(6)約束の伝授
斎藤さんとあっちゃんが休日に遊びに行く約束をしたという。
「愛莉ちゃん、如月くんの彼女でしょ? 勝手に連れまわしても悪いから、君もついてきていいわよ? ショッピングするつもりだから、荷物持ちもしてくれるかな?」
断る選択肢がなさそうだった。藤木さんにもついてきてほしかったけど、同期と後輩と後輩の彼女のお出かけのお守りなんか嫌だと言われ、確かにそうだよなと思ったから諦めて一人で荷物持ちとしてついていくことにした。
日曜日の昼前に俺ん家まで車で来るから愛莉と待っていろ、とのこと。おそらくあの運転手付きの高級車で来るつもりだ。怖い。
怖くても日曜日は来る。いつものようにあっちゃんが起こしてくれて、朝が始まった。
「しほりさん、服を見に行きましょうって。買ってあげるって言われたけど申し訳ないでしょ? 一応パパとママに相談したらお小遣いくれたんだけどしほりさん、ダメダメ私が買うんだから! って譲ってくれなかった……。あたしへの誕生日プレゼントなんだって。嬉しいけどいいのかな……」
そういえば、あっちゃんの誕生日はもうすぐだ。
「あれもこれもって買ってもらうのは確かに申し訳ないと思うけど……誕生日プレゼントっていう理由があって、一着くらいならいいんじゃない? ところで俺からの誕プレは何がいい?」
「え? うーん……」
そのとき、インターホンが鳴った。
「しほりさんかなあ? 約束の時間より早くない?」
「確かに。違う人かも、待ってて」
部屋を出て直接玄関へ向かう。リビングにはインターホンカメラがあるけどわざわざ誰か確認するのが面倒だった。
でもドアを開けて相手を見てから、やっぱカメラ確認すれば良かったと後悔する。
「町内会の集金でーす」
すこぶる機嫌が悪そうな亜沙子が、集金袋片手に立っていた。
*
「なんで亜沙子が集金?」
町内会費分のお金を渡すと、亜沙子はそれを雑に袋に入れた。
「うちの家がたまたま当番だったの。何もしないで家でごろごろしてるくらいならあんたが行ってこいって、親が……」
亜沙子が大きくため息を吐く。化粧もしっかりしていて身だしなみは整っているのに、心なしか疲れているように見える。
町内で離婚が噂になってしまっている中、娘を集金に回らせるって彼女の親のメンタルがすごい。一見、お上品な皮を被っている住宅地だが、深く関われば情報収集・発信に余念がない奥様だとか、そういう住民ももちろんいる。何言われても気にしないというのならそれまでだけど、俺なら気にするし、亜沙子だって多少は気にするだろう。
「なんか、大変だな。お疲れ」
「はあ? 何に対するお疲れなの、それ? 集金? わたしの離婚のこと言ってんの? どうせ圭都も知ってんでしょ」
「まあ、うん」
「ほんと何なの、この町。噂話ばっかり。しかも間違った情報混ざってるし。不倫したのは私じゃなくて向こうだっつーの」
どっちが不倫したとかの話は、さすがに知らなかった。集金は終えたのに、亜沙子は憤ってまだ俺の前で口を開く。
「圭都はいいよねえ、おっきな会社に就職してすごいねえ、くらいしか話聞かないしさ。いい子ぶりやがって。友だちのときは気にならなかったけど、彼氏にしてみるとそういうところがほんと鼻について嫌だったわ」
そんなこと言われても。こっちだって亜沙子の生き方は尖り過ぎていて理解不能だったが。
言い返して口論になるのも面倒だ。いろいろと思うところがあるのを飲み込んで黙っていると彼女はとげとげしい口調で話し続けた。
「このあいだの同窓会でちらっと聞いたけどさ、あんた隣の家のあの女の子と付き合ってんでしょ。なんでそれは噂になってないわけ?」
「……そんなこと、みんな興味ないんじゃないの。どうせウチと隣は家族ぐるみの付き合いだからもともと仲良いし、恋人関係か友人関係かなんて細かい内情まではわかりにくいだろうし」
「何それ、ずっる。私らが付き合ったときはさんざん言われたのに。圭都は真面目で良い子だから私みたいなのが邪魔しちゃだめなんだってよ。今の圭都だって同じなのにさ」
「どういうこと」
「だって、大人の圭都が子どものあの子のこと邪魔してんじゃん。高校生が同世代の子と経験するフツーの恋愛経験、圭都が奪ってんじゃん。まあ、あの子が圭都にとってのフツーの大人の恋愛を奪ってるとも言えるけど。十コも下とか子守りじゃん。一緒にお酒も飲めないし、エッチするのも気い遣うっしょ。年の差なんて、いいことなしよ。私も年上と結婚したのが間違いだった~」
途中から、言われている内容が噛み砕けなくなっていく。
フツーの恋愛。フツー、フツウ、ふつう、普通。なんだそれ。気分が悪い。
ぼんやり突っ立っていると、急にぬっと人が乱入してきた。バチン、と音がした。
目の焦点を合わせると、斎藤さんが亜沙子の頬を笑顔でぶっ叩いていた。
「どなた様か知らないけど、如月くんと愛莉ちゃんに失礼なこと言っちゃダメだよー?」
「斎藤さん……」
「はーい、君の先パイ兼、愛莉ちゃんのマブダチの斎藤しほりでーす。愛莉ちゃん、出かける準備できた?」
「は、はい……」
ぎょっとして振り向くと、いつからいたのか、あっちゃんが玄関のドアから遠慮がちに姿を見せていた。呆然と俺たちのほうを見ている。
目が合うと、表情を歪めて俯かれてしまう。これは、どこからかわからないけど話を聞かれていた。すっと血の気が引いていく。
「愛莉ちゃん、おいで。向こうの通りに車待たせてるから行こうか。あ、わたしの気が変わったから、如月くんは留守番ね」
「え……」
「くだらない話を聞かせて恋人を泣かせたこと、反省してなさい」
あっちゃんが俺の隣をすり抜けて斎藤さんに駆け寄る。そのときに一瞬見えた泣き顔に、思わず硬直した。斎藤さんにビンタされて立ちすくんでいた亜沙子に、あっちゃんは潤んだ目を向ける。
「あたしのフツーは、圭都くんといることです」
それだけはっきり言うと、あっちゃんは斎藤さんに連れられて行ってしまった。
「何、あの人」
「会社の人。……亜沙子、お前、何なの。集金来ただけだろ。ついでに顔見知りの俺と世間話していくにしても、言っていいことと悪いことあるよね」
亜沙子は少し俯いて、ごめんとつぶやいた。
「なんでかわかんないけど、私あの愛莉って子、気に入らなくて。そんなつもりがなくてもひどいこと言いたくなる。駄目なのわかってても」
意味が分からない。でも、それなら俺はこういうしかない。
「だったらもう俺に関わらないで」
俺とあっちゃんは切り離すことができないから、俺に関わる限りはあっちゃんの存在がついて回る。亜沙子には俺ごと放っておいてもらうのが、一番いい。
*
いつも一緒にいるはずのあっちゃんがいない日曜日になった。
どう、しようか。今というよりは、あっちゃんが帰ってきたら。
こういうとき、本当は一人で考えるべきなのかもしれない。そう思いながらも、どうしようもない気分で楽に電話した。
かくかくしかじかの出来事によってあっちゃんを泣かせたと話すと、暇だからそっち行くし直接話そうと言われ電話が切れた。若干面白がっているような声音が混じっていた。話す相手を間違えたかもしれない。
ほどなくして実家に帰ってきた楽は、なぜか和臣も連れてきていた。
「圭ちゃんが愛莉泣かせたって聞いたから。兄として殴っていーい?」
部屋に入ってくるなりニコニコと物騒なことを言われ、一歩後ずさる。
「待て待て待て。それ言ったら俺だって楽の兄として和臣殴る権利あるけど? 去年の秋にお前のアパートから帰ってきたこいつ、泣いてたんですけど?」
和臣は楽を見て、にやりと笑った。
「ふーん。があ、泣いてたんだ」
「……今さらバラすとか、兄貴マジ最悪」
「ぐがっ」
和臣じゃなくて楽に腹を殴られた。
やいのやいのと騒ぎつつ、一応二人は心配して来てくれたらしい。わりと真面目に話を聞いてくれた。亜沙子とは、同じ小学校だったから和臣も楽も顔見知りだ。
「へー、亜沙子ちゃんも愛莉いじめてたんだ。殴りたいなあ」
「カズ、どうどう。でもおれも亜沙子はあんま好きじゃなかったなー、兄貴の彼女だったとき、たまに家に来てたじゃん? 愛莉だけじゃなくておれにも冷たかったよ。兄貴にはわかりやすく好意丸出しだったけど」
「は? 何言ってんの。亜沙子は俺のこと、そんなに好きじゃなかったと思うけど。彼氏作れるなら誰でも良かったんじゃないのかなあ」
さっき、彼氏にしてみると嫌な奴だったと言われたばかりだし。
「圭ちゃんはバカなの? 亜沙子ちゃんの何を見てたの? あれはツンデレのツン要素が限りなく多いだけの恋する女の子だよ」
「そうそう。だから兄貴に構ってもらってる愛莉にも嫉妬していじめてたんじゃね?」
「えええー……?」
亜沙子の心についての珍妙な新解釈にぽかんとしていると、楽と和臣に揃ってため息を吐かれた。
「もういいよ。亜沙子ちゃんにはもう関わるなって言ったんでしょ。これ以上どうなるもんでもないしほっとくしかないしさ。それより愛莉のことだよ」
「あんな愛莉に聞こえるかもしんない家の前で亜沙子にぺらぺら喋らすのが悪いんだよ。さっさと追い返すべきだったな」
「それは……うん」
ここらへんに住む子どもは大人にあまり反抗しない、優等生やいわゆる「良い子」が多い。どこかぽやんとしていたりする。俺もその中の一人。
亜沙子は珍しく、グレていたしギャルだった。そんな十代の頃の印象が拭えないのか、必要以上に彼女のことを悪く言う年配の住民がいるのも本当だ。ちょっとやんちゃだった楽も高校時代は色々言われていたようで、あれは本当に厄介。
楽の場合は名の通った大学に合格したことで良くない噂話の対象から外れたけれど、亜沙子はそういう機会もないまま。
だからつい、不満があってもしょうがないかなあ、なんて思って話を聞いてしまった。
「兄貴は優しすぎんだよ。そりゃあ誰かは亜沙子の話を聞いてやらなきゃいけないかもしれないけど、それを兄貴が日曜の朝っぱらから家の前でやってあげる必要がどこにあんだよ」
「……おっしゃる通りで」
俺は人形のようにかくかくと首を縦に振った。
「愛莉、兄貴が思ってるよりもたぶん年の差気にしてるから。平気がってても気にしてるから」
「わかってる……」
そう答えながらも、やっぱりわかっていなかったかもしれない、とも思う。俺に告白してきたときのあっちゃんの顔を今も覚えている。きっとたくさん悩んだ顔。それと同時に、付き合い始めてからも相変わらず明るくニコニコしているばかりのあっちゃんの姿も頭に浮かぶ。
俺と恋人になった瞬間、彼女の悩みがゼロになるなんてことがあるわけがなくて、不安とかそういうものは表に出さないようにしていたのだろう。今まで思いつきもしなかったそんなことを唐突に今思った。
「俺は……たまに年の差ありすぎて誰かに何か言われるんじゃないかって気になるときもないわけじゃないけど……あっちゃんと一緒にいるときは、正直そこまで気にしてない。あっちゃんのそばにいるのが普通で当たり前。俺のそういうとこ、あっちゃんはわかってると思う」
「まあねえ。愛莉は圭ちゃんのこととなるとめちゃくちゃ顔色読むからねえ」
「こっわ。嘘とか絶対つけねーやつだ。俺の彼女、愛莉じゃなくてよかった」
「え? があは何か俺に嘘つく予定があるの?」
「……ない」
目の前でいちゃつくな。咳ばらいをすると、二人の会話が止まる。
「だからつまり、俺が今さら、今日は嫌な話聞かせてごめんね十歳差とか気にすることないからって言っても、わかりきった話じゃん。それでもあっちゃんはわかったって言ってくれると思うけど、それでいいのかな。かといって、あっちゃんを安心させたくてもこれ以上安心させる方法が、ない」
「そんな焦って安心させなくてもよくない? 長く付き合っていけば、愛莉もそのうち大丈夫って思えるようになる気がするけど」
楽の言葉に俺は渋い顔を作る。時間が過ぎることだけに任せてしまう。そのことに嫌な不安がよぎる。
「大丈夫って思えるようになるまでに、今日みたいにあっちゃんが泣く日が何回来るかわからないと思うと、そりゃ焦るよ……」
単純にあっちゃんが泣くのをもう見たくない。それから、二人が色んなことを気にしなくなって大丈夫と思えるまでに、万が一限界が来て壊れてしまうことも、想像がつかないけれどあるんじゃないかと、ほんの少し恐れている。
黙り込んだ俺の肩を、和臣がぽんと叩いた。
「ちょっとした方法を伝授しようか」
「え?」
「なになになに?」
俺よりも興味津々で身を乗り出した楽に、和臣は一言「約束」と答える。や、約束? よくわかっていないのは俺だけで、楽は合点がいったのか大きくうなずいた。
「あー、約束! おれらもしてるやつ」
「は? え? 何?」
楽と和臣は俺を見て、にっこりと笑った。
「これですべて解決ってわけにはいかないけど。口で言うだけじゃ足りないなら、約束をすればいい」
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