第21話 Sc

水銀とともに研究所を出て鉱山へと急ぐ。あちこちにいる化学物質たちに見つからないように身を隠しながら素早く移動した。

硫酸湖の近くまで来たとき、突然前にいた水銀が振り返り、素早く俺を茂みに押し込んだ。見れば治安維持部隊の隊員が硫酸湖の辺りを見回っているのが見えた。

「こっちから行くのは難しそうだな……」

水銀がそう呟き顔をしかめる。

鉱山は硫酸湖とアルカリ湖を繋ぐように横たわっている。ということは、アルカリ湖の方からでも鉱山に近づけるのではないだろうか。

「アルカリ湖の方から行ってみる?」

そう提案すると水銀が少し考えたあと、「そうだな」と頷いた。

日の光に照らされてより赤く見えるアルカリ湖を横目に、目立たないように茂み近くを小走りで歩く。幸い、アルカリ湖近辺には化学物質たちがおらず、誰とも鉢合わせにならずに済んだ。

誰にも見つからず、俺が少し緊張を解き始めていたとき、水銀が不意に「止まれ!」と小声で叫んだ。

驚いて立ち止まる。どうしたんだろうと水銀を見ると、突如目の前に何か黒いものが現れた。

突然姿を現したのは黒い服で身を包んだ男性だった。目深く帽子をかぶり、スカーフで口元を隠している。

「お前……誰だ?」

水銀が俺を守るように前に立ち、彼に低い声で問いかける。

「……」

男性はこちらを探るように見ているだけで、何も答えなかった。仄暗い赤色の瞳が俺を捉えて離さない。

彼と俺らがにらみ合う時間がしばらく続いた。彼は俺たちに手を出しては来なかったものの、先に進ませてもくれないようだった。

(どうしよう……)

彼に近づいてもいいものかどうか分からない。きっと彼もシアンタウンの化学物質だ。危険なガスを体から発生させているかもしれない。

そう思って昨日カドミウムにガスマスクをもらっていたのを思い出した。

それを取り出そうとポケットをさぐり、引っ張り出す。その拍子にガスマスクに押し出されて、同じくポケットに入っていたガイガーカウンターが地面に落ちた。拾い上げるついでになんの気無しにそれを見て、俺は目を見開いた。

ガイガーカウンターの数値が今までの比ではないほど高くなっていた。

この近くに放射線源でもあるのかと視線を巡らせてはっとする。

「……君、もしかして放射性物質なの?」

その言葉に驚いたように水銀が俺を見た。

「……」

彼は黙り込んだまま俺のことを探るように見つめている。俺も彼のことを見つめているうちに、彼の目元や帽子の隙間から見える髪型がどことなくウランのそれに似ているような気がしてきた。

「……もしかして、ウランなの?」

そう尋ねると、彼がわずかに動揺の色を表したように見えた。それと同時に彼の足元に石が落ちてきた。

「!」

驚いたように彼があたりを見回した。その間にも小石が彼めがけて何個も降ってくる。

彼は舌打ちをしたかと思うと、身を翻し素早い動作で森の中に消えて行った。

何が起こったのかと辺りを見回せば、ガサガサと音がして近くの茂みからセシウムが現れた。その隣にトルエンも立っている。珍しい組み合わせに俺は目を丸くした。

「セシウム?それにトルエンも!どうしてここに?」

そう尋ねるとセシウムが頭を掻いた。

「この娘とは偶然そこで一緒になったんだよ。俺についていきたいって言って聞かなくてさあ」

そう困ったような顔をしているセシウムの横でふふんとトルエンが笑う。

「邪魔者がいたから石で追っ払ってやったわ!」

そう言うトルエンの手には小石が握られていた。どうやら、彼女がさっきの男性に石を投げていたらしい。

「トルエンのお陰だったのか……ありがとう」

そうお礼を言うとトルエンがつまらなさそうな顔をした。

「別にアンタのためじゃないんだからね!……アタシは、ニトロのことを探してて」

「ニトロは見つかったのか?」

水銀の言葉にトルエンが頷いた。

「アタシが直接見たわけじゃないんだけど、鉱山の中に入っていくのを見たって化学物質がいたの。でも、鉱山の入り口はホスゲンの部下が見張ってて入れなかったから、他に入り口がないかと捜してたらこの人に会ったのよ」

そう言ってセシウムを指差す。

「そうだったんだ……セシウムはどうしてここに?」

「いや……」とセシウムが言いにくそうに頬を掻く。

「ウランが朝早くからどこかに出ていったもんだから、何をしてるんだろうと思って追いかけたんだ。……結局見失っちゃったけど」

セシウムの言葉にさっき会った黒ずくめの男性を思い出す。彼は本当にウランだったのだろうか?

「おかしいなー、こっちの方に来てたと思ったんだけど……。なあ兄ちゃん、あんたウランのことを見てないか?」

セシウムに尋ねられ、ウランと思われる人物のことを話そうか迷う。水銀を見るが、口を閉ざしたまま何も言わなかった。

(ウランがどうして正体を隠すようなことをしていたか分からないけど、何か事情があるのかも……)

そう思って、セシウムに内緒にしておくことに決めた。セシウムにはラジオ局でお世話になった礼も、ラジウムを持ってきてもらった礼もあるが、今回は致し方ない。

「うーん、見てないなあ……」

そう言うとセシウムががっくりと肩を落とした。

「そうか……。もうちょっと探してみるかな」

そう言うセシウムの気を引くように俺は思い出したように口を開く。

「あ、そうだ。実は、ここに来る前ホスゲンに襲われたんだ。そのとき、硫化水素も巻き込まれちゃって……」

俺の言葉に「硫化水素ちゃんが!?」とセシウムが食いつく。

「うん。今は無事みたいなんだけど、もしかしたら心細くて泣いてるかもしれないから、側にいてあげてほしいんだ」

そう言うとセシウムが「わかった、任せておけ!」と浮足立った。そして俺たちに興味をなくしたように家のほうに向かって走り出した。

なんとか彼の興味をそらせたようでほっとする。セシウムの足音が聞こえなくなったころ、一部始終を傍観していた水銀が口を開いた。

「じゃあ、俺たちは鉱山に向かうか。隊員たちが見張っている入り口以外に俺だけが知ってる他の入り口がある。そこに向かおう」

水銀の言葉に「分かった」と頷く。

「アタシも行くわ」とトルエンも頷いた。

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