個人レッスンのような(2)

 その日の帰りは、クリーニングペーパーを買いに、美冬と一緒に楽器店に行った。

 帰りと言っても、私は寮生だから、駅の方向に行く必要は全くないのだけど。

 なんとなく、あの辺りは、女の子を一人で歩かせるのは心配だったから、付いて行くのは正解だったと思う。


 私達は、まだお互いに、名字にさん付けで、呼び合っている。

 私の頭の中では、美冬は初めから美冬なのだけど、大して親しくもないのに、呼び捨てにするようなことは、さすがにできなかった。


 とにかく、そういうような関係性においては、駅までの道中の雑談も、ほんの少し緊張したりもする。

 だから、途中、何を話していたのかは、ほとんど覚えていない。


 印象に残っているのは、楽器屋に着いてからの方だ。

 美冬は、クラシックが好きらしい。

 目的のものを買った後に、CDコーナーでの会話で、そんなことを聞いた。


 どの程度の好きなのか、量りかねるけど、なんとなく合点が行った。

 多分、美冬の音が綺麗なのも、飲み込みが早いのも、日頃から好きな音楽をよく聴いていて、音のイメージができているからなのだろう。


 私は、美冬がバッハを好きだと聴いて、嬉しくて思わず、前のめりになってしまった。

 変な奴だと、思われたりしなかっただろうか。

 そこだけは、少し不安になる。


 気づけば大分時間が経っていた。

 そろそろ帰宅し始めないと、美冬が帰れなくなってしまうので、ここら辺で解散にしようという時刻。


「須賀さん、今日はありがとう」


 美冬は別れの挨拶をして、駅の方へ向かおうとする。


「送るよ。帰り道、危ないから」


 美冬を一人で帰すのが危ないと言うよりも、ただ、私の方が物足りない気分なだけだった。

 照れ隠しに、駅方面に向かって早速歩き出す。


「行くよ」

「う、うん。ありがとう」


 有無を言わせない雰囲気にしてしまったけど、お節介に感じただろうか。


「じゃあ、また明日」

「うん、またね。今日は本当にありがとう」


 駅には、あっという間に着いてしまった。

 特に意味はないけど、美冬が改札を通ってホームへの階段を登るまで、なんとなくそちらを見ていた。




 翌日も、美冬と同じ部屋で練習をした。

 特に、サシ練習の予定を組んでいたわけではないけれど、一緒の部屋にいると、やはり美冬の音が気になって聴いてしまう。


 心なしか、前よりも大きな音が出ているような気もする。

 腹式呼吸、真面目に練習してくれてるのかな、なんて、少し嬉しくなる。


 その日は、帰り際に、クリーニングペーパーの使い方を少し教えた程度で、いつも通り別々に帰った。


 私は寮までの短い距離を歩きながら、やはり少しだけ、どこか物足りなさを感じていた。

 それがなんなのかは、知る由もなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る