第89話 新しい時代がやってきた。

 * * * * * * 


「お嬢様。ここは、この老人めにお任せください」


「……お、おじい様!?」


 ソフィアに迫っていた魔物のブレス。

 そこに現れたのは、執事服を着た老人だった。


 瘴気に飲み込まれている暗い洞窟の中、おじい様の手には刀という武器が持たれている。


 鈍く光る刀身。

 おじい様は、それを一閃して、敵のブレスを真っ二つにした。


「ハァ!」


 そのままおじい様は敵自体も切り捨てた。ブレス同様、魔物の体も真っ二つになる。


「我が孫に手を出すとは、いい度胸だ」


 剣を振り、血を払って、おじい様は剣を納刀した。


「しかし、私の出る幕ではなかったかもしれませんね。お嬢様は守りの結界の準備をしておられたようで」


「……いいえ、おじい様、助かりました」


 ソフィアは手に集わせていた青色の光を散らし、おじい様に向き直る。……おじい様がここに来てしまった。


 どうしておじい様がここに……とは、聞けなかった。

 聞く必要もなかった。


「……お嬢様は嫌がると思いましたが、この老人も馳せ参じました。私もお嬢様のお役目の補佐をさせていただきたいと思います。……この老いぼれにでも、共に死ぬことぐらいはできます。それぐらいしか、できないのですから」


「おじいさま……」


 そのおじいさまの言葉にソフィアは、唇を噛んだ。


 ……一人でやろうと思った。だから今朝の早朝、自分は一人でこの崖へとやってきた。

 迷惑をかけたくなかった。死ぬのは一人でよかったから。


 それでも……おじい様が来てくれた。

 自分のお役目を補佐するために。瘴気が蔓延しているこの場へと。


「それで、お嬢様は今からお役目を果たしに行くのですよね」


 そのおじい様の問いは、悲壮感が漂っているものだった。


「はい……私は聖女ですので……お役目を果たさなければいけません。そのために、聖女になったのです……」


「そうですか。……本当は聖女のお役目など放っておいて、安全な街へと帰還をしていただきたいのですが……そういうわけにもいかないのですよね」


「はい……」


 俯くソフィア。


「ならば行きましょう。崖の底へと。この老人がお供させていただきます」


 老人が歩き出す。

 まるで孫に道を示すように。


「……っ」


 ソフィアも手に持った杖を握りしめて、歩みを始めるのだった。



 * * * * * * *



(……ひどい老いぼれだ)


 剣を振り、害する敵を切り捨てる。

 そうして瘴気が蔓延している洞窟の中を進みながら、老人は無力感を感じていた。


 後ろには、自分の孫がいる。

 今から老人は、その孫がお役目を完遂できるように、崖の底まで連れていくことになる。


 崖の底へと、聖女である自分の孫を送り届けるということ。


 それはつまり、死なせに行くということと同じだ。


 自分は今から、孫を死なせるために、崖の底に行くのだ。


 それを止めることは老人にはできなかった。


 今止めるぐらいなら、ソフィアが聖女になると決まった時に、止めておかなければならなかったのだ。


 しかし、老人が自分の孫が聖女になったのを知ったのは、ソフィアが聖女になった後のことだった。





 ……もう数年も前のことになる。


 老人はかつて、仲間の魔法使いや魔導師と共に、聖女様を筆頭にこの世界を救った。

 その時の聖女様は、翡翠色の魔力をバチバチと弾けさせる、たいへん美しい聖女様だった。


 その聖女様がいたから、今のこの平和な世の中があるのだ。


 その後の彼は、その平和を途切れさせないためにも、各地に赴いた。


 やがて伴侶と出会い、息子ができて、孫にも恵まれた。


 孫と会う時間を取りたかったのだが、各地では様々なことが起こっているため、なかなか会えなかった。


 しかし、もう一踏ん張りだ。

 孫が何不自由なく暮らせるようにするためにも……と、そう思っていた最中のことだったのだ。


 孫のソフィアが聖女になったという知らせを耳にしたのは。



『まったく……ソフィアちゃんは可哀想な子だよ』


 そう言ったのは、かつて仲間だった魔法使いだった。


『家でも、姉妹の中で一人だけ放置されてるんだろう。身近なところを疎かにしたせいで、一番大切なものを守れていないじゃないか』


 その魔法使いは全てを察して呆れていた。


 全てその通りだった


『可哀想に……。あの子は、これから先もきっと自分の幸せを諦めてしまうことになるだろうね。物心ついた時からそうだったんだ。そして最期は、お役目とともにその人生を全うする事になる。あの子は、迷いなくお役目を全うするだろうよ。今ままでがそうだったんだから』


 その言葉も、その通りだった。


『聖女になったことを、あんたは否定できる立場ではない。私も否定できる立場ではない。きっとあいつなら、否定するだろうけど、結局は否定できないだろう』


 そう言うかつての仲間の瞳には、もう一人の仲間、魔導師の姿が映し出されていた。魔石の加工が得意で、翡翠色の魔力を弾けさせていた聖女様を一番に慕っていた若き日の少女の姿だ。今、彼女がどこにいるのかは、もう分からない。


『でも、いいかい。蒼龍の加護を持っているソフィアちゃんには、必ずその時が来る。だから、その時が来たら、ソフィアちゃんのことを託すんだよ。……背負わせてしまうことになるだろうけどね』


 その時、いつもは不気味に笑う彼女の言葉には、確信に満ちていた。同じように悲壮感もあった。



 * * * * * *



「おじい様、ここは私が。『ホーリーステルレリス』」


 暗い道を切り開くように、ソフィアの杖から、聖なる魔力が放たれる。

 蒼い光を伴っているその魔力は、行手を遮っている瘴気の魔物たちを数十体まとめて一掃した。


「恐らくここが、半分ほどの距離になります」


 ソフィアたちは、崖の中腹ほどまで辿り着いていた。

 あと半分で、崖の底に辿り着くことができるだろう。

 だが、道のりはまだまだ長い。


「しかし、瘴気が一層、濃くなってきましたな……」


「ええ……。おじい様は……平気ですか?」


「もちろんでございます」


 嘘をついた。ここまで慌てて駆けつけてきたおじい様でも、流石にこの瘴気の量は油断ならない。


 瘴気に塗れている横穴。

 息を吸うたびに、瘴気が体内に入り込んでしまいそうだ。

 ソフィアが常に周囲を浄化しているため、耐えれないほどではないが、常人ならたちまち瘴気に飲み込まれている質量だ。


「お嬢様はどうでしょうか」


「私も平気です。……しかし、この瘴気の量は予想よりも濃いです……。こうなってしまえば、今まで展開していた街の結界が消えてしまっているかもしれません」


 ソフィアは聖女として、これまでいろんな場所に結界を張ってきた。

 例えば、ソフィアの屋敷がある街。この崖に来る前に立ち寄った街。それ以外にも。

 流石のこの瘴気の量。その最中にいることで、綻びが生まれる可能性がある。

 この崖に来る前に立ち寄った街には何十にも結界を張っているため大丈夫だし、ここら一体にも瘴気を留めておく結界を張っているため、それに関しては大丈夫だろう。


 だけど、気になるのは屋敷がある街だ。

 あの街の結界は今、一時的に遮断されているかもしれない。


 それでも、お役目が終われば、また結界が展開されるだろう。

 つまり、崖の底にいけば、全て解決するのだ。



「……では、行きましょう。この手に力を。『エンチャント・バーサルク』」


 老人は強化された剣を握り、次々に自分たちの行手を遮る魔物を切り裂いていく。

 ソフィアも襲いかかってくる瘴気の魔物たちを瞬く間のうちに消滅させていった。


 決して、楽な道のりではない。

 それでも、なんとかここまでは孫と祖父だけでやってくることができた。


『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』


「ここは、この老人に」


 老人が武器を手に、襲いかかってくる魔物の攻撃を防ぐ。


 ……その時、バキンッ! と聞こえてはいけない音が聞こえた気がした。


(!? よりにもよって、こんな時に……ッ)


「く!」


 老人は今回のために用意していた業物の剣を手放して、予備として持っていた剣を手に取ろうとする。

 敵は1体……いや、その背後に10体ほどいる。多少無理をすれば、倒す事は可能だ。しかし、蔓延している瘴気で体が蝕まれていることもあるため、そこまで動けるか……。


 老いというのは、憎いものだった。


(いや……老いる前からずっとこうだ)


 結局、自分は、孫に何もしてやれはしない。



 その時だった。



『キイイイイィィィィィィィィイイイイイイイイイ……ッッ!!!』



「「!?」」


 背後から聞こえたのは、地を揺らす甲高い咆哮。

 それがものすごい速さで近づいてきている。


 敵か。味方か。


 それとも別のものか。


 ソフィアも、老人も、一瞬身構えたものの……すぐにその顔には希望の光が灯る。


 月光色という眩しい光が。



「「!」」



 その瞬間、バチっという音がすることもなく。

 静寂の中で、周囲にいた魔物たちが一掃されていた。


「テオ様です……」


 ソフィアの瞳に光が灯る。


(ああ……)


 その時、老人は見た。


 純白に輝くシムルグという聖獣の背に乗って、この場に駆けつけた少年のことを。


(これが……新しい時代)


 その姿は、かつてこの世界を救った、美しくも翡翠色の魔力を弾けさせていた聖女様の姿にそっくりで。

 その儚くも眩しい姿に、新しい時代が来たのを予感せずにはいられなかった。


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