第15話 天使の繭のシェルターは破られるかもしれない

 間一髪。真っ二つになったハルピュイアが血しぶきとともに床にどさりと投げ出された。


「大丈夫か?」

 ユリッぺが女子生徒に駆け寄って声をかけるが、あまりの出来事に放心状態となっている。

 そこへユキも走ってきた。

「ショックが酷いみたい。保健室に連れていかなきゃ」


「そんな余裕はない」

 血糊がべったりついた大鎌を肩に担ぐと、ユリッぺは講堂の出口に顎をしゃくった。そしてあれだけの活劇のあとだというのに、少しも息を乱すことなく言ったのだ。


「最初のは斥候だ。校庭で落ち込んでいたら、まずあいつが見えたので追いかけてきた」

「え、最初って?」


「背後の空に悪意が大群をなして浮かぶのを感じた」

「じゃあ?」


「うん、初動が遅れた。どうにか間に合うと思ったんだが、面目ない。もうすぐ大群が、ここを目指してやってくる。誰が意図的にハルピュイアを誘導したのかは知らないが。森野も逃げろ」

 ユリッぺのその声を打ち消すように講堂の入り口に殺到していた生徒たちが悲鳴とともに戻ってきた。

 ユリッペは舌打ちする。

「くっそ。やっぱ間に合わなかったか」


 入口だけではない。窓からも次からつぎへと硝子を破り、ハルピュイアが耳をつんざく奇声を上げ、侵入してきたのだ。

 バサバサという耳ざわりな音とともに飛び交い、美しい女の顔をした狂った怪鳥が生徒に襲いかかろうとしている。


「コーイチっ! 何とかしてッ!」

 ユキを見たコーイチがハッ、とした顔をし、眼をおおきくする。 

 と。

 光の巨大な翼がビルほどの大きさに膨れ上がり、ハルピュイアを跳ね飛ばした。


「ぐぎゃああああああああっ」

 光が全校生徒を包んだ。先生もふくめた全員が翼の下という安全なシェルター内で息を潜める。だが、ホッとしたのもつかの間、ハルピュイアの攻撃に容赦ない。


 半球のドーム状に膨張した翼を透かし、鳥の影が間断なく襲いかかってくるのが見える。誘蛾灯に引きつけられる蛾のごとく羽を焼かれ、バタバタ落ちるが、外から新しいハルピュアが供給され続けるためか、その数はハンパではない。


 光の翼を喰い破ろうと襲いかかるハルピュイア。バチバチと派手な音をたてて焼かれるたび、コーイチもまた、苦痛に呻く。

 やはりダメージを受けているのだ。歯を喰いしばり、両手を床に着ける恰好で蹲るコーイチ。彼に寄り添うユキはおろおろしながら見守るしかない。心配そうにユリッぺと一緒に彼の横顔を窺うしかなかった。


 コーイチを守ることができないのは悔しかった。アダプターのような特殊能力があれば、たとえ一人であっても闘うことができるというのに!


 息を潜め、押し黙って光の翼のシェルターに守られていた生徒が俄かに騒ぎだした。それほどハルピュアの攻撃が執拗だったせいで、いつ翼が喰い破られてもおかしくなかったからだ。

 すすり泣く女子が不安に輪をかけ、やがてハルピュイアの羽搏く音に生徒の怒号が混じりはじめる。


「警察に電話しろ!」

「いや、こういう時は天使庁に通報だろ」

「もう首府警に通報した」

「天使なら真田がいるぞ」

「おい、天使なら何とかしろ」

「いつだって真田くんなら何とかしてくれるのにー」

「おいっ! 便利屋天使の名が泣くぜ」

「真田くん、天使でしょ! 役立たずッ!」

 という金切り声が翼の下で身を屈めている生徒から上がる。


 だが、コーイチは闘おうとはしない。きっと翼がボロボロになっても彼が直接、手を下すことはないだろう。そのことは幼馴染みであるユキなら、良く知っている。

「コーイチ……」

 あとに続くはずの言葉を涙ととともに飲み込んだ。


 本心では闘って欲しい。カッコいいところをみんなに見せつけて欲しい。それだけの戦闘力がコーイチにはあるとユキは信じている。

 悔しい。悔し過ぎる。泣くまいと我慢してきたが、もう限界だ。こらえていたが唇を噛みしめながらユキはポロポロ大粒の涙を零した。


「バカヤロー」

 と突然、声が上がった。ユキが涙を散らしつつ声をするほうに顔を向けると、ワルサーP38をぶんぶん振り回す坂田がいた。


「お前ら、こんなにコーイチが頑張ってんだ。ちっとは見習えッ!」

 あれだけコーイチのことを天使チビ野郎と罵り、愚弄していた坂田だけにユキは驚いた。この熱いというか、鬱陶しくさえある弁舌は何だ? 空中散歩で何があったのだろうか? ハルピュアに襲われ、天狗先生と一緒に駆除したと、それだけはコーイチ本人からじかに聞いたのだが……。


「見習うってどーすんだよ、坂田ぁ?」

 朝、一緒にケンタウロス少女の逢沢花林に絡んでいたツレの一人がさも小馬鹿にしたような口調で言った。


「だから闘うんだよ?」

「は? 闘うって俺らが?」

 アホか、とつぶやくと肩をすくめるツレ。


「あったりめぇじゃねーか。コーイチだけに任せておけるかよ」

「だけどよ、このクラスには飛び道具を持ってるアダプターはいねえぜ。あんなバタバタ飛びまわる鳥を相手にどうやって闘うんだよ? ここにいるのは天使にケンタウロス、エルフとか河童、それに死神と役立たずのハーメルン三姉妹くらいなもんだぜ」


 笛で殴るんじぇねーか、と揶揄する声が飛び、こんな危機的な状況下なのに下卑た笑い声が起こった。ハーメルン三姉妹はクラスでは、さほど好ましく思われていないようだ。


「飛び道具ならあるぜ。今までお前らには黙っていたけどよ」

 と肩をそびやかすと威勢よく走りだした。

 みんなが呆気に取られるなか、光の翼の終端までくるとシェルターから抜け出す坂田。ハルピュイアからは坂田が丸見えの状態になった。


「こいよ! バケモンっ」

 あろことか手招きし、挑発する始末。


 ハルピュイアも気づいたのだろう。光の翼への攻撃をやめた一羽のハルピュアが牙を剥き、まっしぐらに坂田めざし滑空してくる。


「まだまだ。もっと引き付けてから」

 銃把を両手で握りしめ、片眼をつむって狙いを定める。坂田のこめかみから汗が一筋、流れ、……そして。

 




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