(2)鍋パーティー@204
「
隣に座ってお肉を口に頬張っていたひょろりとした細身で眼鏡の男子、崎元くんがもぐもぐしながら、新谷さんの自己紹介にうんうんと首を縦に振っている。
鍋、あったかい。部屋全体がほかほかしている。俺の頭もちょっとほんわかしていて、くたくたにゆだった水菜を食べながら、うんうんと相槌を打つ。
「その写真、授業の課題?」
堀さんの質問に口の中のものを飲み込んだ崎元くんが「そう」と答える。
「でも結構評価が良かったから、俺の姉ちゃんがやってるカフェに飾ってもらうことにした。今日はその打ち合わせで、帰ってきたら鍋に誘われた」
「えー、見たいなあ。どんな写真?」
堀さんを差し置いて鍋奉行と化していた幸人さんが、興味津々に話を聞いている。
俺はここのアパートでのご近所づきあいにはあまり積極的ではない。だけど少しの時間ここに座っている間にみんなが自己紹介してくれることもあり、それぞれの大体のプロフィールもわかってきた。
この部屋204号室の住人、
隣の203号室に住んでいるのは俺で、そのもう一つ隣、202号室に住んでいるのが高科幸人さん。通称ユキさん。トランペット専攻の修士二年。楽器も学年も違うものの、授業では何度か顔を合わせたことがある。たまに音楽の話について雑談する程度の仲で特別親しいわけでもないため、個人情報はあまり知らない。最近はアパートですれ違うこともなかったけれど、何でも修士論文の執筆のために引きこもっていたそうだ。
で、そのもう一つ隣の201号室が
そんな彼と一緒にいたのが、N大法学部二年の新谷アオイさん。一時的に崎元くんの写真のモデルをしていたそうだけど、本業がモデルでもおかしくないくらいにスタイルが良くて顔も整っている。
「てか山ちゃん、新谷さんと知り合いだったんだ」
ユキさんに話をふられて、俺のほわほわした頭が一瞬冷める。新谷さんを見ると、彼女は感情の読めないにこりとした笑みを浮かべた。
「共通の友人がいるんです」
「俺の幼なじみが、新谷さんと同じN大の法学部で」
「あー、もしかして、山ちゃんとこに一緒に住んでた男の子? 最近引っ越したんだっけか」
「はい」
「そっか残念。一回喋ってみたかったけどタイミングなかったんだよね。またこっち遊びに来たときに紹介してよ」
「いいですけど、なんで喋りたいんですか」
があがまた遊びに来てくれるかはわからないけど。喋ってどうすんだろ。
「なんでって訊かれるとなんとなくだけどさ。なんで一緒に住んでたん?」
「それこそなんとなくですよ。あまり離れたことなかったんで、なんとなく自然に。うちの部屋、まだ余裕あるから来たら? 的な話になって」
堀さんが妙に感心した声を上げながら袋ラーメンを鍋に投入する。
「めっちゃ仲良かったんだね。私なんか、幼なじみと五年は連絡取ってないかも。最後に会ったのいつだっけって感じ」
「あはは。うち、下に妹が二人いる三人兄妹で、があ……その、幼なじみの家もお兄さんと妹さんがいる三兄弟で、六人全員けっこう仲良しなんですけど。俺と楽は年齢近いから特にって感じですかね。わりとペアでいるのが当たり前というか」
「え、じゃあ一人になったら寂しいよね。やっぱこの部屋一人用だし狭かったの? 君んとこはピアノ置かなきゃだもんね」
「……はは」
狭さはそこまで気にならなかった。でも、適当に笑ってごまかす。もしかしたら気にならなかったのは俺だけで、があは狭いと思っていただろうか。
ここに二人で寝起きしていたとき、があは何を考えていたのだろう。もう少しそういうことを考えればよかったな。
「あ、でも、少しは寂しいけど案外思ってたよりも一人で平気だったり……しますね。まあ一年生の頃は一人だったし、俺ちょくちょくコンクールで遠出してたんで、離れるのが全くの初めてってわけでもなかったし」
「N大だったらなんだかんだ言って近いもんな。会いたきゃいつでも会えるだろ」
ユキさんの言う通りだ。があのいる場所はわりと近い。だからだろうか。そりゃあたまにはコーヒーを二つ淹れてしまう朝もあるけれど、間違えたなと思うだけ。ものすごく会いたくなってどうしようもなく寂しくなる、なんてことはない。
心はどこか穏やかで、静かに一人の時間は進む。
「幸人さんは実家すごい遠いんすよね。で、地元に残ってる同級生と遠距離恋愛してるんでしょ」
しばらく黙って再びお肉を食べ続けていた崎元くんが口を開いた。一応、彼とユキさんは隣人として前から付き合いがあるらしい。俺も知らないユキさんの恋愛事情を共有していたみたいだ。
「そう、遠い。でも修論も出して卒業できそうだし、四月には帰るよ。彼女も地元で就職してるし。てか山ちゃんもみんなも聞いてよ! 崎元くん、ここに来た俺の彼女をストーカーで通報したことあるんだよ」
「だ、だって! 夜中にずーっと廊下うろうろして、たまに幸人さんの部屋のインターホン押してるっぽかったから……」
「いやー、あれマジでびっくりしたわ。俺バイトが夜勤で朝まで知らなかったんだよねー」
ユキさんとしばらく会っていないことへの寂しさに耐えかねた彼女さんが、突然このアパートまでやって来たのだが、一方その頃ユキさん本人はバイト中でスマホに入った連絡も見ておらず、パン工場でベルトコンベアーの上のパンを無心になって検品していたのだそうだ。
そんな騒動、全然気づかなった。俺寝てたのかな。それかたまたま実家に戻ってる日だったかもしれない。そんな感じで自分は全く覚えてないけれど、堀さんのほうはそもそもゼミ旅行でいなかったそうだ。
「遠距離大変そうですね。私なら別れてるかも」
「うーん、まあねえ。別れ話になったことあるけどね」
「えー、それどうやって修復したんですか」
「婚約した」
「「「「こんやくぅ??」」」」
話が飛躍しすぎて意味が分からない。見事に重なった俺、堀さん、崎元くん、新谷さんの声に、ユキさんが苦笑する。
「要するに俺らはなんというか、どっちかが冷めたとか浮気したとかでもなくて……ただ遠距離で不安定になってたわけだからさ。とりあえず今は離れて暮らしてるけど、将来は一生一緒にいるっていう約束をしたら、多少は安定した関係になったっていう。それだけのこと」
気持ちが冷めたわけでもないのに遠距離で不安定になるという構造が理解できない。でも、俺だって同居という超絶近距離でがあと上手くいかなかったから、人間関係はひとそれぞれなんだろうな、ということだけはわかった気がする。
この話をしている間、ユキさんの瞳は普段通りに穏やかな色を帯びていて。でも大学やアパートの部屋の前でたまに話すときと比べると、どこかしら柔らかく愛しさを含んだ色も混じっている気がした。深い緑に日光のような淡い光を当てたような。
「婚約って聞くと面食らっちゃいましたけど、一生一緒にいる約束って聞くとなんか素敵ですね」
そう言って新谷さんが微笑む。俺も一緒に微笑みたい気分になった。
「ユキさん、地元帰って何するんですか」
「高校の先生。吹奏楽部の顧問になるのが夢だったんだ」
「いいですね。俺も教員免許取るほうが良かったかな」
「お前はコンクールの実績あるし、演奏家でもやっていけるんじゃないの」
「いやー、どうでしょう。俺もともと、アニソンのレーベル持ってるレコード会社に就職したかったんですけど……」
「え、なにアニメ好きなの? オタクなの?」
「はい。アニ〇イトでバイトしてます」
「マジか! ちなみに今期おすすめのアニメは?」
「えーっと、今期はですねえ……あれ、もしかしてユキさんも……」
「店員さん、いつもお世話になってます。アニ〇イトカード持ってます」
あれ、気がついたら別の話に移り変わっている。まあ、いいや。
その後、なんとなく俺に続いて順番に将来の夢や趣味を暴露する会になって、鍋の具材を食べつくしたところでお開きになった。そういえば今日はアルコールがなかったから、今度は飲みながら話したいねなんて会話をしながら、各々の家へ戻った。
新谷さんにがあは元気か訊こうと思っていたけれど、すっかり忘れていた。
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