(2)他人事な非日常

 予定外の一位だったのかな、というおれの深夜の予想はどうやら思っていた以上の大当たりだったらしい。

 翌日から、おれの周囲はなんだか大騒ぎになっていた。

 まず目が覚めて大学に行く準備をしながらなんとなくテレビをつけたら、朝のワイドショーにピアノを弾くカズの映像が流れていた。


「……は?」


 意味がわからなくて、テレビを消した。

 数秒考えてもう一回テレビをつけた。

 カズが映っていた。画面のテロップを見ると、「快挙 日本人初の一位」とでかでかと書かれていた。

 おれはせわしなく瞬きをしながらカズがなんか有名な国際コンクールに優勝したというニュースを見つめた。

 あ、もう大学行く時間だわ、と思って再びテレビを消した。

 大学についてからスマホのSNSを見ると、やっぱり急上昇トレンドにカズの名前があった。さっき見たのは夢でもドッキリでもないらしい。

 だけど大学生活そのものは別に普通だった。そりゃそうだろう。他所の大学の知らない奴が海外のコンクールで良い結果だったとしても、知ったこっちゃない話だ。

 みんな自分たちのことに必死なのだ。それなりに真面目に授業を受ける他は同級生と、誰のカノジョがどうとかバイトがだるいとか、レポート出し忘れたけどどうしようとか、くだらない話題に花を咲かせているうちに放課後になった。

 おかげで大学から家に帰る頃には動揺していたおれの心もかなり落ち着いていた。

 カズはなんかすごいことをしたらしいが、俺にはあまり関係なさそうだ。彼が帰国したら、また今まで通りの日常に戻るのだろう。早く部屋の掃除をせねば。



 翌日、土曜日で授業のないおれが部屋の掃除にいそしんでいると、妹の皐月から連絡が来た。


「お母さんと山田のおばさんが悩んでるからちょっと帰って助けてくれない?」

「何の話だよ」

「和臣くん。コンクール優勝したんでしょ。実家まで取材が来たりしてこっちは大騒ぎだよ」

「はあ」

「何よ、その他人事みたいな返事……。あ、それでね。番組で取り上げたいから中学高校時代とか子どもの頃とかの写真や映像ありませんかってテレビ局の人が。どれがいいかなあってお母さんたちすごい悩んでるから選ぶの手伝ってあげて」

「なんで俺が」


 手伝っても役に立たない気がするのだが。


「だってお兄が和臣くんの一番そばにいる人じゃん。大事な人がいい顔してる、これぞってやつを選んであげれば?」

「だっ……」


 大事な人ってそんな恋人みたいな言い方。

 言葉を詰まらせているおれに、皐月はちょっと気まずそうな咳ばらいをしてみせた。


「とにかく、戻ってきてくれたら助かる。お母さんたちったら、あれもいいこれもいいって全然決まらないから。わたしは今から部活でいないけど、お願いね」


 皐月との通話を終えて、スマホ片手におれは大きなため息をつく。

 おれとカズの関係を皐月は勘違いしている気がする。そういえば前に愛莉にもおれらのことを探るような態度を取られたことがあった。


「……別にカズと付き合ってねーし」


 ルームシェアしていて、たまに体の関係もある幼なじみ。それだけだ。

 ……それだけだ。

 最近、そう言い聞かせるたびに胸が疼くのはどうしてだろう。

 本当はわかるような気もするけど、まだおれはわからないふりをしていたい。



 バイクを飛ばして実家に戻ると、カズの家のリビングにカズん家のおじさんとおばさん、愛莉と兄の圭都、それから母さんが集まっていた。父さんはおれの家でプロ野球中継を必死に見ていたし、美蘭は皐月と同じく部活らしいので不在。

 母さんとおばさんはテーブルにアルバムを広げて写真を選別している。愛莉と兄貴はテレビにPCをつなげてカズがピアノを演奏する映像を探していた。こっちはあまり真剣に選ぶ気はないらしく、愛莉が喜んで「次はあれが見たい」とリクエストしたものをおじさんが「はいはい」と見せている。なんか愛莉5歳の誕生日会が映ってるけど、ただのホームビデオ鑑賞会じゃないか。


「幼稚園時代のあっちゃん、可愛いなあ」


 テレビに映し出される愛莉(5)をにこにこと眺めている兄貴の頭にチョップを入れる。


「カズの映像探しはどうなってんだよ」

「あたしの昔のビデオがいっぱいでてきて楽しくなっちゃって! 小さいあたし、可愛い~」

「……勝手に言ってろ」


 まあ確かに映像の中の幼い愛莉はころころ笑ってかわいらしい子どもだし、当時のおじさんたちが張り切ってビデオを残していた気持ちもわからんでもないが。


「ていうか、どんなビデオ貸してってテレビ局の人に言われてんの?」

「今よりももう少し幼い頃の、コンクールか発表会かで演奏してるやつ」

「もう少し幼い? 中学生くらいか。おじさん、おれ選んでいい?」


 PCの前を譲ってもらっておれは過去のデータをさらった。

 カズは一般的なピアノを習う子よりは才能があって優秀だったが、全国区ではそこまでずば抜けた天才ではない、といったレベルのピアニストとして育った。それでもやっぱり地元では注目されていて、何度かローカルテレビが彼のコンクールの日に取材に来たことがある。

 そういう日の映像はたぶん駄目。本人が「緊張してミスった」とよく悔しがっていたからベストの演奏ではなかったのだろう。だとすれば、あまり注目されていない日で彼が「楽しかった!」と言っていた日のものを。


「これはどう?」


 おれが選んだのは、中一の春にピアノ教室の発表会でカズが演奏したビデオ。小さい子から趣味で習い事を楽しんでいる大人まで、上手い下手関係なく教室の生徒全員が演奏を披露するアットホームな会だ。

 確か中一の年はカズも「楽しかった」と言っていたはずだ。カズはモーツァルトだか誰だかの曲を一曲と、当時同じ教室に通っていた皐月と一緒に連弾も一曲発表した。妹と幼なじみが一緒に弾くなら冷やかしがてら聴きに行ってみるか~、とおれが珍しく部活の帰りに市民ホールに寄って彼のステージでの演奏を聴いた日でもある。

 普段の俺は楽器の音色を聞くとどうしようもなく眠くなるタチだから、そういうのには興味ないけど、カズの演奏だと思うと起きていられた。どんな演奏だったかは覚えてないけど。


「楽くんがこれがいいなら、これにしよう」


 おじさんがそう言ってくれて、映像選びは完了する。


「ちょっと楽、あんたのスマホにいい写真入ってないの?」


 今度は母さんに呼ばれ、おれは首を横にふった。


「女子じゃねえんだから。いちいちふたりで写真撮らないし、ない」

「少しくらいあるでしょう」

「ないから。そっちのアルバムから適当に選べよ」


母親たちの写真選びに混ざる。ちらりと見えたおれとカズが一緒に写っている小学校の運動会の写真に懐かしい気分がこみあげて、少し頬が緩んだ。



 その日の夜から翌日にかけて、選ばれた写真や映像が過去の「山田和臣」の姿として全国に出回った。今度はローカルじゃない。ネットのニュースサイトにも取り上げられているから、全国どころか見たければ世界からアクセス可能な状態。

 アパートの部屋でひとり、テレビで民放局がカズを紹介しているのを、カズが買った中古のソファに座り込んでぼんやりと見る。

 大学から出ている課題の本を読んでいる手は完全に止まっていた。あー、やる気出ねえ。

 そのままうつらうつらとうたた寝をしていると、玄関の扉が開く音がかすかに聞こえた。

 ゆるりと目を開ける。キャリーケースを抱えて部屋の中に入ってくるカズがいた。


「ただいまー」


 子犬のような人懐こい笑みを浮かべてカズはおれの隣にとすんと座った。


「疲れたあ。があに色々お土産あるよ」


 つけっぱなしのテレビはいつの間にかスポーツニュースになっている。さっきまで画面の中で気取った衣装を着てぴかぴかしたグランドピアノを弾いていたカズの残像が頭の中から崩れ去り、目の前のカズに塗り替えられていく。

 シンプルな無地のシャツに、着古したパーカー。柔らかそうな黒髪。こちらをきょとんと見つめる丸い瞳。


「があ? もしかして眠い? お土産見るの明日にする?」


 無言のおれにカズが問いかける。それだけのことに、なんだか妙に安心してしまった。


「……おかえり」

「え、うん。ただいま……わっ」


 カズの肩を押して倒し、そのまま覆いかぶさり噛みつくようにキスをする。唇をカズの首筋にすべらせたところで、彼はくすぐったそうに言った。


「お土産、明日にしよっか」

「うん」


 うなずきながら、お土産なんなんだろ、とふと思う。けれどカズの薄い唇に耳を食まれて、これからの行為に関係ない思考は溶けて消えた。

 おれがこの部屋でひとり、自分でも得体のしれない何かに不安になっていたのをカズはわかっているみたいにおれに触れる。肌が触れ合っていればおれがより安心するのを知っているみたいに抱きしめる。

 こういうとき、こいつってほんわかしてるけどなんだかんだで一つ年上の兄貴分なんだな、と実感する。だからおれはつい甘えてしまうのだ。それが良いことか良くないことかはわかんないけど。



 翌日、二人で開けたお土産は大量のお菓子と向こうで売っていたという変な見た目の猫の置物だった。

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