第二番『銀色の指輪』

第一楽章 Allegro capriccioso

銀色の指輪(1)

 彼女の左手の薬指に、小さな銀色の指輪が収まっていた。それは白く柔らかな彼女の肌に、よく似合っている気がした。


 *


 朝の廊下に、銀色の音が響き渡っている。キラキラ光るその音の主は、顔を見なくたってすぐわかる。


「真雪。ここ、いい?」

「ああ、どうぞ」


 窓際を向いて練習している真雪から、少し離れた位置に、陣取る。

 譜面台を設置して、楽器を組み立てる。


 他の場所だって、本当は空いていたのだけど、なんとなくいつも、真雪の側に来てしまうのはなんでなんだろう。


 やっぱり、落ち着くからなのかな。


 何かあった時に、近くにいればすぐに真雪に相談できる、という絶対的な安心感がある。

 さすがに、頼りすぎだろうか。


 今年の四月、私達は二年生になった。

 クラス替えの発表を見て、驚いた。アイウエオ順に並んだ名簿には、『進藤美冬』の下に、『須賀真雪』と書いてあったから。


 ただ、それだけのことだけど。

 私はまるで、主人の帰りを喜ぶ子犬のように、その辺りを駆け回りたくなってしまったのだった。


 新学期が始まってから、もう二週間ほどが経っていた。

 これから七月の演奏会に向けて、いよいよ大詰めの時期だ。私は気合を入れて、フルートを構える。


 春休みの間に自分の楽器を買ってもらっていたので、最近は練習がますます楽しくなっていた。

 去年からずっと継続している、いつもの基礎練習をこなし、一息つく。

 

 ふと、窓側にいる真雪が目に入った。そのときだった。


 真雪の手元で、何かがチラチラ光っているのが見えた。

 それは、フルートの反射光ではなかった。


 彼女の左手の薬指に、銀色に輝く指輪が収まっていた。それは真雪の柔らかそうな白い肌によく似合っていて。


 つい、見つめてしまった。


「真雪、それ」

「ん、何?」

「左手の……指輪? どうしたの?」

「ああ、これか」


 驚いて言葉を無くす私の前で、真雪は指輪の収まった左手をひらひらさせる。


「いいでしょ。婚約指輪」

「……こ、婚約? え、真雪、婚約したの?」


 思わず大きい声が出てしまう。


「他の皆には内緒だよ」


 思い切り何かを企んでいるような表情で、真雪は笑う。


「真雪、もしかして、また何か変なこと考えてる?」

「さあ、どうだろ」

「婚約って……誰と?」


 ついつい質問攻めにしてしまう。

 真雪のことだから、また適当なことを言っているに違いない。

 そう思っても、気になるものは、気になるのだ。


「誰だと思う?」

「……そんなの、わかんないよ」


 面白くなくて、私はついつい拗ねた声を出してしまう。


「ごめんごめん。……妬かないの」

「妬いてないし」

「はいはい」


 真雪が私の頭をポンポンする。またいつもの、子供扱いされてるみたいで、悔しい。悔しいけど、この感触は嫌いじゃない。それがまた悔しかった。


「美冬にだけ、特別に教えてあげる。これはね」


 ひとしきりポンポンした後でそう言うと、私の耳元でささやいた。


「フルートが上手くなるおまじない」

「え……?」

「つまり、私の婚約者はフルートってことだね。だからこの指輪は、フルートが上手くなるおまじないなんだ」

「なんだ、びっくりした」


 よくわからないけど、真雪らしい回答だった。


 それにしても、次から次へと、心臓に悪いことばかりする。

 私の『親友』は、本当に、どうしようもない子なのだった。

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