着方だった。服なんてものはどうでもいい。これからなにが起こるか彼はしらない。


 葛野は三十分前、茂山と面接をした同じ部屋でこう言った。

「仲間に入れてほしい」葛野の声はとてもシンプルな響きだ。

 彼は少し幼い顔だちをしているので、がっしりとした体格と合わせるとアンバランスな印象だ。座っているパイプ椅子が小さく見えた。顎の下に髭の剃り残しがある、あまり鏡を見ない男の様だ。

「なぜ」俺はそう言った。

 当然の質問だった。俺は自分から近付いてくる人間を警戒していた。このビルに足を踏み入れた時点で、殺すことも想定していた。

 ただ彼のような経歴を持つ人間は喉から手が出るほど欲しかった。要人警護や対テロ活動の専門家は、「イズミテクノサービス」の表の業務に関して必要不可欠であったし、最終的にテロ活動を俺たちがやることになるからだ。

 そのあとの問答は恐ろしく完璧だった。彼曰く、SUAが作り出す文化が嫌いだ、今の世の中は間違っている、軍の中にも熱心な信者がいて、軍を信用できなくなった……といったような内容の答弁を、軍人には珍しく多彩な表現で、いささか情緒的に過ぎるくらいに語った。

 俺は茂山と同じようにテストすることにした。だが今回は少し変わった趣向を凝らしてみよう、とも考えていた。

「お前は、今の軍の状況に関してどう思うんだ、専守防衛のレベルは高いが、最終的にロシアのロビー活動と中国の物量に負けて領土を奪われてしまった、この現状をどう思うんだ」

「軍人としてやりきれない思いでいっぱいです、ただ敗戦時日本としては選択肢が無かった、太平洋戦争時のアメリカの石油禁輸と同じで、中国、ロシアへの貿易依存度は異常だった、日本は経済制裁に対して恐ろしく無力だ、日本は周囲の国なしではやっていけないんだと思い知らされました」

「アメリカは中立の立場を崩さなかったな、それについてはどうだ」

「日米安保は正直文言が曖昧すぎます、米国の解釈次第でどうとでもなります、沖縄は既に実質的に人民解放軍の駐屯地ですし、本州決戦になって三沢や横須賀の第七艦隊に危機が迫らない限り彼らは動かないでしょう、いや、もしかしたら沖縄の様に全面撤退するかもしれない、あくまで日本は彼らにとっての対中、対ロシアの前線であって、連邦政府の大戦略次第では放棄するでしょう」

「ふぅん、なるほどね」

 防衛大学の授業が限界の優等生、スポーツマンだな、という印象だった。その後もいくつかのやり取りを行ったが、問答はすべて合格だった。ただ、ニシキやアオイ、茂山にはなかった違和感を覚え、彼の本音を確かめてみたくなった。その後俺がいくら砕けた会話をしようと馴れ馴れしく話しても、軍人らしいたたずまいが崩れることは無かった。

「道着を着て、運動場に来い」面倒になった俺は柔道着を一着、テーブルの上に投げた。

「はい」

 彼の表情は何も変わらなかった。ただ頭の中ではこれから何が起こるのか何パターンもシミュレートしているはずだ。


 俺は上野オフィスビルの地下に広い運動場を作っておいた。その一角に三十畳ほどの道場スペースがある。構成員の訓練の為に作っておいたが、まだ俺しか使ったことがない。

 そこで葛野と二人、道着を着て向かい合った。立会人も誰も居ない、地下には二人だけだった。

「これからお前を殺す気で襲い掛かる、武器は持って無い、凌いでみろ」

 武器を隠し持っていないことを示すため、両手を開いて彼に見せた。

「は、」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、戸惑いながらも最終的に彼は承諾した。喧嘩を売られたことが無いような態度だったが、彼の外見からすれば無理もない。

 彼の前にいる男は身長一七七センチ、細身で自分との体重差は二十キロはあるだろう。 彼は軍でも屈指の日本拳法の使い手だったし、柔道も黒帯だった。徒手空拳での対人制圧は彼にとって最も簡単な仕事のはずだ。

 道着を着た彼は初めて感情を見せた。こういう男にとって会話というものは無難に終わるのを待つイベントであって、頭より体を動かす場の方が本質が出やすい。

 俺がなぜこのような状況を作ったかというと、理由は三つある。

 一つは実力を検分するという事。

 二つは徹底的に叩きのめして死の恐怖を直面させることによって、ただのスポーツマンから一皮むけさせること。

 三つ目は先ほどの面接でなにか隠していると確信したからだ。殴りながら、何を隠しているか自供させるつもりだ。相手は特殊部隊出身のエリートだ、それなりにプライドはあるだろう、俺はなめてかかられても仕方がなかった。


「DNAチップをつけているならオフにしといて」

「私は既にはずしてあるんです」

 この国でサービスコードを購入している人間は、大体左肩の皮膚の下に、DNAチップを埋め込んである。体に異変が起こると、レベルに応じて対処が行われる様に、端末に対処法が表示され、更にかかりつけの病院にアラートが上がるようになっているのだ。行き過ぎた医療の先は弱者だらけの世の中だろう。まったくもって忌々しい。もちろん俺はつけていない。

「じゃ、開始ね、死ぬ気でやれよ」

 俺達二人は三メートルほど間を取って構えた。葛野は両拳を腹の前に置いた日拳の構え、対して俺は左半身を前に、左拳を相手に向け体を右に開いた構えだ。葛野が襲い掛かってくる人間に対して、どう対処するかは分かっている。

 相手が殴りかかってきたら、あるいは蹴りでもいいのだが、右拳で日拳の直突きをカウンターで合わせることがまず一手目、彼のリーチと反射神経をもってすれば、モーションの遅い攻撃なら確実に撃ち落とすだろう。

 距離によるが遠距離なら顎を狙うはずだ。すかさず急所に当て身を入れて体制を崩し、投げるのが二手目。

 金的か顔面かみぞおち、当たればバランスが崩れて服か髪をつかんで投げ、床が硬ければ、頭から落として殺すことができるが、その後を考慮して背中から落とす。その後、寝技で絞め落とすのが三手目だ。

 寝技に持ち込まれれば、体重差の影響もあり、大抵の人間は自分が何をされているのかも判らず落とされる。この三手が葛野の一対一の対人制圧の基本だ。

 すべて茂山が手に入れた、彼の現役時代の試合映像から得た結論だ。ましてや彼は俺に審査される身で、自分から殴りかかるのは躊躇われるだろう、つまり自分から先手を打ってこない。得意のカウンターで終わらせるはずだ。体格で負ける俺としては、先手で有利な状態に持ち込みたかった。

 俺はまず、ノーモーションのフィンガージャブを葛野の眼を狙って打った。左手で指の背を使った弾くようなパンチだ。体重移動が難しいが、威力ではなくあくまで速度が必要だった。相手が素人だと甘く見ており大ぶりのパンチを予想していた葛野は、とっさにスウェーバックでかわす。かわされるのは想定内だった。相手の下がった分同じタイミングで前進して軸足に対して低いタックル。すぐさまテイクダウンをとりマウントポジションをとる。

「僕の負けです、びっくりです」

 俺に簡単に転がされた葛野は、少し媚の混じった笑顔で降伏した。

 それが彼の想定した落としどころであり、処世術だろう。

 葛野ならタックルを切ることはできたはずだ。俺はそりゃあ素人相手に軍人が本気でやらないだろう、ということは分かっていた。だがその態度はシステムの中に居る人間の態度だ。

「『大衆が欲するのは強者の勝利と弱者の絶滅、あるいは無条件降伏である』、ヒトラーの言葉だよ、お前のテスト結果からは反権威主義的性格という結果が出たんだけどね、生存本能が少ないのかなお前は、死ぬ気でやれと言ったはずだけどね、悪いが終わらないよよ、まだまだだ」

 俺はそう呟いて、彼の顔面を殴った。

 葛野も体力があるうちは慎重に殴らなくてはいけない。

 それから葛野は俺を説得しようと様々な言葉を紡いだが、俺はすべて無視して殴り続けた。日拳はグローブや面があるから顔面に拳が直接当たることは無い、しかし今はグローブも面も無しだ、いくら顔面を手でガードしても、すり抜けて当てることが可能だ。自分より体重の重い相手にマウントポジションを取って殴り続けるのはかなり難しい。俺はマウントから逃げられない様、最初は慎重に、体重をあまり乗せずに殴り続けた。マウントから脱出する手段は彼もいくつか持っていた。説得を諦めてタップしたり、ブリッジや噛みつき、髪を引っ張ろうとするなどの脱出を葛野は試みたが、すべて俺は許さなかった。

 小一時間は殴り続けたとおもう。

 少し間をあけると、葛野は助けてほしいと哀願してきたが、俺は無視して殴った。

 殴る方も体力が必要だが、それに関しては負ける気がしなかった。水汲みや狩りなどの重労働を強いられる山暮らしは、毎日がトレッキングのようなもので、体力には自信がある。自衛隊のエリートとはいえ、葛野は辞めてから一年以上経っている。筋力ではかなわないが、体力勝負ならいい線までいけるはず、と俺は読んでいた。

 葛野はだんだん動かなくなってきた。不用意な殴り方をしても、腕をつかもうとしてこなかった。鼻が折れて血でふさがっている。頭の中は大混乱に違いない。なんせ就職するために面接に行ったら、素人にマウント取られて殴り殺されそうになっているのだから当然だ。酸素が足りなくなると複雑な思考も出来なくなってくる。様々な感情が飛び交う混乱は次第に、死の恐怖で塗りつぶされていく。俺は警戒を緩め彼が失神しないうちに問う。マウントを取ってから初めて声を出した。

「なにを隠している」

「なにも、かくしていない」

 首を横に振りながら、呼吸するのもままならないという様子で答えた。殺されるかもしれない、という恐怖が表情から読み取れた。このまま殴り続けて死亡するとすれば、死因は急性硬膜下出血か脳挫傷だが、それよりも気をつけなきゃいけないのが眼底骨折だ。生きていても使い物にならなくなるので、もう目を殴るのはやめにする。ほかの場所を狙うにしても、鼻も歯も顎もだいぶ折れてしまっているけど。

「たすけて、くれ」

 葛野は振り絞るように言った。彼を支えているものはなにもなかった。俺にすべてを握られていた。

「ダメだ」

 俺はそう言って葛野の鼻の下あたりを思い切り殴りつけた。葛野は悲鳴もあげなくなった。

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