僕と彼女の破壊衝動 -告白してきたクラスメイトの美少女が、傷害事件の犯人ということを僕だけが知っている-
木村竜史
いきなりそんなことを言われても 前編
春になったばかり――4月上旬の夜の風はまだまだ冷たく、薄手の長袖のシャツでは到底寒さに耐えられない。それでも、この場所を動くことはできなかった。何故なら僕のすぐ近くでは倒れている女の子がいたからだ。少ない電灯と月明かりしか足元を照らさない夜の公園の闇では、僕と同じぐらいの年頃だということしかわからなかった。
身体を横にして倒れていた女性は息をしていたが強く頭を打っていたと思われたので、素人である僕がむやみに揺さぶったり体勢を変えてはいけないと判断した。自分に出来たことと言えば救急に連絡をし、出来るだけ彼女の身体を冷やさないように着ていたジャケットを被せ、意識が戻るように声をかけ続けることぐらいだ。
日中はそれなりに人の往来がある上に主要道路から近い場所なので、すぐに助けが来るだろう。希望的観測は良くないことだと思っていたが生まれてから16年という期間の中ではじめて遭遇する状況に、微かな望みに縋り付いていたかった。何度も何度も声をかけながら、早く来てくれることを祈り続ける。
「大丈夫、大丈夫ですか」
焦燥で自分自身の声帯が張り付いてしまったようだ。声は掠れ、息もうまく出来なくなっていく。それでも祈りは届いていたようで、静寂に包まれていた公園にサイレンの音が近づいてくる。もう夜中だというのに、すぐに駆けつけてくれた救急車に安堵を覚えながら音の方向に向かって手を振る。僕の行動に気づいてくれたようで、車止めギリギリまで駐車した救急車から、2人の隊員が飛び出してきた。
「あ、あの、ここで人が倒れたんです。何回も声をかけたんですけど、意識は、ないみたいで」
「あなたは? この人の知り合いですか?」
二人のうち一人が僕に向かって声をかけた。少し訝しむようなその眼は当然のものだ。冷静に考えなくても、こんな夜にこんな場所に出歩くのもおかしいし、倒れていたのは同年代の女の子。何らかの事件性を疑われてもおかしくはない。幾ら疑われてもどうでもいい。とにかくこの子をどうにかしてもらう事が先決だ。
「いえ、通りすがりです。とにかくこの子を助けてあげてください……!」
掠れた声で簡潔に状況を説明する。僕の眼をじっと見た隊員は大きく頷いた後に女の子の方へと歩いていく。すぐに合流した救急隊員達は何やら難しいことを話しながら、丁寧に女の子を担架に乗せて救急車へと向かっていく。救急車の赤いサイレンと、車内の照明によって女の子が照らされた。
暗闇ではわからなった彼女の貌には見覚えがあった。長い睫に脱色された髪をした彼女は、クラスは違うが同じ学校の同学年の生徒だ。校舎の廊下で何度か見たことがある。住んでいるところは当然として、名前も知らない。その程度の間柄だ。顔見知り以下ではあったが、それでも見たことがある人が人に襲われて倒れたという現状に、背骨から全身に液体窒素を流し込まれたような感覚を覚えた。返してもらったジャケットを再び羽織り、ポケットに手を突っ込む。
とりあえずこれで一安心だ。あとは彼女の実家にでも連絡がいけば、殆ど何もできなかったとはいえ最低限のことは出来たはずだ。大きく息を吐いて、近くの病院に搬送する準備が整ったであろう救急隊員に連絡先を伝える。あとは家に帰るだけだ。冷たくなった手足を何とか動かして家路に向かおうとした瞬間、僕の後ろに気配を感じて振り返ると、こんな深夜でも制服をきっちりと着こなした警察官が立っていた。その向こうには、パトカーが紅いランプを音も鳴らさずに回転させていた。ちらほらと野次馬も集まりかけている。
「救急の連絡、ありがとうございます。本当に申し訳ないのですが、何点かよろしいでしょうか」
薄暗い公園の中でもはっきりと分かるほどに鋭く眼光を光らせ、背筋を伸ばし直立の姿勢で喋る警官に僕も無意識にポケットから手を出して後ろに回してしまう。
「は、はい。勿論です」
表情を変えることなく、警官は僕の眼を射抜くように見ている。まるで全てを見通すような彼の瞳は犯罪者にとって恐ろしいものに見えるのだろう。悪事を働いたことの無い僕でさえも、身震いするような強い視線だった。
「まず、身分証などお待ちでしょうか?」
無言でズボンの左側のポケットから財布を取り出し、中に入っていた学生証を手渡す。警官は一礼してそれを受け取ると、写真と僕の顔を見合わせる。毎年学生証の写真は更新されていくものではあるが、まだ現像されたものが配布されていない。入学したばかりの僕の写真は、今より遥かにあどけないものだ。それでも確認するには十分すぎる材料だろう。
「ふむ。肱川 統義(ひじかわ つねよし)君ね。久我西高校。近くにある学校ですね。何故、こんな時間にこんな場所に?」
学生証を返しながら、警官は質問を続けていく。彼が思うのもたしかに当然の疑問だろう。今の時間は午後11時過ぎ。救急に連絡したのがおよそ30分前であり、夜にジョギングをするような服装でもない。そんな時間に薄暗い公園の路地を一人で出歩く行為に怪しさを感じるのも無理はない。しかし、こればかりは事実を話す必要がある。本当に下らない、些細なものだ。食べ盛りの高校生にとっては夕食が少し物足りなかった。ただ、それだけだったのだから。
「自宅から一番近いコンビニのちょうど中間点なんです。ちょっと怖いですけど、近道なんです」
「あぁ、あそこのコンビニですね。となるとご自宅はあちらの方ですか」
流石にこの辺りの地理を把握しているのだろう。視線を動かした先には行きたかったコンビニがあったし、再び動いた視線の先には自宅がある。歩道やコンビニの位置から自宅の大体の方角を割り出したのだとしたら、やはりこの警官は相当な切れ物なのだろう。
「なるほど。一応貴方が第一発見者、ということになるのですが、何か心当たりはありますか? 些細なことで構わないので、教えて頂きたい」
記憶を手繰る必要もない。はっきりと覚えていた。警官の大きな目を見てゆっくりと口を開く。
「あの女の子は、急に襲われたんです」
警官の眉が下がる。初めて彼の表情に変化が起きた。彼が何かを言う前に、記憶の中の光景を反芻するように口に出していく。
光量の弱い街灯と、それより強い月明かり。全身を通り抜ける冷たい風。ジャケットのポケットの中に入った自宅の鍵の感触。自身のスマートフォンに繋がれた無線式のイヤホンから流れるエレキギターのメロディ。何もかも鮮明だ。
「遠くで歩くあの子を誰かが、いきなり後ろを棒みたいもので殴って、すぐに走って逃げてしまいました」
そして、草むらからいきなり現れた人の影の何かを振りかざし、一気に振り下ろす動き。倒れる女性と、駆け寄る間に消え失せた影。
「でも、背格好までは。そこまで大柄じゃなかったと思います。帽子をした上に顔は隠れていたんで、よくわかりませんでした」
「……そうですか。ありがとうございます。何か思い出したりしたら連絡を頂きたい。こちらも、何かありましたら連絡をします。その時はご協力をお願いしたい」
僕が頷くと警官は小さく敬礼をし、パトカーへと向かっていく。それが動き出した頃にはいつの間にか野次馬達もいなくなっていた。やっと家に帰れる。白い息を吐きながら、深夜の公園を歩いていく。
一つだけ、警官に言っていないことがある。同級生を襲った人に、僕は心当たりがあった。地元の有名な不良やその仲間、俗に言う半グレグループのような人達ではない。そのようなタイプの人間であったならば躊躇いなくあの警官に伝えていた。その人物が本当である筈がない。そんな考えが、僕の口から警官に伝えることを躊躇わせたのだ。
あの時、僕は駆け寄ったときに加害者をかなり近くで見ることに成功していた。帽子を被り、肝心の顔自体はサングラスとマスクで隠されているという典型的な変装ではあったのは事実ではあるが、加害者は長く髪を伸ばしていた。銀色の月の光を反射して光る艶やかな髪の持ち主は、僕の知りうる限り一人しかいない。
しかし、すぐに否定の念が僕の頭の中で暴れ回るのだ。先入観と言ってしまえばそこまでなのだが、僕が知っているあの『女の子』がそんなことをする筈がない。
『嶋村七海(しまむら ななみ)』。
彼女を一言で例えるならば、高嶺の花である。とても同年代とは思えないほどに落ち着いていて、それでいていつも優しげな笑みを浮かべている彼女の、無意識で目で追ってしまう程に美しい黒く長い髪の毛を思い出しながら、僕は冷え切った身体をなんとか動かして自宅へと進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます