合宿のはじまり(1)

 本番の日は、思っていたよりも早くやってきた。私達一年生が演奏するのは一曲だけで、先輩方とはやっぱり温度感が違っている。

 だから正直、感極まる、なんてこともあまりなくて、演奏会当日はあっという間に終わってしまった。


 三年生の先輩方は、このタイミングで引退だ。二年生のいないフルートパートは、須賀さんと私の二人だけになった。

 演奏会後、後片付けや、代替わり、次の本番の選曲会議などのバタバタが落ち着く頃には、夏休みに入っていた。


「合宿の日程が決まったよ。当日までにこのプリント見ておいて」


 一年生にして、フルートのパートリーダーに就任した須賀さんは、てきぱきと役割をこなしている。


「合宿、河口湖なんだ。楽しみ」

「三泊四日。二十四時間、音出し放題だって」

「すごいね。でもそんなに吹いたら、疲れちゃいそう」

「ほんとだよね」


 二人して、笑い合う。


 合宿の部屋割りはセクションごとで、私たちフルートパートの二人を含む、木管セクションの女子八人が、同じ部屋だった。

 この合宿で、須賀さんとももう少し仲良くなるのかな、なんて、なんとなく期待してしまう。


 合宿当日の朝は早い。六時半に高校の敷地に集合、ということで、私は四時台の始発で向かわなければならなかった。

 集合時刻になり、点呼をとった後、バスは出発する。バスの席順は自由で、適当に乗車すると、ヴァイオリンパートの優里ちゃんが隣に座ってきた。


「美冬ちゃん、隣いい?」

「うん」


 あまり親しいというほどでもない彼女だけど、自然に私の下の名前を呼ぶ。私も当たり前のように、彼女を『優里ちゃん』と呼んでいる。

 そういえば、私と須賀さんは、いつまで名字で呼び合うのだろう。同じパートなのに。思わず、そんなことが頭をよぎる。


「美冬ちゃんて、髪きれいだよね。ふわふわだし、良い感じの茶色だし。地毛、なんだよね?」

「ありがとう。一応地毛だけど。私はストレートのほうがよかったなあ」

「みんな、無い物ねだりなもんだよね」


 優里ちゃんは、明るくて、自然な笑顔が可愛くて、そういうところが私にはうらやましい。

 確かにこれも、無い物ねだりなのかも。


 優里ちゃんと話しながら、ふと斜め前の席が目に入る。

 二人掛けの座席を、当たり前のように一人で占領している須賀さんは、イヤホンを耳にして、目を瞑っている。


 音楽を聴いてるのか、寝ているのかわからないけれど、こういうときに、個人主義っぽい様子が、見て取れる。

 もちろん、話しかけられれば、にこやかに返答を返してくれは、するのだろうけど。


「ねえ、見て。富士山、大きい」

「わあ、本当だ」


 バスは山梨県に入り、気づけば大きな富士山が目の前にある。


「こんなに大きいと、なんか怖いなあ」


 私は大きいものが苦手だ。電車とか飛行機とかもそうだけど、普段遠くにあるものを、近くでまじまじと見てしまった時とか。なぜか理由もなく恐怖感に襲われる。


「そう? 美冬ちゃんって、ほんと可愛いね」


 優里ちゃんに笑われてしまった。どうやらこの感覚、あまり理解されないらしい。

 そうこうするうちに、バスは合宿所へ到着した。

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